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弟 よ ・・・…  作者: でうく
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死神

「―――・・・行ってらっしゃい」

日常的に遣う言葉を、私は今日も口ずさむ

「行ってきます、爛田(ランダ)さん」

家族連れの母子(おやこ)は親しげに名を呼び、緊張の解けた笑顔で左の扉の向うへ消えた。私は彼女等のこの睦まじさを守って()りたいと思う。研究の方殆どは学術的価値が無いに等しく、実際は生か死か、其とも生殺しにするか。囚人の運命を決定する事が私の主な任務だった。私は自分と別れてからも、他人の別離を見送っていた。私の名を呼ぶ彼等を送り出した次の日には彼等は、解剖台の上に乗っていた。併し段々と少しずつ、何の感慨も涌かなくなってくる。私が臨床へ回る事は無かった。この手を穢さず、恨まれず、私は人を殺すのだ。実感も無く笑顔で死の世界へと見送る私を、同僚は『白衣の死神』と渾名した。




「・・・・・・まるで、自動人形(ロボット)、の様だ」




医学部崩れの誰かが呟いた。


「イモトが、幼い時に爛田が受けた知能検査の結果を保管しているらしいぜ。ほら、アイツの父親は聞き慣れない心理学っていう胡散臭い学問の博士だろ?解剖の権利も無い」

「だからアイツは臨床にはいかないのか」

私の眼からわざわざ器具を隠して医師達が移動しているのは、単に学閥の問題だけでは無かった

「アイツが“サヴァン”で無かったら、今頃あの囚人等と同じガス室だぜ」

・・・私は、半分ほど開いた扉の奥行きある原子の方を向く

「サヴァン?」

「サバ人、と訳すれば良いかな。障害を持っているのに、極特定の分野に限って常人には及びもつかない能力を発揮する民の事さ」

「アイツが“障害者”?」

私は囚人を左右真中の扉に振り分けながらも、話の内容が気が気で無かった。私が・・・・・・逆の立場になる?

「知覚の統合が、まるで出来ない。物事を関連づけて考える能力が致命的―――・・・典型的“自閉”」

自閉―――・・・其は私も知っている。父が何度か呟いていたし、ユイアンとも調べた―――

「大体おかしいんだよ。心が“読めない”なんて。体内の有機化合物の分泌量は判るくせに」

どういう事だと私は思った。

屹度(きっと)、体内の有機化合物の分泌量は判っても、其がどう作用し、人間をどういった気分にさせ、どう筋肉を動かすか。その一連の動作や、表情がどういった感情を表現しているのかが結びつかない。総てがバラバラに視えるんだろうね」

考えた事も無い事であった。私の中では、眼に視える現象夫々(それぞれ)が総てだ。其以上でも其以下でも無く、其そのものが真理だった

併し、其は知能の問題なのか。(あらかじ)めそう思考を選び取る訳は―――



心でさえこの器具で、優劣が決ってしまう



「相関を考えられない。命令された事しか出来ない。だから一つの研究として完成しない。だから上へいく(出世する)事は決して無いんだ。サヴァン(ヤツら)もやはり皇国人(オレら)の奴隷だ。だから臨床も、オレらに遣らせておけばいいんだよ」


ユイアンのいない研究室で、私は恐らく之迄(これまで)で最も感情的な声を出した。併し其でも平坦である。己の感慨についてゆけない。


ユイアンと院長の会話の相関に、ようやっと気づいた。私にはあの二人が、ただただ互いに嫌っている様に見えた。併し実際は、父という軸を通して軍部に歪んだ防疫給水部の情報を遣り取りしていたのだ。



ユイアンは院長に、弟を連れて行くかの選択を確認したのだ。



其に私が気づいていれば、ユイアンは無事で、こんな戦争犯罪にも手を染める事は無かったかも知れない。



私は仕事を中断し、医師に掴み掛っていた。否、こんなものは仕事では無い。審判(ジャッジ)する者が裁かれる現実を知ると、馴化(まひ)していた心が一気に恐怖に喚起される。今まで何千・何万と死へ送ってきたのに。私はずるい生き物だ。

「放・・・せっ・・・!」

「爛田!」

私は引き剥され羽交い絞めにされた。拳が飛んできて口許を切る。私の“障害”故か、この後立場がどうなるかなど考えていなかった。


―――只“哀しかった”のだ


私と羽交い絞めにしていた医師は床へ倒れ、扉を越えて部屋の外まで飛び出した。ぎゅうぎゅう詰めに犇き合った囚人達が私の前に並んでいる。その最前列に、一際珍しい容姿の者がトロッコの中に箱詰めにされて待っていた。

見るからに―――である

その人物は私を見ると、私と同じ瞳で以て嬉しそうに微笑んでみせた。




光の無い眼


私よりも縦に長く大きい眼

――――あぁ,小脳が




如何(どう)かしたかね」

医師が私を引き起す。イモトがいつの間にか帰って来ていた。周囲を軽く一瞥し、何も訊かずに極めて規則的な事を云った

「作業が滞っているではないか。早く捌き給え」



「―――右」

――――私は囚人に向き直った。そしてすぐに決断を下す。滞っているのは貴方の脳の細胞だ。貴方は何も考えてはいない。

―――障碍者も、脳の細胞が着実ながら(しっか)りと活性しているというのに




「――――・・・いってらっしゃい」




私は、涙を流して見送った




あの時と同じ、場にそぐわぬ笑顔をつくって右の扉へ送られた。母に近づく事が出来ると、慶んでいるのだろうか

その扉の奥に何が存在するのかは、私自身も知る事が無い

奥に潜むは生か死か、其とも生殺しかしか死神は把握していないのだ

臨床(下界)で何が起っているのか、其は知る必要も無い――――・・・



私は激しく後悔している。己の愚かさに気づかずに、無意識下で差別を続けていた事に。己の気持ちに気づかぬ侭に、私は皆を川の向う岸へと渡してしまっていた。


此処に在るのは、もう私だけ


何が優生で何が健全、何が障碍で何が保護されるべきなのかは、もうわからないのだ




弟よ――――――・・・・・・

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