1話
腕が、引きちぎられる。
叫ぶ間もなく脇腹から内臓が引きずり出され、気が狂いそうな痛みと共に体の部位が次々と食われていく。
意識も、だんだんと薄れてきている。
それでも激痛に感じることに怒りすら込み上げてくる。
前にも感じた事のある……死の感覚。
嫌だ……死にたくない。これ以上痛みを味わいたくない。
死んだらこの痛みは消えるのか? それなら死んでもいいかもしれない。
いやでも死にたくない。体の奥底のなにかが熱を帯びるようにそう叫んでいた。
この感覚を味わうのは、今回で2回目だ。二度と味わいたくないと思っていたけどまた味わう羽目になってしまった。
最初の1回目は、あの子を守れずに情けなく死んだ。
そんな俺だから2回も死ぬのかもしれない。
体の奥の叫びが枯れて、温かかったはずの体も冷めていく。そっちも生きる事を諦めたみたいだ。
俺の意識はそこで途絶えた。
*
*
*
「3年間あっという間だったね、ユウ」
「そうだな……俺らもう高校卒業しちゃうのか……」
母校の校舎を眺めて、しみじみとした気分になる。
通ってた時は全然思わなかったけど、大人が高校はあっという間だって言っていた意味がやっと分かった。
もう、卒業式が終ってしまった。入学したての課題で悲鳴を上げていた頃が懐かしい。
もちろんそれだけの高校生活じゃなかったし、その課題のおかげで行きたい大学にも入れた。自分なりに、青春を楽しめたんじゃないかと思う。
「ユウ、今までありがとう」
「おいおい、急に改まってどうしたんだよ~」
「だって、ユウがいなかったら私……ここに通うことなんて絶対出来なかったから……」
「そんな事ないだろ。リカが頑張ったからだよ」
「そう……かな……?」
「当たり前だろ!」
「……ふふっ、ありがとう」
リカは陽火に照らされた金髪を揺らして笑う。
……世話になったのはこっちの方だっての、全く。
「俺の方こそ……ありがとな、相談に乗ってくれて」
「え? ……ああ、別にいいわよ」
リカはそっけない返事を返す。
軽く流されてしまったけど、この相談は俺にとって凄く重大なことだったんだ。
高2の春、俺はクラスメイトの八尋瑞月に恋をした。当時バスケしか眼中になかった俺には、本当にどうしたらいいのか分からなかった。
そこで助けてくれたのがリカだった。
「ユウはほんとバスケ一筋だったもんね。私がいなかったらどうするつもりだったの?」
「い、いやあ……悪い……」
リカのアドバイスは同じ女の子だからか的確で正しかった。おかげで俺は今日……八尋を校舎裏に呼び出せた。
正直、入試当日よりも緊張してる。
2年分の想いが、今日に懸かっているから。
「思い出したら緊張してきた……ああ……! やばいって!」
「大丈夫よ。ていうか今までユウに告白してきた子も同じくらい緊張してたの! 今度はユウの番ってことよ!」
「そう考えると本当に申し訳ないことをしたな、俺……」
「呪いとか掛けられてるかもよ。それでフラれたりして」
「バスケに集中したかったんだよ! 許してくれ! お願いだぁ!」
リカ、頼むから怖い事言わないでくれ。
告白する前に神社にお参りしに行った方がよかったかもしれない。
もう遅いけど。
「ま、ユウならきっと大丈夫よ。絶対成功するって!」
「だ、だよな!」
「ていうかそろそろ待ち合わせの時間でしょ。はやく行きなさいよ」
「おう! 行ってくるぜ!」
「頑張ってね~」
リカにぽんと背中を押されて、俺は校舎裏に向かった。
*
*
*
緊張に鼓動が速くなるのを感じながら校舎裏に辿り着く。するとそこにはもう八尋が立っていた。
まずい。待たせちゃったな……。
「自分から呼び出しておいて、女の子を待たせちゃ駄目だよ上城く~ん」
「すみませんでした!」
「いいよ。ちゃんと10分前だし。えらいえらい」
凛としていて少し儚げな雰囲気の美人。それが八尋の第一印象だった。実際は明るくて面白い女の子。
話してみるとはじけるような笑顔を見せてくれる。そういう所が本当に好きだ。
「で、話って何?」
八尋はにいっと笑って聞いてくる。
その笑みからして話の内容が八尋にはもう筒抜けのような気がする。でも仮にそうだったとして、自分から動かないでどうする。
俺は、勇気を振り絞って口を開いた。
「八尋」
「はーい」
「好きです。俺と付き合ってください!」
「いいよ」
「……えっ?」
いいよ……って事は。
「付き合ってあげる」
「や、やったあああああああああああああああ!!!」
喜びが全身を駆け巡る。
2年分の想いが……! 報われた……っ!
