2話
「こ、ここは……!」
次の瞬間、そこには一面黄色の空間が広がっていた。
見ているだけで気が滅入ってくる色合いの壁とカーペット。天井には四角形の白い蛍光灯が一定間隔で何個も付けられていた。
ジィーという蛍光灯のノイズが耳に踏み込んでくる。むせかえるような古いカーペットの匂いが不快だった。
まだここに来て1分も経ってないのにもうここから出たくなる。奴の性格が滲み出ている空間だった。
「ん……? これは……」
辺りを見回していたら足元に赤いスマホのようなものを見つけた。もしかして……。
俺はそのスマホの電源ボタンを押した。
するとスマホのカメラのレンズからフラッシュが放たれ、目の前に1匹の狼が現れた。
「これが奴の言ってた……」
「グルル……」
『参加者はこのイケイケフォンっていうのを使うとニエモンを出し入れできて、ついでに意思疎通も取れるのよ。悠斗ちゃんのニエモンはデュナロボスっていうかわいいオオカミちゃんよ♡ かわいがってあげてねぇ~!』
イケイケフォン。
ネーミングセンスは壊滅的だけど必需品。
これが“トモグイパラダイス”の参加者であることの証で、この偽スマホが壊された時がゲームの敗北を示している。
つまりこのゲームは相手のニエモンを倒すなりかいくぐるなりして相手の偽スマホを壊していくゲームなのだ。
一見安全そうに聞こえるけど全然そんなことはない。奴はご丁寧にも命がけになるルールを作り上げているんだ。
ちなみに、この偽スマホの電源ボタンは絶対に長押ししてはいけない。
アイツはこれを切り札とか言っていたが、代償が重いなんてもんじゃない。
とりあえずここから出る方法を探そう。
こんなゲームに参加してたまるか。
でも利用はさせてもらう。
俺は偽スマホ……もうスマホでいいや。
スマホの画面に出ている電話のアイコンをタップして命令する。
「デュナロボス、俺を守ってくれ」
「バウッ!」
狼……デュナロボスはそう元気に吠え、よだれを垂らしながら俺の隣にやってきた。
こんな所、何が出てくるかわからない。
警戒しながら行かないとすぐに殺されてしまうだろう。
奴の邪悪さは、この身で思い知らされている。
俺は気を引き締めて歩き始めた。
「ウウ……」
デュナロボスは常に歯を剥き出しにし、目をギラギラと輝かせて獲物を探している。
そんな凶暴そうな表情に反して触り心地の良さそうな白く綺麗な毛を持っていた。
動物だから人間の俺よりも敵を見つけるのは速いはずだ。出来るだけこいつの側を離れないようにしよう。
……それにしてもさっきからずっと似たような光景だな。
壁の形が歪だったり変な隙間があったり微妙に変わってはいるけど本当に嫌気がさしてくる。
特に意味もなく家具が置かれている所もある。
脱出の手掛かりになるようなものはなかった。
「―――」
今何か聞こえたような……。
大人の男性の声っぽかった。
他にも人がいるのか、それとも俺と同じ参加者なのか……。とにかく気を付けていこう。
そんな風に歩いていた時だった。
俺は見てしまった。
もの凄い力で壁に叩きつけられたかのような、惨たらしい人の死体を。
「うっ、うわああああああああああああ!!!」
その死体は体中が赤黒く変色しており、生きていた頃の面影はない。
……ああ。
守れなかったあの子を、嫌でも思い出してしまう。
床に広がった血が、あの子のものと重なる。
「ああ……ああああああああああああああああ!!!」
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ見たくない見たくない!
罪悪感と嫌悪感が入り混じって虫唾が止まらなかった。
「おええっ……」
胃の中のものが逆流する。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
心の底からそう思っていても許される筈がない。
取り返しはつかないのだから。
「バウ……ググ……」
クチャクチャと、肉を貪る音が聞こえる。
その方向を見ると、デュナロボスが死体を食い漁っていた。
「うわぁ!? な、何やってんだよお前!」
色々な事が立て続きに起きたせいで半分パニックになってしまう。
どうなってんだよ……!
