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第九章(7/11)

 

 ヘイスベルトはレイナが寝ている寝台に近づいてくるなり、口を開いた。


「俺に対する嫌がらせってわけじゃないよね?」


 何を言っているのか分からずに、レイナは彼の顔を見上げる。

 相変わらず彼の黒の瞳が放つ光は強いが、それもだいぶ見慣れてきた。剣を持っていた時の鋭い刃のような雰囲気や、ルドや他の人間と話している時に感じた異様な存在感も、部屋に二人きりでいる分にはさして感じはしない。


 ヘイスベルトは、丁重に扱いたい、といった最初の言葉通り、レイナを丁重に扱ってはくれていた。食事や着替え、顔や体を洗うための水などは自ら運んで来てくれるし、包帯の交換なども彼がやってくれる。時間がある時にはレイナの話にも付き合ってくれるし、彼が部屋を出るときには必ず、何か必要なものはないか、と聞いてくれる。


「なんのこと?」


 レイナの声が擦れて割れる。彼はレイナの額に手のひらをぺたりと当てて、少しだけ眉間に皺をつくる。そしてレイナに水の入ったグラスを示した。


「食欲がないのなら、せめて水くらいはとって欲しい。——死にたいわけじゃないならね」


 飲むようにと促され、レイナは仕方なく体を起こした。

 喉の渇きはたしかに自覚してはいたが、ひどく頭と体が重く、起き上がる気になれなかったのだ。手にしたグラスに口をつけると、たしかに生き返るような感じがする。体内にくすぶる吐き気や眩暈は、もしかしたら脱水による症状もあるのかもしれない、と今更ながらに思う。


「……私があなたへの当てつけで死を選んでいるとでも思うの?」

「ここで君に死なれて、一番困るのは俺だからね」


 ヘイスベルトの言葉に、レイナは苦笑する。

 

 死ぬつもりはなかったが、起き上がるのも食事を取るのも面倒だという投げやりな気分になっている、という自覚はある。


 傷のせいではないだろうが、熱があり、体を起こすのもつらい。ひどい風邪でも引いたのだろうか。そもそもここに来る前から、多少の体調不良はあった。それが、ここに来るまでに色々とあったせいで、ひどく悪化をしたのだとしても無理はないことだ、とどこか他人事のように思う。


 王都にいる家族のことや、ステフェンのことや、アレイスのことや、クルーたちのこと——色々と考えていると眠れなくなる。誰かが自分のために何か深刻な事態に巻き込まれているのではないだろうか、と思うといてもたってもいられなくなるのだ。さらには、王都に住む貴族たちはこれからどうなってしまうのだろうか、ここに住む子供たちはこの国では幸せになれないのだろうか——なんて、そんな考えても仕方のない考えまでが頭の中をめぐりめぐる。


 そして熱を持ってぼうっとする思考はふと、このまま消えてしまいたい、という感情を浮かび上がらせる。


 消えて泡になれば、この思考の渦から解放されるだろうか。


 できれば、自分が死んで悲しむ人たちに知られずに。消えてしまうことで、レイナのために不幸になる人がいなくなれば良いのに。


 水面にぽつりと浮かんでは消える泡沫のようなそんな感情に、レイナは一人ひっそりと苦笑する。

 王都を出る前にはよくそれを考えていた。王都を出てしまえばもう、そんな感情とは無縁になるのではないかと思っていたが、そう上手くはいかないらしい。




 このまま自分は魔術を使えないだろう。


 かつてレイナがそう覚悟したときに、一番に浮かんだのは泣き崩れる両親の顔だった。

 レイナの兄は十六で自ら死を選ばされた。彼はどうあがいても魔術を得ることはできず、家族全員で悩み苦しみ抜いた挙句に兄は死んだ。レイナも大好きだった兄がいなくなったことにやり場のない喪失感を覚えたが、精一杯気丈に振る舞おうとして全く振る舞えていない両親を見て、彼らの苦しみを想像することもできなかった。


 彼らはレイナが魔術を使えないことで、きっと自らを責めるだろう。レイナが死ねば、兄を失った時と同じだけ悲しむし、レイナが王都に出ればきっと、一生心配と悲しみを続けるのだ。


 家族だけではない。魔術を使えないことで、だんだんと周囲の目も変わってきた。哀れみや蔑みを持ったものや、いずれくるだろう別れに密かに備えて距離を取るものもいる。近しい友人たちなどには、焦っている人間が多かった。なんとかレイナが魔術を得ないかと焦り、自分に何ができるかと焦る。もしかしたら彼らは、レイナが王都を出れば、自らを責めるのかもしれない。


 レイナを失ったことを悲しみ、何もできなかった自分を責め続ける——兄を失ったレイナと同じように。


 それを考えると、自分の存在など彼らの記憶からさっぱり消えてしまえれば良いのに、といつも思っていた。だが、例えレイナが死んだところで、彼らの記憶から消せはしないのだ。


 そこでレイナは、早々に王都を出る準備を始めることにした。魔術を得ることよりも、王都を出て一人で生きていける準備を進めよう、と思ったのだ。王都の外にも世界は広がっている。王都を出ることが不幸なこととは限らないではないか——と。


 そんなふうに前向きな様子を周囲に見せることに決めた。強がりとしか思われなかったようだが、実際に強がりも含まれているから仕方がない。だが、レイナが泣きながら王都を出るよりも、楽しそうに出ていく方が、まだ彼らにとっての救いではないだろうか。


 と。


 そう思って王都を出たのだ。

 レイナはどこかで幸せに暮らしているだろう、と思ってくれればいい。そして彼らが出来る限り早く、レイナのことを忘れてくれるといい。


 ——そう思っていたレイナにとっては、彼らに対する切り札に、自分という存在が使われることほど苦しいことはない。

 

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