第六章(2/11)
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ざわりと土の気が立ち上る。
地面に張り付くように溜まる朝靄のようなものは、風もないのにゆらり蠢く。地面を霞ませるその色は暗い赤か、濃い茶か。それに紛れるようにして、ところどころに黒い狼がいた。見惚れるほどに艶のある黒毛。ヤツらは揃って赤い瞳をしており、ソルを睨みつけるようにこちらを見据えている。
黒く狼に見えるその存在は、土の民である。彼らは支配すればすぐにこちらの意を汲んで動くのだが、そうでなければ大抵はこんな風にソルを睨んでいる。彼らにとって、ソルは敵なのだろう、と考えることがある。精霊を使役する魔術師は、彼らにとっての主とされている。が、決してこちらに近づこうとはせず、代わりに厳しい視線を向けてくる狼達を見ていると、彼らにとって魔術師とは精霊たちの力を掠め取る盗人——もしくは精霊たちを操る悪魔という存在なのではないだろうか、と思ってしまうのだ。
「聞いているのか」
声が聞こえて視線を上げると、黒い狼の随分と向こう側に、火の民——赤い狼と、風の民——白い狼が見えた。この土地はもとより土の支配が強い。たまに雨でも降れば水の民——青い狼の姿も見えることがあるが、乾燥したこの地ではほぼ稀で、もっぱら黒い狼ばかりだ。
精霊たちは見るものによって姿が違うらしい。ソルはいつも狼達を力でねじ伏せるイメージで魔術を使うのだが、イザークなどは可愛らしい妖精達にお願いするイメージなのだと言っているからやっていられない。どうせならソルも綺麗な女性を使役したかった。そうは思いつつ、こちらに寄り付かずに常に睨みを利かせる狼たちを見ていると、いかにもこれが自分の精霊なのだという気がする。
「アレイスがなんだって?」
改めて目の前の人間に視線を合わせると、周囲に見えていた狼達も、地面に立ち上っていた赤茶色の靄も消え失せた。幼い頃には普通の景色も精霊達のいる景色もごちゃまぜで見えていたのだが、長じるにつれて意識的に切り替えられるようになった。おかげで寝起きに獰猛な狼たちが覆い被さってきている、なんて状況に怯えることは無くなった。
目の前に立っていたのは老人というにはまだ早い、だがソルなどから見るとどれも似たように見えるじじい達のうちの一人だった。四十を過ぎているのか、五十もとっくに過ぎているのか。ソルの父親よりも年上なのは間違いないだろうが、興味もないので聞いたこともない。ここにはじじいが沢山いる。彼らはどれも偉そうで威張っていて——それでいてソル達に対する怯えを見え隠れさせる。
それも当然だろう、と思う。
彼らはソル達を支配しているつもりでいる。
が、ソルがやろうと思えば目の前の男などすぐに炭にできるのだ。そんな相手を前に、全く怯えずに命令を出せるのは長老くらいなものだが、長老が決して強いわけではない。彼は単に、自分の手駒が主人に逆らうわけがないと盲信している馬鹿だというだけだ。
「アレイスは王都から出た貴族を保護しているらしい。それにどういうつもりかは知らないが、領主の縁者にも手を出してるな。長老がアレイスを連れてくるようにと言っている」
呼び出してどうするつもりなのだろうか。アレイスが勝手をするのは今に始まった事ではないし、連れてきたところでどうなるものでもあるまい。だが、それでも呼びつけたいのが権威というヤツなのだろうか。
「ふうん? それで」
「長老の命だ。アレイスに会ってここに連れてくるようにと」
「俺が?」
ソルがそういうと、彼は当たり前だろうという顔をした。嫌そうに顔をしかめてみせる。
「アレイスの居場所なんて俺が知るわけないだろう」
どうせフラフラしているのだろうから、捕まえるのも一苦労だ。そう訴えたが、各地にいる彼の仲間に聞けば良いのだろう、と突き放すように返答をするだけだった。その言いっぷりからすると、彼自身はアレイスの捕まえ方も知らないのだ。自分も出来ないことを人にやらせようとするなと言いたいところだが、そんなことを言ったらそもそも魔術も使えない人間たちが自分たち魔術師を従えようとしているところから間違っている。
ソルが面倒くさそうにため息をつくと、男は一瞬、びくりと体を震わせた。が、ソルの視線に気づくと、ふんぞり返るかのように態度を大きくする。他人事ながら、怯えていないフリをしなければならない、というのも難儀なものである。
「時間がかかるぜ」
出来るだけ不機嫌な声を作って言うと、男はソルが承諾したととったのだろう。あからさまにほっとした顔を作った。ソルが動かなければ長老の怒りは彼が買うのだろう。虎の威を借る小物に同情をする気は起きないが、実のところ、アレイスに会いに行けというのは悪くない申し出である。
こうした命令でもなければ、今のソルは自由にこの地を出ることも出来ない。
せいぜいのんびりとアレイスを探そうではないか。