デュナロボスは俺の事など気にも留めずに死体を堪能する。あっけにとられて動けずにいると、デュナロボスはふと死体から牙を離して、言った。
「おい……何固まってんだ。お前も食っとけ」
「は……!?」
デュナロボスが、俺の方を向いて言った。
20代くらいの、低い男性の声で。
もう何がなんだかわからない。とうとう俺の頭がおかしくなってしまったんだろうか。
「だーかーら! はやくこの肉食えって。食べ頃だぞ。普通は分けてやったりなんかしねえけどよ、お前が死んだらオレも死ぬのは分かってんだろ? 食えよ」
「……く、食えるわけねえだろ。人間なんだぞ……」
急かすデュナロボスに、そう答えるのが精一杯だった。するとこいつは、呆れながらも少し嬉しそうに言った。
「ほーん。じゃあオレが美味しく頂くとするか。人間ってのは舌が肥えてんなぁ。こんな旨いもんも食えねえのか? 確かにちょっと脂っこいけどよ~」
自分の白い毛が血に染まるのもお構いなしに、ガツガツと死体に食らい付く。
……何なんだよ、こいつは。
恐る恐る聞いてみる。
「なあ……なんでお前急に喋れるようになったんだ?」
「オレの能力だよ。食ったモノの特徴とか器官を体に発現できるのさ。オレは今こいつを食って、こいつの脳と喉を再現した。だから喋れるんだ――うまっ」
「そ、そうか……」
ニエモンは様々な特殊能力を持っている。
デュナロボスのこの能力みたいに。
これを上手く利用できれば生き残れるだろう。
「さ~て。腹いっぱいになったし行くぞ。飯を探さねえとな」
「……デュナロボス、お前まさかこれ以上人間を食べる気じゃないだろうな」
「あ? 食ったらまずいことでもあんのか?」
「お前……!」
こいつは聞き捨てならないことを言い出した。
確かに動物のこいつからしたら人間も獲物としか見ていないだろうけど……!
俺がいる以上、絶対にそんな事はさせない。
そんな俺の考えを見透かすようにデュナロボスは言った。
「まあ人間のお前からすりゃ嫌? なのかもしれねえがオレは食えば食う程強くなれるんだ。そりゃ他のニエモンだって同じなんだぜ。食えば食うだけ生き残れる。逆に食わなきゃ食われるだけだ。どうでもいい事は考えんじゃねえよ」
「何だと……!?」
こいつらニエモンは、ニエモンを食べると飛躍的に強くなれる。でもそれは、他の参加者の命を食らう事でもある。
それはなぜか。
ニエモンと参加者の命が共有されているからだ。
参加者が傷付けばニエモンも傷付くし、ニエモンが死ねば参加者も死ぬ。
つまり一蓮托生ってわけだ。
だから生き残るためには出来るだけ人を犠牲にしないといけない。そんなクソみたいなルールがこのゲームには存在する。
「俺はそうまでして生き残りたいとは思わない。人の犠牲の上に成り立つ幸せなんかいらないんだよ……!」
「ほーん。それでもしお前が死んだらオレも死ぬ事になるんだぞ? オレはその犠牲に入らないってか? とんだ動物虐待だぜ。お前のエゴでお前が死ぬのは勝手だけどよ、オレを巻き込むんじゃねえよ。それに……」
デュナロボスが続けようとしたその時、背後から。
「蟶ー繧翫◆縺?クー繧翫◆縺?クー繧翫◆縺?勧縺代※蜉ゥ縺代※蜉ゥ縺代※!!!」
何かの咆哮が聞こえてきた。
一つだけ分かることは、その叫びにどす黒い殺意が籠っていること。
「こ、この声は……」
「おい逃げんぞ」
「え?」
「オレに乗れ」
「わ、分かった!」
言われるがままデュナロボスの背中に乗ってしっかりと掴まった。血の匂いが漂ってくる。
デュナロボスは俺が掴まった瞬間全力で走り出した。
速い……! 振り落とされないようにしないと……!
声の主はかなり近くまで追ってきている。
こいつが逃げ出すってことは……相当やばい奴なのか?
そしてデュナロボスが曲がり角を曲がる時、俺は見てしまった。追い掛けてきている奴の姿を。
「縺薙%縺九i蜃コ縺励※縺ェ繧薙〒隱ー繧ょ勧縺代※縺上l縺ェ縺??」
「う、うわあああああああああああ!!!」
それは、黒い針金のようなヒトガタだった。
焼死体のように真っ黒で、歪な体をしている。
こんな化物もいるのか……!?
