第二章(6/10)
クルーもリュカも十一歳だと言った。王都にいるレイナの弟より二つ下である。レイナの弟はとっくの昔に魔術を使えるようになっているから、王都の外で彼と会うことはまずないだろう。
リュカはもっぱらハシゴの下で座り込んでおり、いつも登ってくるのはクルーだった。艶やかな黒髪と丸くて大きな黒い瞳。王都には黒色の瞳を持つ人がいなかったから、それだけで随分と強くて元気な印象を受ける。彼はいつも窓枠から目から上だけを出してレイナを見上げているから余計である。
「アレイスは私に近づくなって言ったんでしょう? 大丈夫?」
レイナがそう言うと、彼はにっこり笑った。
「バレたら怒られちゃうかもね。でもラウは余計なことは言わないし、レイナが黙っててくれればバレないよ」
そう言って彼は別の場所に視線をやる。ラウの部屋がある方だろう。クルーはそちらに向かって手を振ったから、もしかしたら今も、ラウが窓から彼を見ているのかもしれない。ラウとは食事を運んでくるときくらいしか話をしていないが、確かに彼なら余計なことは言わないだろうと言う気はした。
「じゃあ、内緒ね」
レイナがそう言って唇に指を立てると、彼はにっこり頷いた。
机の上には、花が三輪、飾られていた。
クルーはここに顔を出すたびに、花を一輪ずつ持ってくる。どこかで摘んだ花なのか、買った花なのかはわからない。また、昼間はどこかに行っているのか、彼らが顔を見せるのは決まって夕方だった。彼はレイナに花を渡して、少しだけ話をして、そしてラウが夕飯を持ってきた音を聞くと、リュカとともに建物の中に消えていく。ハシゴはかけたままだったから、内緒も何もないと思うが、アレイスが帰ってくる前には片付けるつもりなのかもしれない。
ここでレイナが閉じ込められていることについて、彼がアレイスにどう聞いているのかはわからなかった。アレイスやラウの素性や生活に関する話や、彼ら自身に関する話を聞こうとしても、いつもにっこりと笑ってはぐらかされる。まだ十を過ぎたばかりの子供の反応とは思えなかったから、やはりアレイスに何かを言われているのかもしれない。
「アレイスはどうして私に近づくなって言ってるの?」
この質問にも返事はないかと思いきや、あっさりと答えがあった。
「危ないからって」
「……私が?」
「うん。とっても強いんでしょう?」
真剣な顔で言われた言葉に、内心で苦笑する。
アレイスには、レイナがこんな子供にも危害を加えると思われているのだろうか。そう思うとだいぶ複雑なものはある。だが、確かに本気でレイナがここから逃げ出そうと思ったときに、ラウではなく彼らが部屋に現れたら、彼らを突破口にしようと考えるかもしれない。騙すにせよ人質に取るにせよ攻撃するにせよ、ラウでは色々と分が悪く、逆に子供達であれば何とかなるような気もするのだ。そういう計算をしてしまうあたり、きっとアレイスの危惧は誤りではない。
「強かったら、こんなところで閉じ込められてたりしないわ」
レイナはそう言って微かに笑う。
食事を三食とり、夜にはラウが傷の消毒や包帯の交換をしてくれていた。熱もすっかりと下がっているし、体調は悪くない。怪我をした場所も、痛めていた足も、生活に支障はないほどに回復している。狭い場所でじっとしていては体がうごかせなくなると思い、部屋の中でも定期的にストレッチやトレーニングを行なっている。
だが、これからどうすれば良いのか、レイナにはわからなかった。
ここを逃げ出す準備をする——というのであればわかりやすいのだが、逃げたところで行く場所などない。逃げるのであれば、一人で生きていける策も同時に考える必要がある。
そうでなく、ここにいるというのなら、もしかしたらアレイスやラウに取り入る、というのも手なのだろうか。アレイスの目的が本当にレイナを自分のものにするということだけであるならば、彼の愛人の一人にでもなれば、生きていけるのかもしれない。それが、レイナにとって意味のある生き方なのかは分からないし、そもそもアレイスが本当にそんなことを望んでいるのかも分からないが。
「僕はレイナのこと知らないけど」
クルーの言葉に、レイナはいつのまにか伏せていた視線を上げた。
「レイナのこと好きだよ。僕は子供で、アレイス達に口を出せる立場にないんだけど、早く外でレイナに会えるといいなって思ってる。元気だしてね」
クルーの顔はにっこりとした笑顔だったにもかかわらず、なぜだか王都を離れる直前に見た、レイナを見送る弟の無表情と重なった。彼は追放される姉を見ながら、何を思っていたのだろう。