勇者クルスの晴れ舞台(中)
クルスが掲げた聖剣は、完璧な聖剣だった。
刀身も立派についている。
接着剤でくっつけたからだが。
結局、クルスは接着剤でくっつける欲求に勝てなかった。それは屈辱だったが、それ以外の解決方法をクルスは思いつかなかった。
(この儀式だけ――この儀式だけ、無事に終わればそれでいい!)
そう思って、この屈辱に耐えることにした。
(……どうせ、誰にもわかるはずがない!)
――俺は知っているがな。
ルーファスの声が聞こえた気がした。怒髪が逆立ちそうになる。きっと、俺の剣を見て、せせら笑っているのだろう、
クルスはそう思い込み――信じようとした。王太子の目を見る。
王太子はクルスの聖剣をじっと眺める。
沈黙が続く。
クルスはじりじりと焦燥感を覚えていた。
(……早く! 早く、終わってくれ!)
こんな恥ずかしい聖剣はさっさと片付けたい。そして、誰とも言葉をかさわないまま部屋に引きこもりたい。
クルスの精神のライフポイントはすでにゼロだった。
やがて、王太子が口を開いた。
「勇者クルスよ、聖剣を持ってこそ勇者は一人前。ようやくお前はそのスタートラインに立った。これをゴールだと思わないように」
きん、と王太子ファルセンが聖剣を引き抜いた。
そして、慈愛の笑顔を浮かべこう続ける。
「少しばかり剣を交わそう。列席者たちにお前の力を示すのだ、勇者クルス」
おお! と周りの列席者たちが声を上げる。
一等勇者である次期国王のファルセンと剣を打ち合えるとは、なんたる幸運!
だが、クルスの心はどこまでも寒くなっていた。
(……剣を交わすだと……!? そ、そんなことをすれば――!?)
接着剤でくっつけただけの剣先など、あっさりと飛んでいってしまう。
吐きそうになったクルスは即座に断ろうとしたが、できなかった。
ありえないからだ。
王太子ファルセンから直々の『ありがたい』申し出なのだ。普通ならば断らない。断る以上は、普通ではない理由がいる。
「……ありがたき、幸せ……」
クルスは声を絞り出すように応じた。さすがに、元気はつらつの振りまではできなかったが。
ファルセンが聖剣を構える。
「さて、思うように打ち込んでくるがいい」
クルスは動けない。
もちろん、怖気付いているからではない。威勢のいいクルスなら、ためらうことなく一撃を叩き込む。むしろ、ここで名を上げてやろう! くらい思い上がって。
だが、今はそれどころではない。
(……どうする……どうする!?)
再びクルスは岐路に立っていた。
今度の選択肢は複数――いや、選択肢の候補すらわからない。
剣を打ち合った瞬間に、聖剣の異常がバレてしまうのだから!
剣を合わせることなく、適当に身をさらして負けを認めるか? そんなやる気のない動きはすぐにバレてしまうだろう。なぜなら、列席者には兵士もいる。ごまかせるはずがない。
いや、それ以前に――
戦う相手が一等勇者にして戦士の王太子ファルセンなのだ。
一瞬で見抜かれるに決まっている。
そして、その結果は容易に想像できる。
――失望だ。
この場で勇者クルスに求められている役回りは、少しでも格上の勇者ファルセンに喰らいつくことだ。全力で挑み、それを跳ね返されつつも次への糧とする。
なのに、手を抜く?
そんなことは誰も期待していない。許してくれるはずもない。
で、あればどうする、どうする、どうする?
クルスの思考はぐるぐると回ってまとまらない。
「……どうした? こないのなら、こちらから行くぞ?」
ファルセンが踏み込んだ。
まさに空気を切り裂くような、ものすごい斬撃がクルスを襲う。
「――ッ!?」
クルスの身体が反応した。
ファルセンの一撃を剣が受け止める。
(……しまった……!?)
クルスは青くなった。だが、幸運にもクルスの聖剣は形を保っていた。ファルセンの刃が当たったのは、クルスの剣の真ん中だったからだ。
ファルセンが目を細める。
「なかなかいい反応だ」
ファルセンが次々と攻撃してくる。
本来であれば、クルスなど一撃で叩きのめされるほどの使い手だが、あくまでも稽古なので手を抜いてくれている。それゆえにクルスにもぎりぎり反応できた。
クルスは必死にかわし、剣で弾く。
ぎりぎりで切っ先を守ることができている。
そのときだった。
そのとき、クルスの中で悪魔的な発想が閃いた。
(……そうだ! なぜ俺は王太子の剣を、切っ先を守りつつ受けているんだ!? そんな必要などないのに!?)
そう、この状況で剣を守る必要などない。
王太子に切っ先を斬らせればいいのだ。
そして、「いやー、さすがは王太子の一撃! 聖剣まで切断されてしまうなんて! 大丈夫、聖剣は折れてしまいましたが、気にしていません。ええ、気にしていませんとも!」と言う。
一等勇者の一撃で聖剣が折れても周りは不思議に思わないだろう。
むしろ、名誉の負傷と思ってくれるはず。
さらに、王太子に恩を売るチャンスでもある。大事な聖剣をへし折ったのだ。平気な顔もできまい。
(……くくく、悪くない作戦じゃないか!)
クルスはほくそ笑んだ。
失点を得点に変えるチャンス。
起死回生の一手!
(……ふはははは! さすがだ! さすがは俺――)
そこまでが、クルスの絶頂だった。
「……おっと、剣ばかりがくるとは思わないことだ。こういう一撃もある」
ファルセンが隙をついて放ってきたのは強力な前蹴りだった。
自分の思考に夢中だったクルスにかわす余裕などあるはずもない。
「ごふぅ!?」
不意をつかれた一撃をくらい、クルスの身体は大きく後方に飛んだ。
しばらくの無重力状態のあと――
「ぐはっ!?」
クルスはしたたかに背中を打ちつけ、赤い絨毯の上に転がった。
ファルセンが聖剣を鞘にしまう。
「……勇者クルス。さっきも言ったとおり、そこはゴールじゃない。聖剣を手に入れても日々の鍛錬を忘れるな。今日の対戦がこれからのお前の糧になると信じている」
「……う、く、う……」
立ち上がろうとしたクルスは、周囲の空気の異常さに気がついた。
ボソボソと何かを喋っている。
それはとても異常なことだった。王太子が話しているのに、勝手に口を開いているのだから。
普通では、あるはずがない。
だが、普通ではないことが起こっていたら?
そのとき、クルスの耳は確かに聞いた。
「……アレ、オレテイナイカ?」
最初、クルスは言葉の意味がわからなかった。その言葉はクルスの耳には馴染まなかった。
だが、少しずつ――まるで液体が膜を浸透するかのように、クルスの意識に意味が広がっていく。
……あれ、折れていないか?
折れていないか?
折れるもの?
クルスは自分が持っている聖剣を眺めた。
聖剣にはさっきまでは確かにあったものがなかった。
切っ先が。
切っ先がなかった。
(……お、おい、おい!?)
まるでナイフが突き刺さったかのような痛みを胸に覚えながら、クルスは左右に目を走らせる。すると、そぐそこに白銀にきらめく切っ先が落ちていた。
クルスが後ろに吹っ飛んだ衝撃に耐えきれなかったのだろう。
「……あ、は、は、あ、あ……」
クルスの口から漏れていた音は、やがて――
「おおおおおおおおおおおああああああああああああああああああ!?」
絶叫となって響き渡った。
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