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第一章(2/10)


「手間をかけさせやがって!」


 背中を思いきり蹴られて、レイナはまた地面を転がった。激しくせき込む。涙でにじむ目の前に男の足が見えて、思わず体を丸めた。蹴られるか踏まれるか。そう思って次の攻撃に備えたが、予想していた衝撃はやってこなかった。レイナの頭上で、大きな声が響く。


「やめろ。大事な商品だぜ。死んだら元も子もない」

「これくらいで死ぬかよ。だが、この女のせいで、あいつらが」

「もとより多少の犠牲は覚悟していただろう。がたがたわめくな」

「そ、そんなことより血が止まらねぇよ! 誰か!」


 がんがんと音が頭に響く。全身が痛む。掌を握りこむと、ふるえながらだが何とか手を動かすことができた。歪んだ視界には、立って言い争っている男の足と、足を抱えてうずくまる男、それから血の付いたレイナの剣が見えた。


 あたまを起こそうとすると、がん、とひどく痛んだ。だが、動けないことはない。それを確認すると、レイナは胸元のペンダントを握りこんだ。手に吸い付くような、小さな石。その感触に、なぜだか涙が出そうになる。


「ステフェン」


 小さく、かすれてではあったが声がだせたことに感謝する。


「なんだって?」

 

 男がかがみこんでレイナを見下ろした。こんなに濁った眼をした人間は、王都にはいなかった。レイナが口を開こうとする前に、急に髪が持ち上げられ、首に痛みが走る。髪をつかまれて無理やり視線をあげさせられ、男の顔が目の前にくる。男が口を開くと、熱い息がかかった。


「何か言ったか?」

 

 ステフェン。わたしを助けて。

 

風の民(シルヴェストル)よ、叫べ!」


 レイナはペンダントの石をいっそう強く握りこんで、力いっぱい叫んだ。


 その瞬間、視界中に白い光が膨れ上がった。赤茶けた大地が、白く染まるように塗り替えられる。砂埃が舞い、男たちは全員、巨大な力にはじかれるようにふっ飛ばされた。音は全くしなかった。いや、耳がおかしくなってしまったのだろうか。全く音が聞こえなかった。レイナを中心に、四方八方にはじけ飛んだ男たちは、何度も転がり、止まる。まるで時間が止まってしまったかのように、一瞬、動くものが何もなくなる。


 しばらくして、レイナは重たい頭を持ち上げた。


 なるべく頭を動かさないようにしながら、ゆっくりと辺りを見渡す。あちこちから叫び声のようなものが聞こえてきて、レイナの耳がおかしくなっていないことと、全員が絶命しているわけではないのを知る。彼らがもつれる足で必死に立ち上がろうとしているのを見て、レイナは眉根を寄せる。


 彼らを殺したかったわけではない。だが、せめてしばらく動けないくらいには痛めつけておきたかった。全身の力を振り絞って、その場に立ち上がった。ふらりと上半身が傾いだが、なんとか倒れることは免れる。ぐらぐらと揺れる地面に、両足の力を入れて踏ん張った。


「ま……魔術……!」


 叫び声が聞こえて、レイナはそちらを睨み付けた。できるだけみんなに聞こえるように、大きく声をはる。


「貴族が欲しかったんでしょう! 魔術を使うから貴族なの。知らなかったの?」


 そう言って笑うと、男たちの顔は面白いように凍り付いた。


 化け物を見るような目でレイナを見て、それから後ずさるように遠ざかる。貴族に対する人々の恐怖は、それほど深いものなのだ、と改めて認識する。人の力の及ばない魔術というものを、人々は無条件に恐れている。レイナはそんな彼らに向けて、手を持ち上げる。剣も持っていない、小さな掌。だが、男たちはそれだけで悲鳴を上げた。


「よくも女の子の顔に傷をつけてくれたわね?」


 そういうと、彼らは負傷して動けない仲間をおいて、一目散に逃げだした。動けない男たちも、しばらく腕だけで逃げようとしていたが、恐怖から逃れるようにその場で倒れこむ。レイナは彼らの動きをしばらく見ていたが、やがて落ちていた自分の剣と、荷物を拾い上げた。


 速足で歩きだす。


 彼らが正気に戻って追ってこないとも限らないし、彼らのような人間がほかにいないとも限らない。彼らがどこかに逃げ帰り、大勢の仲間を連れて戻ってくるかもしれない。いずれにせよ、レイナはもう戦えない。


 魔術を使うから貴族なのだ。

 ——そして、魔術を使えないから、レイナは貴族の身分をはく奪され、王都を追い出された。レイナには何の力もない。魔術を持たない一般市民となにも変わらない。彼らも、それを分かっていたから少人数でレイナを襲ったのだろう。いま使った力は、ステフェンにもらった一度きりのまやかしのようなもので、二度使えるものではない。


 どれくらい歩いただろう。


 早く逃げなければ。そう思うのに、気づけば足が止まっていた。足を出したいのに、地に根が生えたみたいに動けなかった。男たちの姿は見えないが、もう遠くまで来たのだろうか。それとも男たちが遠くまで逃げたのだろうか。


 ずっしりと服が重いのは、彼らの血を浴びただけではない。自身の血もどれくらいか流れているだろう。特に、後頭部の傷が痛む。殴られた辺りから、どくどくと脈打つような痛みが全体に広がっていた。

 耐えきれず、レイナは地面に座り込んだ。座り込むと、もう二度と立てないような気がした。荷物の中から布を取り出すと、血が流れているのだろう、頭の傷に巻いた。地面に打ち付けた頬が腫れているのも気になったが、冷やすために貴重な水を使う気にはなれなかった。少しだけ、そう思って地面に頭をつける。

 

 日はさきほどより少しだけ赤く、傾いていた。このまま、夜になったら、どうなるのだろう。ここに獣はいないだろうか。日が落ちると、この地面はどれくらい冷え込むのだろう。


 このまま、眠ってしまったら、もう起きられないかもしれない。だが、それでも良い、と思えるほど疲弊していた。生きるためには、立ち上がらなければならない。立ち上がって、歩き続けなければならない。それはわかっていたが、意識を手放すという甘美な誘惑に勝てそうもない。


 貴族の身分をはく奪されて王都を出るのではなく、貴族として処刑されるという選択肢もあった。それを簡単にはねつけたレイナは、もしかしたら単なる世間知らずだったのかもしれない。外の世界で踏みつけられて惨めに生きるくらいなら、死を選ぶ。そんな選択をした貴族も知っているが、レイナはそれを選ぶ気にはなれなかった。


 ——後悔などは、してはいない。


 と、思うけれど。


 それとも、これからするのだろうか。

 レイナは胸から下げる太陽の涙を握りこみながら、意識を手放した。


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