第一章(5/10)
頭の下に振動を感じて、レイナは薄く目を開けた。
ぼんやりとした視界が焦点を結ぶと、薄暗い部屋が目に入る。壁際に無造作に積まれた木箱に、白い天井。冷たい木の床に頬をつけたまま、ここはどこだろう、と思う。がたがたと床が音を立てて揺れるたび、ひどく頭が痛んだ。頭を抱えたかったが、体が動かない。
自分はどうしてしまったのだろう。
ここはどこなのだろう。
なぜ、レイナはこんなところにいるのだろう。
ぐるぐるとめぐり続けていた思考も、徐々に強くなっていく頭痛とともに、ようやく実を結んだ。レイナは王都を追放されたのだった。道中、襲ってきた男たちから逃れた。だが、力尽きて地面に倒れた。
そして?
そして、自分はここにいる。自身で動いた記憶はないため、誰かに運ばれたのだろう。
そこまで考えて、一気に意識が覚醒した。体が十分に動かないことに、改めて汗がふき出す。どこか深刻な怪我でもして動けないのだろうか、と思ったのだ。
だが、冷静に体を確認してみると、動かせないと思っていた腕は、手首をまとめて紐のようなものでくくられているだけだった。体に異常があるわけでもないし、足は拘束されているわけでもない。全身に痛みはあるが、特に動かせないということはないだろう。ゆっくりと手と足を動かしてみて、そう判断する。
体が動くということは悪くないが、捕らえられている、というこの状況はさほど楽観できるものではなかった。あの男たちが追ってきたのか。それとも、別の人間に拾われたのか。どちらにせよ手を拘束されて転がされている以上、善意の通りすがりということはないはずだ。
レイナは音を立てないように、慎重に上体を起こした。
どうやらここは、馬車の中らしい。さほど大きな馬車ではない。レイナ以外にあと数人も乗れないだろう。灯りがあるわけでもないのに視界が利くということは、夜ではないはずだ。だが、白い幌からうすぼんやりと差し込む光からは、時間帯は知れない。いったい、どれくらい意識を失っていたのだろうか。
周りを見回すと、木箱の上にレイナの剣が放置されていて、思わず息をのんだ。幌の中に、レイナ以外の人はいない。レイナが持っていた荷物は置かれていないようだが、それよりまずは武器だ。
誰がレイナをここに積んだのかは知らないが、少なくともレイナを追っていた男たちではないだろう。彼らがレイナを見つけてさらったのなら、せめて後ろ手に拘束しているだろうし、少なくとも武器とともに放置するようなことはしない。
音を立てないように細心の注意を払いながら、剣を拾い上げる。鞘から刃を少しだけ出して、手首の紐に当てた。そのとき、急に馬車が揺れて、レイナは眉を寄せる。ほとんど痛みは感じなかったように思うが、少し遅れて血が流れてくるのが分かる。傷つけた場所が悪かったのか、思った以上の出血に心の中で舌打ちをする。
声を出さなかったのは我ながら上出来だが、昔から不器用なのだ。試行錯誤しながら紐を切り終えたころには、もう一つ、小さな切り傷もできていた。止血しようか迷ったが、どちらも放置したところで死ぬような傷ではないし、馬車が汚れたところでレイナの知ったことではない。
それよりも、とレイナは足音を立てないように御者台に近づき、聞き耳を立てた。かすかに男たちの声が聞こえるが、揺れる馬車の音がうるさくて内容までは聞き取れなかった。だが、会話をしているということは、相手は二人以上。せいぜい三人だろう。この大きさの馬車で御者台に乗れる人数など知れている。
今度は幌の後ろに近づき、そっと外の様子を窺う。景色は相変わらず赤茶けた岩砂漠で、意識を失う前と何も変わらないように見えた。そして、馬車が並走している気配もないし、馬に乗った仲間がいるようにも見えない。
そこまで確認して、改めて御者台の裏に近づいた。剣を握り、ゆっくりと息を吸い込む。そして息と一緒に声を吐き出した。
「ここはどこ?」
馬車の音に紛れているが、聞き取れないことはないだろう。男たちの会話は聞こえてこなかったが、スピードが少し緩まったように思えた。相手の出方を待っていたが、やがて、御者台から幌の布を開けて、ひょこりと男の顔がのぞいた。レイナはすかさず真正面からそれを殴りつけ、御者台に押し戻した。
と、同時にレイナも男と一緒に御者台に飛び出す。
「なんだ!?」
声を上げる間もなく転がった男と、中から飛び出したレイナを見て、外にいた男は思わず立ち上がる。外にいるのは、彼ひとり。周りを見回しても、仲間らしき人間はいない。彼は手綱を握っているため、武器を握ってもいない。唖然とした表情のまま、呟いた。
「お前、どうして」
剣を一緒に転がしておいて、どうして、というのも間抜けな話である。それとも、レイナを剣も握れないか弱い女の子として扱ってくれていたのだろうか。
「わたしをどうするつもりだったの?」
剣を突きつけたレイナに対し、男はぱくぱくと口を動かすが、言葉は出てこない。答えられないということは、どうせ聞いてもまともな理由ではないのだろう。手当をしてもらっているような形跡もないし、そのままどこかに売り払ってしまおうとでも思っていたのか。
レイナはふっとため息をついて、足元に目をやる。そこには、レイナが持ってきた荷物があり、今度は安どの息を吐く。中身を確かめるが、特に減っているものはなさそうだった。
「動かないほうが良いと思うけれど。倒れてる女の子を縛り付けるような男、怪我しても同情しないわよ?」
荷物を確かめるレイナを隙と見たのか、動こうとした男に剣を突きつける。男は両手を手綱から離して固まった。そんな男に、今度は鞄から取り出した地図を突きつける。
「ここの場所を教えてくれる? どこに向かうつもりだったの?」
男が指示したのは、レイナがいたところから西方に位置する場所だった。もともと向かっていた町からは随分と離れてしまっている。砂漠の西方にある町に向かった方が良いだろうが、歩くと丸一日はかかるだろう。そう考えてから、レイナは対峙している男ににっこりとした笑顔を向ける。
「この馬、一頭外してくれる?」
意外と運には見放されていないのかもしれない、と思う。乗馬も練習しておいてよかった。馬車から外してもらった馬に乗り、レイナは次の町を目指すことにした。