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第二章(8/10)

 アレイスが姿を見せたのは、彼がここを立ってから八日目の昼だった。いつもラウが食事を運んでくる時間帯に、アレイスが部屋に入ってくる。彼はドアを開けるなり、レイナを見て怪訝そうな顔をした。


「なんで入ってくるのがラウでなく俺だってわかった?」


 警戒するようにドアから一番離れた壁に身を寄せているレイナに、彼は首を傾げる。久しぶりのアレイスの姿に少しだけ緊張しながらも、レイナは努めて平然を装って言った。


「ラウの足音じゃなかったもの」

「ふうん。いい耳をお持ちで」


 レイナが敢えて離れたところに立っていると分かっていながら、彼は無遠慮に距離を詰めてくる。すぐ目の前に立つと、彼は楽しそうにレイナのあごに手をかけた。


「オレがいない間、いい子にしてたか?」

「……あなたはどこかに触らないと話ができないの?」


 レイナは長身の彼を見上げて言った。怒っても構わない、と彼の反応を確認するための言葉だったが、彼は声を出して笑っただけだった。あごにかけていた指を離すと、今度は頭を乱暴に撫でられる。


「元気そうで何よりだな。服を着ているのは残念だが、まあいい。俺の趣味で俺が買った服だ」


 言われて、思わず苦笑する。


 上はちゃんと二の腕までの袖も生地の厚みもあるし、普通の服だと思うのだが、下に履いているのは太ももの見える丈の短いショートパンツだ。どうせ部屋も出ないし、ここでは女性が部屋でどんな格好をしているのか知らない。単なる部屋着なのだろうと気にもしていなかったが、彼の趣味と言われてしまうと、一気にあられもない格好をしているのではという気になる。


「いい趣味ね」

「皮肉かもしれないが、痛くも痒くもない。ついでに言えば、その足の形も俺の好みではある」


 遠慮のない視線を下に向けられて、レイナはため息をつく。


「私の足なんかがお眼鏡にかなったようで何よりね」

「俺の女にでもなる気になったか?」

「いいえ」


 レイナがきっぱりとそう言っても、やはり彼は怒らなかった。


 アレイスがどのような人物なのか、レイナには分からない。

 だが、ラウやクルーと話した時に、彼らがアレイスのことを嫌っているようではない、というのだけはわかった。どういう関係かは知らないが、少なくともアレイスは、彼らを踏みにじってはいないのだろう。それならば、話をする余地はあるのではないか、とレイナは考えていた。

 

 とはいえ、そもそもラウとクルーが信用できるかどうかも、レイナにはわからない。だが、彼らが信用できないとすれば、もはや打つ手はない。


 レイナは彼を真正面から見上げる。彼のくっきりとした茶色の瞳や、適度に筋肉のついたしなやかそうな体、それから何を考えているか分からない飄とした雰囲気は、どこか猫科の動物を思わせた。


「あなたのものになるつもりがないと、ここから出してもらえないの?」

「出たいのか?」

「せめて部屋の外にはね」


 レイナの言葉に、アレイスは面白そうに目を光らせた。


「部屋の外で良いのか? ここを出て行きたいわけでなく?」

「あなたの言うとおり、他に行くところなんてないもの」


 そういうと、彼は笑う。


「そりゃそうだろうな。部屋の外でよければ出してやるが、その代わり条件がある」

「内容にもよるけど、聞くだけは聞くわ」


 レイナが多少の警戒をしながらいう。そんなレイナを見ながら、彼はあくまで真剣な顔で言った。


「俺がここにいるときは、朝、俺の部屋に起こしに来いよ」

「は?」

「朝は嫌いだが、綺麗な女に起こされるのは悪くない」


 は、と呆れたような声が出た。

 そんなレイナを見て、彼は楽しそうに笑ってから、ゆったりとしたズボンのポケットに手を入れた。そして彼の手が出してきたものに、レイナはさらに目を丸くする。


「ここにいる気があるなら返しておこう」


 大きな掌に乗っているのは、指輪が二つとペンダントが一つ。小さなナイフが一つ。それから、鎖のついた琥珀色の宝石——太陽の涙が一つ。それらはここに来る前にレイナが身につけていたすべてのものだ。ぼろぼろになっていた服を脱がされて、身につけていたすべての持ち物が取られていたので、もうすっかり諦めていた。


 レイナはおそるおそる彼の手からそれらを取る。彼が金に困っていないというのは本当なのだろう。だが、武器であるナイフを返してくれるとは思っていなかった。掌に収まるような小さなものだが、あるのとないのとでは天と地ほど違う。


「ナイフも返しちゃっていいの」

「どうせ部屋の外に出すなら一緒だ。フォークでもナイフでも包丁でも武器になるものはいくらでも転がってる。剣はまだ返してやらないがな」

「太陽の涙も?」

「中身は空っぽだと踏んでるからな」


 だとしても、魔術師でない限り、本当に空っぽなのかどうかわかるはずがない。中に精霊が残っていたとして、レイナが砂漠で使ったような魔術を使うとは思わないのだろうか。


「随分と、自信があるのね」


 レイナは琥珀色の石を握りこみながら、言った。ナイフを与えても、太陽の涙を与えても、レイナが彼に攻撃ができないと思っているのだろうか。それとも、たとえ攻撃されたところで、負けることはないと思っているのか。


「まあな。そんなもので不覚をとるほど間抜けじゃねえよ」


 彼はそう言って笑ってから、ふっと真剣な顔で言葉を付け足した。


「——俺はな」

「おれは?」

「俺以外の人間に危害を加えないか、ってところは正直、あんたを信用するしかねえからな」


 普段の面白がっているような口調とは違う、真剣な言葉に、レイナは目を瞬かせる。


 レイナはアレイスのことをよく知らず、彼のことを信用できないと思っている。が、同時にアレイスもレイナのことなど知らないし、信用など出来ないはずだ。クルー達にも危ないからレイナに近づくな、と言っていたということは、レイナがいざとなれば素手でも戦えることは分かっているのだろう。その上で子供達もいる建物の中でレイナを部屋から出すのは、彼にとってリスクなのかもしれない。


「私を信用してるの?」


 レイナの言葉に、アレイスはふっと笑った。


「さあな。あんたはここを出て行くって言わなくなったってことは、俺のことを信用したのか?」

「……こんな部屋に無理やり閉じ込められて、信用も何もないと思うけど」

「そりゃそうだが、どうせ逃げ出す気なら、口先だけでもうまいことを言って油断させるだろうからな」


 彼はそう言うと、少しだけ首を傾げる。


「レイナにそんな器用なことができるのかは知らないが」

「……馬鹿にしてるの」

「さあな。なんにせよ拾ってはみたが、あんたのことはよく分からねえな。——まあ、他人のことは分かんねえくらいが面白いか」


 そう言うとアレイスは、おもむろにレイナの頭に顔をつけた。髪にキスを落とされて、思わず距離を取ろうとするが背中には壁があって動けない。だが、レイナが何かを考えるよりも先にアレイスの方が体を離した。


 彼はなに食わぬ顔で、腹が減ったな、と言う。


「昼飯でも食べに下りるか」


 彼はそう言うと、当然のように部屋の外にレイナを誘った。


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