「そんなに喜ばれると照れちゃうなぁ。私の事大好きじゃん」
「そりゃあ……ずっと好きだったし……!」
「わ、わーお」
八尋は顔を赤らめて小さく両手を上げた。
喜びすぎてちょっと引かれてるな……でも嬉しいからしょうがない!
「なんとなく私のこと好きなのかなって思った時もあったけど……いつから好きだったの?」
「多分初めて話した時、かな……あの時にはもう堕とされてたよ」
「早っ。上城くんチョロすぎでしょ。浮気しないでよ」
「する訳ないじゃん! 人としてありえないって!」
「あはは、冗談だよ。上城くんはそういう人じゃないって分かってるから」
「そ、そう……」
実は、いつ好きになったかっていうのをあんまり覚えてない。気が付いたら八尋に惹かれていた。
でも恋って大体そういうものなんじゃないかと思う。
「これから、よろしくね」
「よ、よろしくお願いします……」
改まって八尋にそう言われて、ちょっと緊張が戻ってくる。差し出された白くて細い手を優しく握る。
触れただけなのに幸せな感覚が手から伝わってきた。もう一度、ちょっとだけ勇気を出して誘ってみる。
「この後予定ある?」
「ないよ~」
「じゃあ帰りにどこか寄らない?」
「いいよ。ふふっ、さっそくデートだね! エスコートよろしく~」
「もちろん」
「ふふっ」
八尋は嬉しそうに笑ってくれた。
誘ってよかった……!
本当にいい笑顔だなあ……!
気を抜くとすぐにきゅんとさせられてしまう。
「どこ行く?」
「今ドーナツ食べたいから……マスドがいいな~」
「よし行こう」
「わーい!」
両手をあげて喜ぶ八尋。
マスドでここまで喜んでくれるなんて……。
大学生になったら、バイトして、色々な所に連れていってあげたい。
八尋の進路は俺と同じ大学だから、帰りに待ち合わせするのもいいかもしれない。
夢がどんどん膨らむなあ!
必死に八尋に追い付こうと勉強した甲斐があった……!
そうやって俺が輝かしい未来に胸を弾ませていた時だった。
俺の何もかもが奪われたのは。
背後からズザッ……と靴が擦れる音が聞こえた。
「ぐっ……ぅ……」
その時にはもう、八尋の背中にナイフが突き刺さっていた。青いセーラー服を血が赤く染め上げていく。
「えっ……」
フードを被ったその人間は、ナイフを引き抜いて八尋を滅多刺しにした。
あまりの躊躇いの無さに、あまりの殺意に。
俺は声を発することも出来なかった。
「な、なん、で……」
血塗れの八尋が力なく倒れると、殺人犯は俺の方を向いた。一瞬の事で顔は見えなかった。
八尋の命を奪ったナイフが、俺の腹にも突き刺さる。
「がっ……ぁ……」
燃えるような熱さと激痛が、体中に命の危機を叫ぶ。でも、悪あがきすら許されない。
俺が最期に見たのは八尋の死体だった。
*
*
*
『起きろ』
「うっ……」
あれ……ここは……?
俺はどうして寝てたんだっけ……?
