第四章(3/9)
咄嗟に少女を助けたレイナだったが、実際、自分の身体がどう動いたのかは解らなかった。突き飛ばすと同時に、魔術の詠唱を聞いたのだ。理性ではなく、本能といえる部分で魔術の兆候を感じ取ったのか。それが出来ると思うほどには、王都で魔術を見てきていた。
「魔術師……領主様!」
そう叫んだのは、周りで見ていた人間の一人だ。
彼の叫びで、一気に場が凍りついた。魔術を使うことができるのは、貴族だけだ。そして貴族というのは王都で国を治めるものでもあり、領地を管理する領主でもある。迂闊に逆らっても良い存在ではない。
魔術を放ったことにより、フードが脱げており、魔術師の頭が晒されていた。女性のように長い茶髪に、血の気を感じさせない白い顔。唇だけがやたらと赤い。首や袖から覗く手首は異様に細く、全体的にひょろりとした印象を受けるが、男に食らわせた肘打ちを見る限りでは、力がないわけではないのだろう。領主様、と誰かが叫んだが、一般的に領主にしてはまだ若い。二十代だろう。領主の息子、といったところか。
「女。よく避けたな」
魔術を放った掌を今度はレイナに向けて、男は静かに言った。
静かさの中にも、冷やりとするような鋭さの混じった声に、レイナは背筋に冷たいものを感じた。少々距離はあるものの、首筋に剣を突きつけられているのと同じ状況だ。
「どうして子供を攻撃するのよ」
「鳴き声が耳に障ったからな」
「信じられない……」
施政者たるもの、力を持たねばならない。
長らく武断政治を敷くこの国で、貴族が力——魔術という圧倒的な力——を見せつけることは、ある程度認められている。だが、力だけでは国を治めることはできない、ということも同時に学ぶ。圧倒的な力と同時に教養や品位を持ち、国民のために働くことで、国を導くのだ。恐怖でだけで人々を押さえ付けては、必ず反動がある。長らく人間たちに虐げられ押さえ付けられてきた魔術師たちが、かつて人間たちに叛旗を翻したように。
そうは言っても、平民をあからさまに見下す者がいることは知っていた。領地に住む民を我が物のように扱う領主もいると聞く。それでも、罪のない子供に向けて躊躇なく魔術を放つような貴族がいるとは考えもしなかった。
まじまじと見つめるレイナに、青年は首を横に振った。
「貴族に対する口の利き方も知らないとは、教養がないというのは恐ろしい」
「余計なお世話よ」
「が、それだけに面白い。王都の人間にも、領地の人間にも飽き飽きしていたからな——」
彼はそういうと、赤い口元を歪めた。
「土の民よ、叫べ」
言葉と共に、彼の足元の地面がひび割れる。その亀裂は、猛スピードでレイナの方へと一直線に伸びてきた。レイナは咄嗟に飛び退く。道の脇にあった壁が、大きく音を立てて崩れた。
「中々、動きが良いな。女のくせに楽しませてくれる」
悲鳴がしたが、けが人が出なかったか確認するような余裕はなかった。レイナは黙って懐のナイフを右手に持ち、腰の剣を抜いて左手で握る。
「剣を使えるのか」
青年はそう言うと、可笑しそうに目を細めた。剣の間合いにはまだ遠い。彼はそのまま、腕をこちらに向けてきた。
「剣で魔術が食い止められるとでも?」
「剣を振るのと魔術を詠唱するのとでは、どちらが速いかしら?」
「面白いことを言う。頭の悪い人間と話すのもたまには悪くないな」
「私は、頭のおかしい人間と話をするのは御免ね」
レイナがそう言うと、男は僅かに眉を寄せる。そのまま、口を開こうとしたため、レイナは彼に向かってナイフを放った。そして彼との距離を詰める。魔術を放たれては勝ち目がない。先程のように、ある程度の範囲を絞った魔術なら避けようもある。が、放射状に広範囲に放たれた魔術を防ぐ術など、レイナにはないのだ。
その時、突然、男の顔色が変わった。空を切るように視界に飛び込んできた、黒い線。それは一直線に男の元へと向かい、吸い付くように首に巻きついた。男は思わずその首の紐を握る。
「お貴族様に喧嘩を売るなよ、面倒くさい」
いったのは、いつの間にか近くまで来ていたアレイスだった。彼は黒い紐——鞭のようなもの——の端を持っており、それで男の首を締め上げているようだった。剣を下げているようには見えなかったが、そんな武器を隠していたのだろうか。前にレイナが助けてもらった時も、たしかにそんなものを使っていた気がする。
アレイスは油断なく相手を見据えながら、小声で言う。
「逃げるぞ」
「え?」
「ヤツを殺せば次が報復に来るし、ヤツを離せばヤツが報復にくるだけだ」
アレイスがそう言った時、貴族の男は持っていた剣で自分の首を絞めていた鞭を叩き斬った。首に巻きついていた紐を外すと、彼は大きく咳き込む。
「だって、逃げるって言っても……」
レイナたちは逃げられるかもしれない。だが、道で泣いている女の子もいるし、道で倒れている男性も二人いる。周囲で見ていた人々も、逃げられないだろう。報復にくる、というほど執念深いのなら、レイナたちが逃げた後、貴族の男が彼らを無事に帰すとは思えないだろう。
アレイスはレイナの言葉を受けてか、周囲の人々を見回した。
「な、ん」
貴族の男が、咳き込みながらも怒りに満ちた声を上げる。その視線はアレイスに向けられていた。男は低く何かをつぶやいた。だが、それは声にならなかったようで、彼は苛立たしげに首のあたりを掻き毟る。アレイスの鞭で首を圧迫されたことによって、喉を痛めたのかもしれない。
「声が出せなければ、魔術師とはいえただの人だ。無理はしないほうがいいんじゃないか」
アレイスはそう言って笑った。
声を出せなければ、魔術を放つことはできない。馬鹿にするような笑いに、貴族の男は憤怒の表情をした。そんな男に向かって、アレイスは走っていく。男は持っていた剣を構え、アレイスに対してそれを振りかぶったが、アレイスは止まらなかった。剣を避けてから、そのまますぐ脇をすり抜けると、そのまま走り抜ける。
「ま——」
待て、と言う声にならない言葉をあげて、男はアレイスを追っていく。アレイスは走っていきながら、こちらを振り返る。咄嗟に彼らを追おうとしたレイナに対し、彼はどう言うつもりか軽く手を振った。
囮になって、一人で逃げるつもりなのだろうか。
だが、相手は魔術師であり、今は声が出せないとしてもすぐに出せるようになるだろう。そして相手は剣を持っていたが、アレイスは何も持っていない。唯一、持っていた武器のような鞭は、すでに叩き切られてしまっている。そんな状態で、一対一で、逃げきれるのだろうか。
レイナは迷ったが、躊躇しているうちに彼らの姿は見えなくなっていた。慌てて足を踏み出しはしたが、アレイスと違い、レイナはこの町の地理に疎い。探したところで追いつく自信はなかった。




