第一章 あたらしい世界と絶望(1/10)
一言で言うと、窮地に立たされていた。
人生最大のピンチだった。まだ十六年しか生きていない過去を振り返り、今後の決して明るくは無いだろう未来に思いを馳せてから、冗談ではなくそう思った。せめてこれが人生最期のピンチで無いことを祈りたい。
レイナは自分を取り囲む人間たちを、牽制するように見回した。
「何か用なの?」
そんなつもりはなかったのに、声がふるえた。それに内心で舌打ちをしたが、すぐに考え直す。か弱い女性だと思わせたほうが、相手を油断させられるかもしれない。追いはぎか、強盗か、人さらいか。なんにせよ、油断してもらったほうが都合は良い。
岩陰から出てきたのは八人。体格から全員が男だろう。姿を見せず、岩場に隠れている仲間がいる可能性はゼロではないだろうが、気配はない。彼らはそれぞれに剣や棒などを持っており、穏健な集団ではないことは一目で知れる。大半の男たちが来ている外套は土の色に染まってしまっており、中からのぞく服もあまり良い身なりとは思えない。
もっとも、この辺りでそれが普通の格好なのか、それとも異質なものなのか、レイナには判別できない。
「一人か? 物騒だな」
真ん中にいる男が、笑みを浮かべながら言った。間違っても友好的に見えない下品な笑いに、寒気に似たものを感じる。腰に佩いた剣にはまだ手をやっていない。レイナは警戒している表情を崩さずに、首を横に振った。
「仲間とはぐれちゃったの。近くにいると思うんだけど」
「一緒に探してやろうか?」
「いいえ。大丈夫」
ありがとう、と短く言って、歩き出そうとするが、当然ながら相手が道を開ける気配はない。困惑した様子を装いながら、さっと全員に目を走らせる。一対八。相手が丸腰なら何とかなるだろうが、全員が剣や棒などをもっている。荒事を生業としているのなら、それなりに腕もたつだろう。
まともに戦って、勝ち目はあるだろうか?
剣術には自信があるが、模擬刀を使った訓練が実戦でどれだけ通用するのか、試せる機会などなかった。相手の立ち位置を慎重に確認しながら、背中に冷たい汗が流れる。
「何が目的なの?」
相手の狙いが金なら、なんとかなるかもしれない。金銭なら、王都から持ち出したものが少しはある。それを渡してしまうと、これから生活できなくなるだろうが、ここで死んでしまったらどうせ金の心配など無用になる。
レイナの言葉に、男たちは話が早い、と笑った。
「金」
「お金なら」
言いかけたレイナの言葉をさえぎるように、男は言った。
「と、あんた」
そんな男の言葉は想定外だったわけではない。が、それでもレイナは全身が冷えるのを感じた。狙いが自分の体であれ命であれ、金とは違って簡単に渡せるものではない。返す言葉を失ったレイナに、つづけられた男の言葉は想定外のものだった。
「貴族は高く売れるからな。その金髪碧眼や白い肌もお貴族様としては完璧だし、女なら余計高値が付く。運が良かったぜ」
レイナはゆっくりと息をのむ。
まだ、馬車を降りてから一刻もたっていないだろう。休憩を取るほど疲れてもいないし、認識できるほど日も傾いていない。町はまだ遠い。こんなところで、レイナが元貴族ということを知っている人間たちに出くわすなんて、さすがに想定していなかった。
「貴族? わたしが?」
できるだけ心外に聞こえるように装ったが、男たちはにやにやとこちらを見ているだけで、動じた様子は少しもなかった。彼らの獲物を見るような視線に、今度は全身が熱くなる。理由はわからないが、彼らは情報を手に入れているのだろう。貴族が追放される場所はもしかしたら毎回、同じなのかもしれないし、誕生日に王都を追放されるということを知っていれば、時期も予測できないことはない。
そこまでわかって待ち伏せていたのなら、彼らは油断してはいないだろう。貴族というものは女子供でも、最低でも自分の身を守れる程度の剣の腕は身につけているものだ。施政者は力を持たねばならない、というのが武断政治を敷くこの国の方針であるからだ。彼らはそれもわかっているはずだ。
そう考え、レイナは覚悟を決める。
「もしもわたしが貴族だったら、いくらくらいで売れるのかしら?」
「悪趣味だな。自分の値段が気になるのか?」
そう言って笑った男たちに対して、レイナも口だけで笑う。
「あんまり安値だと悲しいじゃない」
「それじゃ、せいぜい頑張るんだな。金持ちの変態に気に入られるよう、」
男の台詞はそこで途切れ、代わりに叫び声が響いた。レイナは一足で男に近づくと、思い切って剣を抜きはらった。人の皮膚を裂く感触とともに、真っ赤な血が舞う。両足の腿を切りつけられた男は大声をあげながらその場に倒れこむ。
初めて人を斬った掌に残った感触と、吹きだす他人の血液とに、皮膚が粟立つような感覚を覚えたが、一息などついていられない。体が動くままに、傍にいた男の利き腕を深く払い、隣の男の剣を叩き落とす。人を殺めたくはない。だが、殺されるわけにもいかない。剣を握る掌は冷たく強張っていたが、それでも何とかこれまで叩き込んできた動きで剣を振る。
そこまできて、あっけにとられていた男たちがようやく我に返る。大振りに振り落とされた棒をよけ、背後からレイナを捕まえようと伸ばされた両手もしゃがんでよけると、目の前にいた男の足首を剣で払った。そして、立ち上がるタイミングで背後の男の腹に剣の柄を入れる。
剣が襲ってこないのは、レイナに怪我をさせないためか。そう思っていたら、視界の端で鈍い金属の刃が光った。それをよけられたのは、本能としか言いようがない。息を止めて、レイナは体をよじる。レイナを狙った男の剣は、レイナのすぐ向かいにいた他の男の脇腹をえぐった。負傷した彼らが武器をとれないとすれば、残りは四人。そう思った瞬間、背後からの衝撃で視界が激しく揺れ、目の前が真っ暗になった。
レイナは地面に頬を打ち付けていた。一瞬、意識が遠くなったが、すぐに激しい痛みが襲ってくる。地面の熱が顔を焦がし、後頭部も焼けるように痛い。棒のようなもので殴りつけられたのだろうか。全身がしびれたようになっていて、立ち上がろうとしたが、手を動かすことすらできなかった。