……いや、寝てたんじゃなくて殺されたんだ。
だったら、何で生きてるんだ? それともここは天国なのか?
辺りを見渡すと、一面雲が広がっていた。
やっぱり天国なのかもしれない。
『あんなちっぽけなナイフぐらいで死ぬなんて弱すぎぃ~! つまようじに刺されて死んだのと変わんないじゃない! だっさ~!』
「な、なんだ!?」
甲高い小さな女の子の声が脳内に響いてくる。
『しかも女の子の肉壁にもなれずに死ぬとか……! ヘタレとかってレベルじゃないわよ……っ! きゃはははははは!!!』
「うっ……!」
一体何なんだよこの声は!
幼い声なのに悪辣さがまとわりついていて気持ち悪い。
その声は不快な笑い声を上げた後、俺に脳内から呼び掛けてきた。
『はっはっ……ひぃ、ひぃ……! はぁ……さーて、さんざん笑わせてもらったところで自己紹介してあげる♡ ざこざこの人間ちゃ~ん! 上を向いてごらぁ~ん!』
「えっ……」
言われるがまま目線を上げると、そこには。
派手な棘と体を持つ、山よりも巨大な毛虫らしきものが空に浮いていた。
それは青や赤や緑などカラフルな棘を、黄色のソーセージのような体から生やしている。芸術的なその形状に、驚かずにはいられなかった。
「うわっ!?」
『おやぁ~? おやおやぁ~!? 人間ちゃんたらワタシのキュートな姿にときめいちゃったのかなぁ~? でもごめんね! ワタシつまようじで死ぬような人とは付き合えないかなぁ~! ごめんねぇ~!』
声の主は、空中にいる毛虫と同一人物みたいだ。
とにかく図り知れない存在だということだけが分かる。
何なんだ、こいつは……。
『さあ人間ちゃん、ワタシの自己紹介を鼓膜引きずり出して聞いてね♡ ワタシは生命の神ブラントルテ! 生命を司って遊んでるの! シュミは生物の色んな鼓動を聞くこと! よろしくねぇ~!』
「か、神……!?」
『そうよ! ワタシは神様なの! 崇め倒しなさい!』
これが、神……?
白い衣を羽織ったお爺さんのイメージしかなかったから想像とは全然違ったな……。
一応敬語使った方がいいだろう。
失礼な奴だと思われて地獄に落とされる、なんてこともあるかもしれないし……。
気を付けよう。尊敬できないどころか関わりたくもないけど。
『で、人間ちゃんの名前は上城悠斗でしょ? もう趣味とかも全部知ってるから自己紹介しなくていいよぉ~』
「ぜ、全部?」
『神なんだからそれくらい出来て当然よ! 上城悠斗18歳、身長は175㎝で体重は63㎏の細マッチョのイケメンね。血液型はA型でバスケが好き。割と何でもそこそこできて友達多い陽キャで優しいお姉さん系のビデオが性癖……うーんここまでは普通で面白くないわね。せめてSMくらいには目覚めて欲しかったわ~。つまんないの~!』
「ええ……」
本当に全部知られてる……イケメンかどうかは置いといて、この神が強大な力を持っていることは間違いない。
その割には明かされた内容がしょぼすぎるけど。
と、そんな呑気なことを考えていると。
神は、いや奴は。
さっきから見せていた邪悪さをさらに解放した。
『でも死に方はまあまあ面白かったから許してあげる! 好きな子と一緒に死ねてよかったねぇ~! せっかく付き合えたのに一回もヤれずに死んで今どんな気持ち? ねえねえ今どんな気持ちぃ~!?』
「……は?」
好きな子って、まさか。
八尋?
