第九章(11/11)
母と父が笑っている。
レイナはそれが嬉しくて、ことさらにはしゃいでみせた。
幼いアレックスが、小さな手を振って全身で喜びを表現する。
そしてアルナウトはそんな家族を見て、静かに笑うのだ。
眩しい光の残滓のように頭の中に焼きついた景色は、やがて目を開けると消え失せた。次の瞬間には何の夢を見ていたかも思い出せなくなるのだが、それでも何か悲しい夢をみていたのではないか、というぼんやりとした想いだけは残った。
白い天井をしばし見上げてから、レイナはまた目を閉じる。
ずっと横になっているせいか、夢ばかりを見る。悲しい夢が多いような気がするが、それでも起きているよりはマシな気がした。起きていれば、自分の思考に押しつぶされそうになる。
隣から物音がして、ヘイスベルトが戻ってきたのだろう、と思う。
彼は本当にレイナを心配しているような顔をして、医師も連れてきてくれたし、世話も焼いてくれている。レイナはずっと彼の寝台を占領しているが、どうやらヘイスベルトは隣の部屋のソファで休んでいるらしい。
申し訳ないな、と彼に対してさえ苦い気持ちになる。
彼がレイナをここに連れてきたのだが、どうやらそれは彼の本意ではなく、むしろルドから命じられた兄がレイナを捕らえる前に自分が、とやってきたらしい。兄に捕らえられていたらその程度の怪我ではすまなかっただろうし、そのままルドに引き渡されるだろうからね——とヘイスベルトは語っていた。
それが本当のことなのかどうかレイナに知る由もないが、ヘイスベルトが本気でアレイスを手に入れたいと思っているのは分かる。ヘイスベルトが本気でこの国をゼロから建て直そうと考えていることも。
「どうした、柄にもなく弱ってるじゃねえか」
急に聞こえた声に、レイナは驚いて目を開けた。
そこには久しぶりに見るアレイスの姿があって、思わず口を開けた。彼の名を呼んだつもりだったが、それは声にならなかった。
どうして彼がここにいるのだろう。
ヘイスベルトはアレイスが助けに来るだろうかと言ったが、レイナは彼は来ないような気がしていた。——というよりも、むしろ来なくていいと思っていた。
レイナのことで、もう誰にも迷惑をかけたくはない、という気分だったのだ。アレイスにはなんだかんだと言って結局、色々と助けてもらっている。レイナのことで彼の身や立場が危うくなるのであれば、いっそレイナのことなど忘れて欲しい——。
アレイスはしばらく何とも言えない表情でレイナを見下ろしていたが、やがて何を思ったか、ベッドの脇に置いてあった小さな器を持ち上げた。それに口をつける彼を、何をしているのだろうと見上げていると、急に鼻をつままれた。
何をするんだと開けかけた口に、彼の口がぶつかる。目の前すぐにある顔に驚いていると、口の中に何かが流れ込んできた。思わずそれを飲み込んでしまってから、口の中に広がる苦い味に、レイナは咽せる。
「な、に」
咳が落ち着いてから彼を見上げると、アレイスは顔を顰めていた。苦い、といって舌を出した彼は、テーブルに置いていたグラスを持ち上げると一気に中の水を呷った。
「……なにするのよ」
「ろくに薬も水も飲まないって聞いたからな」
だからといって急に口移しで飲ませるだろうか、とレイナは彼を見上げる。くちびるに残る感触と、口の中に広がったままの苦い薬の味に、レイナは非難の意味を込めて顔を顰めて見せる。
彼はそんなレイナを見下ろして笑った。水差しからグラスに水を注ぎながら、軽く言ってくる。
「水も俺が飲ませてやろうか」
楽しそうな声音に、レイナは彼を見上げる。
彼はこんな場所でも、いつも通りのアレイスだった。泰然としていて、自信に満ちた顔で、こちらの反応を面白そうに見ている、そんないつもの彼だ。
アレイスは魅力的だとヘイスベルトは語ったが、たしかに魅力的なのだ、と今更ながらにそう思う。
彼には力があるし、多くの仲間もいる。その中には彼に助けられた人間も多いというが、彼はきっと打算ではなくそうしている。役に立つから助けたとか、そばに置くとか、きっとそういうわけではないのだ。どういうつもりでレイナを助けたのか、とずっと考え続けてきたが、彼はたぶん何の見返りも求めていない——そんなことにようやく思い至る。
彼の明るい色の瞳は、大抵は今のように笑っている。苦労をかけていたとしても、例えばレイナのせいで大変な状況に置かれたとしても、彼はきっと笑えるのだろう。
アレイスは、レイナを助けにきてくれたのだろうか。
そうだったら良い。
と、今度は素直に思えた。




