第九章(5/11)
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「レイナがヘイスベルトに連れていかれたらしいな」
ソルの言葉に、アレイスは頬杖をついた姿勢のまま、視線だけを向けてきた。相変わらず気怠げな様子の彼は、ソルをしばし眠そうな目で見上げる。昔から彼は朝が弱い。寝起きを襲えば、子供でも勝てるかもしれない。
「早かったな」
「何がだ?」
ソルはそう聞いたが、アレイスは肩をすくめただけだった。
朝早くから彼を訪ねたことを言っているのか、レイナがヘイスベルトに連れ去られたという情報を仕入れるのが早かったと言っているのか、それとも長老がソルを寄越すのが早かったと言っているのか。もしくは、ソルの村からこの街まではだいぶ距離がある。伝言を受け取ってから、ここを訪れるまでの時間が早かったと言っているのかもしれない。
「忙しいんじゃなかったのか?」
「忙しそうに見えないか」
「暇そうか、せいぜい眠そうにしか見えないな」
苛立ったソルの言葉に、アレイスは笑った。
長老にアレイスを連れてこいと命じられたソルは、村から一番近いアレイスの拠点へと出向き、いつもの方法でアレイスを呼び出そうとした。だが、建物を訪ねるなり、ソルを待ち構えていたかのように『ソルさんですか?』と声をかけられたのだ。
明らかに見たことのない男だったが、ソルの特徴でも伝えられていたのだろう。十代半ばの若い男が1人で訪ねてくることは稀だろうから、分かりやすいといえば分かりやすい。困惑しながらもアレイスに会いにきたと言うと、彼は心得ているように頷いて、地図を手渡してきた。
『忙しいから、俺に会いたいのならお前がこっちに来い——だそうですよ』
そんなアレイスからの伝言に、ソルは慌ててこの街へと向かってきた。
どうやって長老に命じられたソルがアレイスを訪ねてくる、ということを知ったか知らないが、わざわざ待ち受けていたということは、何らかソルと合流したいのかもしれない、と思ったのだ。相手の方から呼ばれたことなどこれまでないし、いつものらりくらりとしている彼が忙しいと言ったのも聞いたことがない。
レイナがヘイスベルトたちに捕らえられたらしい、と長老が言っていたこともあるし、もしかしたらアレイスはそれを奪還するために奮闘しているのではないか——と。
そう思って全速力で来たのだが、ソルを出迎えたのはいつも通りの兄であった。午前中で調子が悪いということもあるのだろうが、皿に乗せられた食事を興味もなさそうに突いているだけのアレイスを見て、ソルはため息をつく。
「レイナは大丈夫なのか?」
「さあな」
「……心配じゃないのか?」
ソルの言葉に、なぜかアレイスは面白そうな顔をした。
「お前は心配なのか? 数日、顔を合わせた程度の関係と思っていたがな」
からかうような言葉に、ソルは顔を顰める。
数日も顔を合わせて、色々と話をした相手が敵に拐われたとなれば、多少なりとも心配するのが当然ではないだろうか、と思う。しかも相手は若い女性であるし、敵は色々と厄介なところだ。
だが、彼の言葉はたぶん、そういうことを指しているわけではないのだろう。ソルが母親と同じ境遇にいるレイナを心配していることを、揶揄しているのだ。
「……一度も顔を合わせたこともない元貴族を心配して拾ってきたあんたに言われたくはないな」
ソルがそう言って睨むと、アレイスは楽しそうに吹き出した。
「そりゃそうだ」
てっきり否定されると思っていた言葉を軽く流されて、ソルは驚いた。
一度も顔を合わせたこともない元貴族を心配して——というのはソルが勝手に言っただけで、実際に彼がどんなつもりで拾ったのかどうかなど聞いたことはない。もしかしたら、長老やルドたちに対抗する手段として何かしら使おうとしているのではないか、と思っている部分も多少なりともあったのだ。
アレイスは優しい人間ではあるが、それ以上に冷静であり、脇目も振らずに他人を助けたり心配したりするような性格ではない、とソルは思っている。そもそも、母親に虐げられているようにしか見えなかった彼は、母親や自分を憎んでいてもおかしくないのではないか、とも思っているのだ。
そんな彼が、母と同じ境遇にいるというだけで、どんな人間かもわからない人物を探して助けようと思えるのだろうか。
ソルは常々、自分は母親から未だに離れられていないのではないかと思う時がある。だが、もしかしたら兄も、ソルが考える以上に母の存在に引きずられているのかもしれない。