やっぱり、俺と同じで助からなかったのか。
なんで、殺されなくちゃいけなかったんだ。
なんで、俺が守ってあげられなかったんだ。
「なんで……俺はあの時何も出来なかったんだよ……っ!」
悔しさだけが心を支配する。
泥に溺れた気分だ。
最悪だ。
俺はあの子に、何もしてあげられなかった。
奴は、悔いる俺に気色の悪い言葉を吐きつける。
『あははははは! やーい童貞童貞! 無駄に2年もけなげに待つからぁ~! 会った瞬間襲っちゃえばよかったのに~! まあアンタみたいなヘタレには無理だろうけどねぇ~! ざぁこざぁこざぁーこ♡』
「……ふざけんな! 俺はあの人を……そんな目で見てた訳じゃない! お前に俺の何が――」
『黙れ』
俺が怒鳴って奴に言葉をぶつけている途中、突然俺の顎の感覚が無くなった。その次の瞬間、親知らずを抜いた後の何倍もの痛みが俺の口に駆け巡った。
「――!!!!! ――――――――!!!!!!」
『お前って何? 誰に言ったの? まさかワタシじゃないわよね』
下顎だったものがべろんとめくれる。
後から考えればあれはおそらく顎を粉々に破壊されたんじゃないかと思う。
どういう力でやったのかは全く分からない。
その時は痛い、という次元じゃなかった。
激痛からすぐに意識は無くなった。ショックで気絶したんだろう。
『起きろ』
意識が戻り、痛みから解放される。
顎も元に戻された。
『あんまり怒ったり怒鳴ったりしないでよねぇ~。あと自分の立場はちゃんとわかってるわよね。悠斗ちゃんはもうそろそろ大人なんだからちゃんとしなさいよぉ~。じゃないとワタシ、悠斗ちゃんで遊んじゃうぞぉ~? きゃははは!』
「……」
『返事』
「………………はい」
『よ~しよしよしいい子いい子いい子♡』
はい、と言うしかなかった。
理不尽すぎて、怒りも湧かない。
全身が震えて、今度は恐怖で埋め尽くされる。
『ま、お遊びはこのくらいにして本題に入るわね』
「はい」
出来るだけ、刺激しないように返事をする。
『悠斗ちゃん、ざこざこのアンタに朗報よ! “トモグイパラダイス”の出場権をあげちゃうわ!!!』
「はい」
『ほらむせび泣いて喜びなさい!』
「やった……! やったああああああああああああああああああああ!!!」
俺は両手を上げて全力で喜んだ。
何一つ嬉しくないのに。
奴の考えることだ。
どうせろくでもないものに違いない。
『きゃははは! さっきから必死すぎぃ~! やっぱり人間ちゃん達はカワイイなぁ……! で、“トモグイパラダイス”っていうのはね、ワタシが主催してるゲームのことなんだけど、一言でいえばデスゲームかしら。ニエモンっていう魔物を使役して戦って、見事に勝ち残ったら何でも願いを叶えられるの! 最高でしょ!?』
「はい」
『もっと元気に!』
「さいっっっっっっこおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
デスゲーム……やっぱりろくでもなかった……。
願いを叶えるって言ったって、人を殺してまで願いを叶えたいとは思えない。
『は? うるさすぎでしょ。鼓膜破れるかと思ったんだけど。もっかい死んどく?』
「誠に申し訳ございませんでした……どうかお許しを……!」
『きゃはははは! 冗談だって~! や~いビビってやんの~!』
「…………」
胃が消えて無くなりそうだ。
俺は一体何をさせられているんだよ……。
『それでね? “トモグイパラダイス”の参加者はワタシがイッケイケにデザインした部屋で戦うことになるんだけどぉ~』
奴は満足したのか、説明を続けた。
*
*
*
『――大体のルールはこんな感じよ。わかった?』
「はい」
何がわかった? だ。
全く理解できやしない。
こんな悪意を煮詰めたようなゲームを開く神経が。
『それじゃあ早速レッツゴー! 一生懸命頑張ってね♡ 勝ちさえすれば八尋ちゃんを生き返らせる事だってできるんだから♡』
「はい」
『悠斗ちゃんが勝ち抜いて願いを叶えるのを楽しみに待ってるわ! まったね~ぇ!』
「はい」
奴がそう言うと、俺の視界は白に染まり遠のいていった――。
読んで下さりありがとうございます!