第九章(3/11)
「だから、出来るだけ丁重に扱うつもりはある。その怪我だって、一番斬られても支障のなさそうな場所を選んだんだけどね?」
ヘイスベルトはそう言って、レイナの包帯を見下ろした。
斬られても支障のない場所などレイナの体のどこにもないが、確かに利き腕や両足と違って動けないことはない。それに、傷口の痛みさえ無視すれば、今でも左手の指や腕は支障なく動かせるのだ。あのスピードの中で、そこまでを計算して正確に腕を狙ったのだとしたら、レイナが思っている以上に彼との実力差があるということだ。
「……それだけの余裕があったのなら、怪我をさせずに取り押さえることもできたはずだと思うけど?」
「そうだね。傷をつけたのはもちろんわざとだ。それなりに血まみれでいてもらったのもね。無傷で捕らえたとなれば、ルドは俺を疑うし、レイナには代わりに傷の一つや二つは付けていたはずだ」
言っている意味が全く分からない。
無傷で捕らえればルドはヘイスベルトを疑い、レイナには傷をつける。だが、怪我をしているレイナに対しても、ルドは首を絞めて脅してきた。それは傷のうちには入らないのだろうか。
そう考えて、レイナは唐突にあの時の彼らの会話を思い出して、はっと息を飲む。
「——ラウもここにいたの?」
ラウレンスの協力を仰ぐのも骨が折れた、対拷問の訓練でも受けているのではないか、と言うようなことをヘイスベルトは言ったのだ。その時にはレイナは息も絶え絶えの状況で、彼らが何を言っているのか理解も出来なかった。だが、後から思い返してみると、それはすなわち、彼らがラウを力ずくでねじ伏せようとした過去があると言うことだ。
ラウの両腕には、まさに拷問されたのではと思うような無数の惨たらしい傷がある。
「そうだね、しばらくはいたかな」
「あの傷はあなたたちが負わせたの……!?」
レイナは思わず体を起こしていた。ガン、と頭と腕の傷とが激しくいたんだが、それよりも怒りの感情の方が強い。
「そうだねって言ったら、レイナは大人しく俺たちの協力をしてくれる気になるかな? 怪我は少ないに越したことはないよね」
淡々と言われた言葉に、ぞくりとする恐怖と、それ以上に怒りの感情が湧きあがる。だが、何をしようと相手に敵わないこの状況では、拳を振り上げることすらできない。レイナのやり場のない感情がぐるぐると体の中をめぐる中、ヘイスベルトはじっとレイナの反応を確かめるかのように眺めていた。が、やがて軽く手を挙げる。
「まあ、大人しく協力する気はなさそうだし、レイナを追い詰めても意味はないから先に言っておくけど、彼の傷の大半はどっかの変態が付けたものだよ。俺らはそこからラウレンスを救出した——と思ってるんだけどね」
「どう言う意味?」
「元貴族を高値で買って、それを痛めつけて楽しんでいた趣味の悪い変態を見つけたから、そこから拐ってきたんだ。俺らも王都にゆかりのある人間は手元に置いておきたいしね。助けたかわりに色々と協力してもらおうと思ったんだけど、全くと言っていいほど彼は動いてくれなかったな」
ヘイスベルトはそう言うと、何故か急にレイナにグラスを差し出してきた。意味がわからずレイナが困惑していると、彼はそれを握らせる。
「体を起こせたのなら、水でも飲めばいい。一度も水分を口にしていないだろう」
言われ、レイナは喉の痛みに気づく。これはルドに掴まれたせいかと思っていたが、喉の渇きもあったのかもしれない。素直に口をつけると、冷たくて甘い水が体に吸い込むように消えていった。
喉が潤い、レイナはだいぶ声が出しやすくなる。
「本当にラウに手を出してはいないの?」
「まあ、それを言われると、頷けはしないけどね。一つか二つくらいは傷が増えたかもしれないし、さっきのルドのような脅しくらいはかけてる」
さほど悪びれる様子もなく言う彼に、レイナは顔を顰める。
「それでも全く口を開かない彼に辟易してたら、どこから聞きつけたのかアレイスがやってきたんだ。彼が手元に置きたいと言ったから、貸してる」
「……貸して?」
「アレイスの方には返すつもりなどないだろうけど、こちらとしては必要な時に返してもらうつもりにはなっている。——そうでも言わないと、父が手放すわけがない」
それを、もしかしたらラウも分かっているのかもしれない、とレイナは思う。彼のアレイスに対する微妙な距離感は、いずれここに連れ戻される、と思っていることに起因するのではないだろうか。
「彼は本当に口が利けないんじゃないかとすら疑ってたんだけど、アレイスのところでは普通に喋ってるみたいだね」
ヘイスベルトはそう言って、微かに口元で笑った。
「個人的には、さほどラウレンスに興味はない。彼が何も喋らなくても彼の素性は分かっているしね。それより彼を放っておくことでアレイスに貸しを作れることの方が大きいな」




