第九章(9/11)
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ドアが開くと同時に、中にいる男の鋭い声がした。
「誰だ」
短い言葉は、そこに怯えや恐怖がのっていたとしても、気づかせはしないだろう。ソルはアレイスの背を追って、部屋に体を滑り込ませた。中は暗い。明かりをつける間もなかったのだとすれば、ドアの開く音、もしくは外から聞こえた物音に、慌てて飛び起きたばかりというところだろうか。
「俺だよ」
アレイスが素っ気なく返す。
相手がはっと息を飲むのが、暗闇で研ぎ澄まされた耳に届いた。そんな短い言葉で正体が知れたのだとすれば、彼らは随分と近しいのだ、とソルは思う。
この部屋に来るまで、ルドの屋敷の内外にはもちろん見張りはいた。
だが、万が一にも貴族たちに狙われて暗殺されないようにと、どこにいるかもほとんど知られていない。逆に居場所を知られないようにと、大々的な軍勢で護っているわけではないらしい。
アレイスはソルの力を使って川を渡ってからは、闇に隠れながら歩いてまっすぐ屋敷に入り込んだ。途中で出会った不寝番を一瞬で気絶させたり、扉の前に立っている護衛の首に鞭をとばして相手に気づかれる間も無く締め落とすアレイスを見て、ソルは内心で首を捻った。
ソルも人目につく場所で魔術を使うわけにはいかないから、と剣を持ってきているし、剣がないとしてもそれなりに戦うスキルはある。どちらも母から教わったものに我流を加えたものだが、何にせよ敵が出てきたら自分も働くつもりではいたのだ。
——が、全くソルが手を出す隙などない。
普段からこんなことしてんのか、とでも聞いてみたい気はしたが、阿保か、と笑われて終わりだろうと思ってやめた。そもそも彼が一番すごいのは、こうやって敵を音もなく倒せる技術を持っているところではない。ルドのいる場所を突き止めて、その手の内を把握しているところなのだ。
男はこちらを警戒しながら、ゆっくりと寝台からおりた。彼の動きに注意を向けていると、アレイスが言った。
「暗いな。ソル、灯りをつけられないか?」
「火の民」
扉を入ったところに燭台があるのには気づいていた。それにぼっと火が灯ると、夜の闇に慣れていた目に痛いほど、急に視界が明るくなる。
一瞬、眩しそうに眇められた黒い瞳。
ルドの姿がはっきり浮かび、ソルは初めて見る男をまじまじと見る。
男は想像していたよりもずっと小柄だった。一代で勢力を五倍にも十倍にもしたと言われる彼は、ソルが生まれる随分と前から暗躍している。かつての王族の生き残りであるからか、それとも将来必ず王になると見られているからか、彼は組織の内外からすでに王と呼ばれている。
そのこともあり、ソルは勝手に威厳に満ちた大男を想像していたのだが、身長も体重も平均的に見えるし、寝間着を着ているということもあり、いまいち威厳も感じられない。立派な髭を蓄えているわけでもなければ、筋骨隆々なわけでもない、どこにでもいる普通のじじいに見えた。
「呼んだか?」
唐突に言ったアレイスの言葉だったが、彼は全く表情を変えなかった。このような状況でも狼狽えていない——というところは、さすがに普通のじじいとは違うところか。
「言っている意味がわからんな」
「どうせ俺の動きくらい予想できていただろう。そんなに俺の顔が見たかったんなら、素直にそう言ってもらいたかったな」
笑いながら言った言葉に、ソルは密かに兄の顔を見る。
アレイスがこんな夜中に自分の寝室にまで押し込んでくることを、さすがのルドでも予想できたはずはない。だから彼の言葉は明らかな皮肉に間違いないのだが、それを本気で楽しそうに見える顔で言うから、彼は厄介なのだ。
ルドは不愉快そうな顔をした。
「相変わらず自意識が過剰な男だな。お前になど用はない。さっさと目の前から消え失せろ」
吐き捨てるかのような言葉に、アレイスはただ笑った。そしてそのまま近くにあった椅子に腰を掛ける。ルドはそんなアレイスを忌々しげに見下ろし、今度は鋭い視線をソルに向けた。
「お前がソルか——なるほどアレイスによく似ているな。兄弟揃って、ふざけた真似をしてくれる」
それは挑発とも脅しともとれる口調だったが、何を言われたところでどうということもない。
むしろ、この状況で威張れるというのはどういう心境なのだろう、と素直に疑問に思った。外にでれば知らないが、今ここで生殺与奪権を握っているのはソルたちだ。
「悪いな」
言ったのはアレイスだった。
寝間着で立ち尽くす男と、魔術師を従え椅子に座って不敵に笑む彼。この場だけみると、どう見てもアレイスの方が偉そうに見える。
「ふざけた真似はこれが最後だ。次はない」




