第一章(7/10)
深い眠りが、一瞬にして覚めた。
一気に意識が急上昇し、今いる場所がどこなのかわからなくなる。見えたのは暗い天井。そして、窓から差し込む薄い白の光。太陽の光ではない。真っ暗な部屋に、ぽっかりとした丸い月の灯りが落ちていた。
意味もなく焦燥感を覚え、思わず胸を押さえた。心臓は、先ほどから痛いほど脈打っていた。なぜ、起きてしまったのだろう。そう思った瞬間、床がみしりときしむ音がした。視界で黒い大きな影が動いて、レイナは息をのむ。
「!?」
急に、上から何かが覆いかぶさってくる。声を出そうとすると、強い力で口元をふさがれた。痛いほど顔を押さえつけられて、レイナは思わず手を伸ばす。だが、太い腕はびくともしなかったし、足をばたつかせても体の上に馬乗りになるように何者かがまたがっていて、はねのけることができなかった。
「おとなしくしてろ」
脅すような低い声を耳元に叩きつけられ、レイナは目を見開いた。聞き覚えのある声。それはすぐに、ここの店主の顔に結び付いた。ようやく、自分がいるこの部屋がどこか思い出し、そして恐怖する。
最初からこういうつもりだったのだろうか。動きを止めたレイナを観念したとみたのか、男は思い切りレイナの襟元を引っ張ると、ボタンごと寝着の合わせを裂いた。そして直接、服の中に手を差し込んでくる。一気に血の気が引いた。
すでに口を押えられてはいなかったが、声を出すことは思いつかなかった。口の中がからからに乾き、舌も動かなかった。体はこわばったように動かないのに、どくどくと全身の血液が大きくうねっていた。体を探るような乱暴な手つきに総毛だつ。
震えたレイナに嗜虐心でも刺激されたのか、男が喉の奥で低く笑うのが聞こえた。店の前で声をかけてくれたあの男性と、同じ人物はとても思えない歪んだ顔が、薄暗い部屋にはっきりと浮かぶ。その顔に、レイナの中で恐怖より怒りが勝った。
震える手を何とか制御すると、自身の脇腹のあたりを探る。男はレイナの動きを制止してこない。それの感触を見つけた時には、もう忍耐の限界だった。躊躇するような思考が浮かぶ間もなく、それを男の横腹に叩きつけて、思いきり引き抜いた。
耳がおかしくなるほどの大声で、男が叫んだ。覚悟してはいたが、鼓膜が痛いほど震えて、レイナは思いきり顔をしかめる。苦悶にのけぞった彼の体の下から何とか両足を出すと、レイナは彼を思い切り寝台から蹴り落した。男はさらに大声で叫び声をあげる。
レイナは素早く立ち上がると、片手で服の前をあわせた。必死に息を整えていると、彼の悲鳴を聞きつけたのか、階段を駆け上がってくる音がする。
「どうした!?」
怒号のような声と、複数の足音。とっさに扉に近づくと、寝る前に何度も確認したはずの鍵が開いている。
店主なら、当然、合いかぎを持っていたのだろう。レイナは舌打ちをしてから、扉を閉め、改めて鍵をかけた。間一髪、ドアを乱暴に叩く音が聞こえ、男たちの声が響く。もしかしたら、事情を話して彼らに助けを求めれば良いのかもしれなかったが、どうも男たちの様子はそうしたものではない。壊れるのではないかと思うほど、ドアが叩きつけられる。レイナは寝台を押して、ドアの前まで移動させた。気休めでしかないが、少しは時間稼ぎができると良い。
床に転がっている男は、脇腹を押さえるようにして体を丸めていた。彼の足元を見ると口の空いたレイナの荷物が転がっている。もしかしたら、彼がレイナを襲う前に物色していたのかもしれない。急いでそれを拾い上げると、床にものが落ちていないか手さぐりで探る。何もないのを確認してから、彼のわきを刺した小さなナイフを、シーツで血を拭ってから袋に放り込む。枕元に置いていた剣を拾うと、レイナは男の首にそれを鞘ごと突きつけた。
「何か奪ったものがあるなら出しなさい。今なら、楽に殺してあげるわよ?」
言いながら、痛いほどそれを首に押し付けると、男がひきつるような声を出して体を固くした。
「なにも取ってない……! 本当だ、助けてくれ……!!」
「指輪が一つ減ってるけど?」
鞄をのぞき込みながら言うと、男は必死に首を振る。痛みからなのか、恐怖からなのかわからないが、男の体は大きくふるえていた。そのせいで、レイナが押し付けている鞘が男の首に食い込んでいくが、それにすら気づかぬ様子で必死に訴えてくる。
「痛い……本当に何も取ってないんだ……! 助けてくれ、命だけは!」
「女の子を襲っておきながら、随分とムシの良い話よね」
レイナはそう呟くと、男はまたひっと悲鳴のような声を上げる。もっと痛めつけてやりたい気はしたが、こうしたやり取りの時間も惜しく、レイナは手っ取り早く男のみぞおちにつま先を入れた。男は悲鳴を上げることすらできず、気を失った。指輪が減っているなんていうのは嘘である。この暗がりの中、いちいち中身など検められるわけがない。だが、男の反応からすると、本当にまだ何も取ってはいないような気がした。
彼にとってみれば、レイナを殺して荷物を奪うこともできただろうし、レイナを無理やり自分のものにしてから、身一つで外に放り出しても遅くはなかったのだろうから、当然と言えば当然である。レイナは思わず顔をしかめたが、そうしている間にも、ドアを叩く音は激しくなっていた。
レイナは荷物の口をしっかりと縛ると、窓から外にほうった。外は月の光が明るく照らしていたが、それは地面につく前に暗闇に消える。どさりという音と、ヒンと啼く馬の声だけが聞こえる。レイナはさらに鞘に入れたまま剣もほうると、窓枠に足をかけた。
「……なかなかの試練よね」
ここは二階の窓である。と言っても、昼間だったら、躊躇なく飛び降りただろう。日のあるうちにのぞいたそこは、草の生えた土の地面で、何も置かれていなかった。と思う。だが、地面は暗く何も見えない。着地点が見えないということがこれほど恐怖を感じるものだとは思わなかった。
少しの間、自分から飛び降りる覚悟はできずにいた。が、ひときわ大きな音がして、ドアが大きく歪む。その音に押されるように、レイナは息を止めて飛び降りた。どこまで続くかわからない浮遊感に、冷や汗が出る。長い時間に感じたが、実際は一瞬だろう。両足に強い衝撃を感じ、それから両手を地面につく。しっとりと濡れた草の生えた地面は、思ったよりも柔らかく、ほっと息を吐いた。
背後を振り返ると、明かりの付けられた部屋の窓から、男たちが数名、こちらを見下ろしているのが見えた。レイナはすぐさま起き上がると、急いで荷物と剣を拾った。馬がいたのは幸運だった、とつくづく思う。馬をつないでいる紐を一刀で叩き切ると、レイナは馬に乗って町を出ていった。