第八章 そして戦いの幕が上がる(1/10)
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すっと音が消えていくような感覚に襲われ、ステフェンはあたりを見回した。
最後尾に近いところを走るステフェンは、前の馬たちが立てる土埃をもろにかぶる位置にいる。土煙に霞んだ視界では前の馬について行くのが精一杯で、右手側が岩肌が晒された崖、左手側が基本的に見晴らしの良い大地になっているということくらいしか分からない。ときおり鬱蒼としげる森が現れ道を狭くしているようだったが、何頭か横並びで馬が通れるほどの道幅は確保されていた。荷馬車が通れるように整備されているのだろう。完全に道が塞がれるようなことはない。
街や民家、道ゆく人の姿などは見えない。
目的地である次の街まではあと小一時間ほどか。前の街を出る前に地図で確認したときには、もう途中に街や村はなさそうに見えた。
自身の駆る馬の蹄の音や風の音も含め、十五ばかりなる人馬での移動で、耳にはやかましいほどの騒音が響いている。にもかかわらず、周囲の音が静かになったような気がすることに、ステフェンは困惑していた。周りを走る人々を見回しても、特に変わった様子はない。誰かに敢えて訴えるほどでもない僅かな違和感、だが、すぐ隣を走っていた陛下の護衛と目があった。
どうかしたのかと訴えるような視線にステフェンが口を開こうとしたそのとき、急に前方が騒がしくなった。
と同時にすぐ前を行く人が停止したため、慌てて手綱を思いきり引いた。ぶつかるのではないかと焦ったが、前の馬の尻にぶつかる前にぎりぎりで停止する。急停止させたからなのか、それとも別の理由か、興奮した馬たちの嗎があたりに響き、ひとつ遅れて前方の人々のざわつく声がする。一斉に止まったせいでさらに土煙がひどくなっており、前方を行く人々の状況も、中央にいるはずの陛下の姿も見えない。
何があった。
そう叫んで聞きたい気持ちはあったが、全員がやみくもに叫んでも意味はない。むしろ今は耳を澄まして前方の情報を待つべきだと、このメンバでは一番の若輩のステフェンでもそう考えた。もちろん陛下の視察に同行する精鋭たちがそれを考えないわけはなく、ステフェンの周りは一瞬で静まり返る。
「襲撃だ! 矢が放たれた! 周囲に警戒しろ!」
一際大きな声が響き、ステフェンは愕然とする。それに何を考える間もなく、「上だ!」という叫びが耳を打つ。
ステフェンが視線を上げると、土にかすんだ空気の向こうで青い空がキラと煌めくのが見えた。それがこちらに向かって飛来する大量の矢だと気付いたのは、単なる僥倖か、それとも最初に「矢が放たれた」という言葉があったからか。恐怖なのかなんなのか、ぶわっと全身が総毛立つ。
なんにせよステフェンは、咄嗟に叫んでいた。
「風の民!」
自分の体が持ち上げられそうなほどの強風が、下から突き上げる。大量の土埃を巻き上げて空に向かった力は、土煙に霞んでいた視界をきれいに晴らし、同時に滑空していた大量の矢を吹き飛ばしていた。
ほっと息をついたのもつかの間、大地が割れるような大きな音が響き、人々の悲鳴がした。
「弾き飛ばせ、土の民」
誰かの太い声が響く。見れば、右手の崖から大量の岩や土砂が降り注いできている。大部分は土の民が散らしたが、防ぎ切れていない。だが、これだけ大勢の魔術師の集団にもかかわらず、続く魔術の詠唱は聞かれなかった。それに強烈な違和感を覚えながらも、ステフェンは再度、自身の精霊の名を呼ぶ。
「風の民、走れ!」
大量の風が岩肌を駆け上る。落ちてくる岩や土を押し上げた風は、そのまま崖の上に吹き上がる。上から悲鳴のような声が聞こえて、ステフェンは敵が崖の上に潜んでいることを知る。続けて叫んだ。
「風の民、上だ、散らせ!」
「追え、森にも潜んでいる! 逃すな!」
ステフェンが魔術で崖の上で身を潜める敵を散らしている間にも、誰かの指示が飛び、何名かが馬で隊を離れていこうとする。左手前方の森にも、人が潜んでいたらしい。多くの敵が馬で散り散りに離れていくのが見えたところで、陛下の声が聞こえた。
「待て! 隊を分散させるな。それより早急に被害を確認し、ここから離れることが先だ。魔術が使えなければ、相手の思うツボだからな」
陛下の言葉に、ステフェンは驚いて周りを見回す。言われてみるとたしかに、この地には精霊の姿が全くと言っていいほど見えない。だからみな魔術を使えなかったのか、と納得するとともに、不自然なまでに精霊の気配のない空間に寒気のようなものを感じた。もしかしたら音が消えたようなあの感覚は、精霊の気が消えたから感じたものなのかもしれない。
「離れるぞ。まずは開けた場所に向かう。それから、アルベルの屋敷へ向かおう。ここはあいつの領の管轄だ」
陛下の声が近くで聞こえたと思ったら、ステフェンのすぐそばに姿があった。陛下の身は無事だろうかと気を揉んでいたので、とりあえずは怪我もない様子を見てほっと息をつく。陛下はてきぱきと周りに指示を出し周囲の状況を探らせていたようだが、やがて馬に跨った。
「助かった、ステフェン。お前がいなければ敗走していたな」
隣でさらりと言われた言葉に、ステフェンは頭の中でもやもやとしたものが湧き上がるのを感じた。それがなんなのか、答えをさがそうとするが、その間にも陛下は馬をかる。
ステフェンは慌ててそれを追った。周りに精霊の姿が見えない以上、魔術を使えるのは自身の周りに精霊を付き従えることができるステフェンだけだ。陛下の護衛たち、それから陛下自身ともに魔術を使わずとも剣の腕は確かだが、やはりそれでは心許ないのだ。




