第八章(3/10)
赤い空が紫色に変わり、レイナは天を仰いだ。
刷毛で描いたような雲が、沈んだばかりの陽を反射して鮮やかに輝く。レイナがいるのは身長よりも高い塀に囲まれた裏庭だが、それなりの広さがあるので、空の大きさを遮りはしない。雲がまるで生きているかのように形を変えながら、視界の淵へと流れていくのが見える。上空は風が強いのだろう。
風の民が風を生んでいるのだろうか。それとも風のあるところに風の民がいるのだろうか。
以前、友人に聞いたことがある。
ステフェンの側には、名前をつけて懐いている風の民が何体もいる。だが彼女らに聞いてみたところで、彼女たちは何も喋らない、その答えは聞けないのだと彼は語っていた。魔術師たちは長らく精霊を使役してきたが、その実、精霊については分かっていないことの方が多い。
今日はクルーとリュカは来ないらしい。
レイナはそう内心でつぶやいて、剣をしまった。先程まで打ち合っていた青年は、汗だくで部屋に戻ってしまった。それからは一人で剣を振りながら二人を待っていたのだが、もうすぐ夕飯の時間だろう。来られない時にはクルーが事前に教えてくれることが多いのだが、何か仕事が遅くなったのか、別の用件が入ったのか。レイナより遥かに忙しい彼らだ、そんなこともあるだろう。
ソルのいた村から、最初にいたラナンクルスの町に戻ってきて、どのくらいが経っただろうか。
アレイスはもっぱら出歩いておりここに顔を見せることは稀であるし、なるべく一人で外を出歩くなよと言われていたレイナは、言われた通りにほとんどを建物の中で過ごしていた。ソルのところの長老は、レイナの家族やステフェンの名をちらつかせていた。もしもレイナが彼らにとって本当に人質としての価値があるのだとしたら、迂闊に捕まって迷惑をかけるわけにはいかないのだ。
それについて考えると、レイナの気は沈む一方だった。
どうやらアレイスたちは本気で国家の転覆を企んでいるらしい。そして彼らの話をどこまで信じるかにもよるが、それは全くの夢物語ではなさそうだ。着実に王都の戦力と自身の戦力を見極めているし、貴族に正面から対抗できる力を持った魔術師さえ擁している。
戦になれば両者に被害が出るし、本気で貴族たちが一掃されるようなことになれば、王都にいるレイナの家族や友人たちはどうなってしまうのだろう。
レイナに何かできることはないか、とずっと考え続けている。
例えば、王都に行って、誰か知り合いにでもこの現状を訴える。仮にステフェンやリュートに話ができる状況になれば、きっと彼はレイナの話を真剣に聞いてくれるだろう。そうすれば、彼らを通じてそれを陛下の耳に入れる事もできる。
そうしたら——そうしたら、どうなるのだろう。
貴族たちはアレイスたちを叛逆者として討つだろうか。それとも馬鹿げた話だと一蹴されて終わるだろうか。それとも、両者の衝突が早まるだけで結果は変わらないのだろうか。
アレイスやソルの話を聞く限りにおいては、本当に貴族たちは弱体化している。政治的にも国を支配できているとは言えず、国民たちに国という組織としての恩恵は届いていない。魔術の力を見せびらかすことでかろうじて国民の反乱を抑えているだけで、それでは実質の支配者とは言えないだろう。
レイナが中にいたころには磐石な都であることを疑っていなかった王都だが、いまでは砂上の楼閣、もしくは薄氷の上に乗っているような印象すら受ける。何か少しでも衝撃が加われば——たとえば軽はずみなレイナの言動で——全てが落ちて沈んでしまうのではないか。
馬鹿なことと思いながらも、そんな嫌な想像がふり払えない。
「レイナ」
可愛らしい声がして、レイナは振り返る。
裏口からクルーとリュカが呼んでいた。
ここにいてもレイナには家事以外になにもやることがなく、それならばせめて、と少し前からクルーやリュカに剣術を教え始めた。二人はそれをとても喜んでくれて、この町にいるときには毎日のようにレイナに声をかけてくる。
そうやって裏庭で模擬刀を取る三人の様子を見て、自分も護身術くらいは学びたいと声をかけてくる若者や大人達がぽつりぽつりと出てきた。レイナがそれを快く引き受けているうちに、いまでは毎日のように、多くの志願者が入れ替わり立ち替わりやってくるようになった。
レイナを目当てにこの町に来る仲間が増えて、部屋が足らないんだ、と前にアレイスが笑ったことがある。
レイナと一緒に剣を打ち合う仲間を見て、綺麗な女に完膚なきまでに叩きのめされるってのも悪くないだろうな、などと呟く彼に、ならば手合わせをしないかと声をかけたことがある。が、女を叩きのめすのは趣味じゃない、とかわされただけだった。
下手な付け焼き刃なら歯向かわずにさっさと白旗をあげたほうが怪我が少ないぜ、とクルーたちには語ったアレイスだったが、レイナのやっていること自体には口を出しては来なかった。生兵法は怪我のもとであるというアレイスの言も分かるが、やはり子供であったとしても身を守る手段はあったほうが良い、とレイナは思う。それに、いずれ彼らは大人になるのだ。その時には、正しく力を使えるに越したことはない。