「叫ぶんじゃねえ! 他の参加者に聞こえたらどうすんだ!」
「あんなの誰でも驚くに決まってんだろ!」
「ちっ……人間は面倒だなぁ……」
デュナロボスはぼやきながらもさらに加速する。
徐々に化物との距離が離れていき、やがて化物の咆哮は聞こえなくなった。
「ここまで来れば大丈夫だろ。はあ……ちょっと休ませろ」
「ああ……」
床にへたりと座るデュナロボス。
色々とありすぎて、精神が持たない。
俺も座ることにした。
「あいつ、何なんだよ……」
「さあな。オレにも分かんねえ。でも一つだけ確実に言えるのは、仮に参加者を倒して見逃してやったとしてもどうせああいうのに食われて死ぬだけってことだ。守ろうにも俺は一人しか乗せられないぜ?」
「そんな……」
「だから食ってやった方がいいんだよ。気にすんな」
奴は意地でも勝ち残った一人だけしか生きて帰さないつもりらしい。
その一人も本当に生きて帰される保証はない。
「クソッ……! どう足掻いても誰かが犠牲になるのかよ……!」
「そりゃデスゲームだしなぁ」
「デュナロボスお前……! 他人事みたいに……!」
「オレだって死にたかねえよ。だからオレは獲物をきっちり食うって決めてんだよ」
デュナロボスは、俺の目をまっすぐに見つめて言った。
「今この場所に善悪とかいうのはねえ。食い意地張ってる奴だけが生き残れるのさ……あといちいちデュナロボスってのはなげーな。オレのことは、ラルクって呼んでくれ」
「ラルク……? 何でだ? デュナロボスの一文字も掠ってないだろ?」
自分で自分の名前を付けるとは思わなかった。
こいつにそんな情緒があるなんて……。
何かこだわりでもあるのか?
「頭の中にふっと思い付いた名前がそれだったからだ。もしかしたら、食ったあいつの記憶かもな」
「えっ……記憶も再現できるのか?」
「ある程度はな。ただオレは知識を優先的に再現してるから思い出とかそういう記憶はほとんどないぞ。余った残りカスみたいなもんだ。ぼんやりとした記憶しかない」
「そうか……」
「まあ無くて助かったぜ。それで俺が人間の価値観を手に入れちまったら参加者を殺せなくなるかもしれないからな」
「何だと……!」
こいつ……! あの人の事を全然何とも思ってないのか……!?
人の脳はあっても心はないんだな……。
「お前、あの人の――」
「どうせあいつを食っといてその態度はなんだ、とか言うんだろ? じゃあお前はステーキ食った後いつもその肉の葬式やってんのか?」
「ぐっ……」
こいつの言っていることは、間違ってはいない。
少なくとも、自然の摂理という点では。
俺は人間だから、人の死にはショックを受ける。
でもいつも食べている牛や豚には、食べ物という意識しかない。
ありがたく食べはしても、そこにショックを受けることはあまりない。そういう意識の人もいるけど、少なくとも俺はそうじゃない。
こいつは動物だから、人間が獲物として見えている。それだけの違いなんだ。
「悪い……お前の言ってることは間違ってないよ。でも、俺達からすれば残酷に聞こえるんだ……」
「だろうな。オレからすればお前もただのバカだ」
死んだあの人は、もう救えない。
だから……。
「一つ、約束してほしい。俺は出来るだけ生き残れるように頑張る。その代わりに、お前には出来るだけ人を殺して欲しくないんだ。もちろんいきなり殺されそうになった時とかはしょうがないけど……それじゃ駄目か?」
「……ああ、いいぜ」
俺は、少しでも犠牲を減らしたい。
理不尽に人の命が散らされるなんてことが、あっていいはずがない。
それは、こいつ……ラルクも同じだ。
「泥を啜ってでも生きろよ、ご主人様」
「ああ……! 何がなんでも生き延びてみせるよ……よろしくな、ラルク!」
俺が名前を呼ぶと、少しラルクが笑ったような気がした。
「ていうかご主人様ってのはやめてくれよ。俺のことは悠斗って呼んでくれ」
「おう……ユウト」
ラルクが俺の名前を呼んだその時だった。
スマホの着信が鳴ったのは。
「……さっそくお出ましか」
「う、嘘だろ!?」
鳴り響く電子音に俺の心臓が跳ね上がった。
着信音は、参加者同士が近付いていることを示す。
速すぎるだろ……まだここに来てそんなに経ってないはずなのに……!