第三章 あたらしい生活と困惑(1/11)
レイナは薄く寝息をたてる男性を見下ろしていた。
眠っている時の彼は、普段と全く印象が違った。瞳を閉じてすやすやと眠る無防備な顔は、どこか幼い。大きな体を丸めて眠る格好も、まるで子供のようである。
こんなに印象が変わるのはきっと、目が開いていないからだろう。いつも楽しそうにこちらを見下ろす彼の目は、彼を飄とした雰囲気に見せているし、余裕があり揺らがない様子に見せている。まるで彼の内面を覗かせない鏡のようだ、とレイナは思っている。
彼はたいてい上半身は裸で寝ている。薄いシーツにくるまって子供のように眠っているのだが、浮き出た鎖骨や首筋の線はやたらと男性らしさを感じさせた。程よく筋肉がつき、しなやかに引き締まった胸や腕。王都でも大半の人間が体を鍛えており、筋肉質な男性が多いのだが、アレイスの体は長身にもかかわらず全く重そうには見えなかった。それでいて軽くて弱そうだ、とは到底思えない。
彼と一緒に歩いているときに何度かレイナは攻撃を仕掛ける想像をしてみたが、どうも彼の反応は予測できないし、勝てるイメージもわかなかった。力は到底レイナでは敵わないだろう。だが、もしかしたら速さや身軽さでも敵わないのではないだろうか。
そう考えて、レイナは服の中に隠したナイフの存在を思い出す。彼が起きているときには勝てるかどうか分からない——が、今なら確実に彼の首にそれを突き立てることができるのだが。
「おはよう」
人が部屋に入ってきて、こんなに近くに立っているのに、眠っていられると言うのはある意味で才能だと思う。彼はレイナの声に、少しだけ身じろぎをしてから、薄く目を開けた。彼の瞳は明るい茶色で、光の加減ではそれに赤が混じる。まるで紅茶のような色をしたそれが、不機嫌そうな顔を作った。
「朝よ朝。今日は出かけるんでしょう?」
レイナが声をかけると、彼は不服そうに口を尖らせた。
「眠い」
「そんなことを言われても」
ため息をつく。
まさか、朝、起こしに来いと言ったのが本気の言葉とは思っていなかった。彼は部屋の外にでる条件としてそれを言ったが、その後、毎朝起こしにくれば、三食と部屋を提供してやるよ、と言った。確かに朝は弱いようで毎日不機嫌ではあるのだが、別に暴れるわけでもないので、本当にこれだけでよければ楽な仕事ではある。
「おはようのキスをしてくれたら目が覚めるかも」
「他にも目を覚ます方法はあると思うけど?」
レイナがその場で拳をつき出すふりをしてみせると、彼は深いため息をついた。色気のねえセリフ、と呟いてから身を起こす。彼は寝台の上であくびをしながら大きく伸びをした。よくも出会ったばかりの人間を信用して寝室に入れるものだ、と感心する。眠っている間にナイフを突き立てられるとは思わないのだろうか。
「今後のために一つ教えといてやる。王都では知らないが、こっちでキスなんて挨拶みたいなもんだぞ」
「それをアレイス以外の人の口から聞いたら、考えてみるわね」
「ふうん」
そう言った彼は、廊下に聞こえた足音に反応してむくりと立ち上がった。いつもは寝台から降りるまでになんだかんだと時間がかかるから、今日は寝起きは悪くないのだろう。そう思って、部屋のドアを開けた彼を見る。
だが彼は、何を思ったか、そこを通りかかったラウを部屋に引き込んだ。部屋から出て来たラウは、アレイスと違ってすっかり身仕度は済んでいた。それもそのはずで、彼はいつも日の出とともに起床して、洗濯をし、朝食作りまでを済ませているのだ。今もべつに起きてきたのではなく、何かしら部屋に用があったのだろう。
「どうしました?」
「おはよう」
アレイスはそう言ってから、何の用だと首を傾げたラウに軽く口付けた。それを見て、レイナは固まる。すぐに離されたが、もちろん唇と唇である。彼は間近でラウを見ながら、もう一度おはようと言った。
「おはようございます」
つられるように言ったラウの返答にアレイスは頷くと、こちらを振り返って、な、と言った。
「……な?」
意味がわからず、レイナはただ眉根を寄せる。アレイスはこちらの反応と、あまり表情は変わらないものの戸惑っている様子のラウを見比べて、声を出して笑った。
「おはようのキスは挨拶みたいなもんだよ、な、って」
「ラウはそう思ってないみたいだけど……」
「そうか?」
アレイスはラウの顔を覗き込むようにする。すっかりいつもの感情の映らない表情に戻ったラウだったが、彼の言葉には少しだけ息を吐いた。嘆息したのではないだろうか。そんな反応に、アレイスは可笑しそうに笑った。
「おかげで目が覚めた。俺はまたしばらく離れるから、レイナを頼むな」
彼の肩を叩いて、廊下へ出ていく。
そんな彼の後ろ姿に、レイナとラウの吐いた息の音が重なった。




