全てを原点に
戦暦五八二年。
《悲願の結晶》を巡り争う大戦が始まって、およそ百年の時が流れた今、世界は――崩壊寸前の状態であった。
空は厚い煙雲に覆われ、地上に届かなくなった日の光。
草木は枯れ果て、動物たちは死滅していく。
汚れた空気を一吸いでもしたら、肺が黒く変色する。
腐った大地で育てた穀物を口にしたら、一日もしない内に死んでしまう。
そんな事になっても、世界の住人たちは、戦争をやめない。
それが、この世界の現状である。
事の始まりは約百年前。
木々が生い茂る森林の中に、突如、巨大な爆発が起こり、そこで現れた。
後に、世界で《悲願の結晶)》と呼ばれるものが。
《悲願の結晶》はどんな願いも叶えてくれると云われていた。
権力、財産、地位、名声。それがもしも、世界だとしても。
だから世界の住人達は、《悲願の結晶》を巡って百年前から争っていた。
そしてそんな世界の現状を、アルゴを地獄に叩きつけていた。
自分にとって生きる希望だったともいえる最愛の女性の亡骸。
胸元を剣で突き刺され、そこから溢れ出る血が服に滲んでいる。
彼女を抱えると、先程まで生きていたという事を示すように、まだ温もりが残っている。
「守れ、なかった……っ!」
アルゴは歯を食いしばりながら、込み上がってくる悔しさや悲しさを言葉にする。
「何も、してあげられなかった……っ!」
彼女の亡骸を強く抱き、涙を流す。
『アルゴさん。私、夢があるんです』
彼女は語っていた。どこか儚い、叶うはずのない夢を。
『普通の人生を送ってみたいんです。家族に愛されて、時々喧嘩して、それでも、ちゃんと仲直りして……。好きな人ができて、その人が別の女性と親しげに話しているのを見て、やきもちを焼いて、そんな恋する乙女になって……』
今まで体験できなかった、この先も叶う事無い、普通の人生を。
『いろんな人から頼りにされて、信頼できる友達もできて、その人達と恋バナをする……。そんな普通の女の子に、私はなりたいです』
この時、アルゴはこう言葉を返した。
『叶うよ。いや、絶対、叶えさせてみせるよ』
何の根拠もない。そんな言葉を。
だが、彼女もそんな事は百も承知。こんな夢を語っても、無駄な希望を持つだけ。でも……。
『ふふっ、そうですよね。何たって、アルゴさんには〝奇跡の力〟がありますもんね……。約束ですよ? 私の夢を叶えてくれるって』
彼女は、微笑みながら、小さな希望を信じた。
『その為にも、この戦争を終わらせないとな』
『はいっ!』
彼女と交わした約束。
自分にとって生きる希望だった彼女。だが、その彼女は、もうこの世にはいない……。
「お前が死んだら……っ、叶えてやれないだろ……っ」
大粒の涙がこぼれ落ちる。その涙は抱きかかえる彼女の頬に流れ落ちる。
「何で、守れなかったんだよ……っ」
自分の無力さに嘆く。
「約束しただろ……っ! 絶対叶えるって、約束しただろうっ‼」
結局、何もしてあげられなかった。約束の一つも守れなかった。
「うっ、何で……っ、何で……っ」
血が滲み出るほど、拳を握りしめる。
「もしも、この世界に〝本物の奇跡〟が存在するなら……っ。応えてくれっ、《悲願の結晶》ッ! 俺の命がどうなろうと構わないっ! どんなに汚れた歴史があっても構わないっ! だから――もう二度とっ、こんな悲劇が起きない世界にしてくれっ! 誰もが自由に笑えて、誰もが自由に幸せを掴むことが出来る、それが当たり前の世界にしてくれっ‼」
叶うはずがない、そんな叫びだとしても、
「頼むから……っ、この子がっ、アリアがっ、報われる世界になってくれ……っ!」
それからしばらく、アルゴは泣いた。泣き叫んだ。
何もできなかった自分を呪うかのように、何度も拳を地面に叩きつけながら。
そして疲れ果てたのか、力なく崩れた後、乾いた笑みを浮かべ始めた。
「ははっ……。やっぱり……、《悲願の結晶》なんて、ないじゃないか……」
《悲願の結晶》は存在しない。
最初から分かっていた。そんな都合のいいものはこの世界に存在しないと。
そんなものが存在しているのならば、百年も戦争は続いていない。
なら――
「もう、終わらせよう……」
この世界には、もう希望も夢もない。
だから――
「壊そう……。何もかも壊して、全てをっ、始まりに、原点に……っ!」
そう、何もかもを、原点に。
この〝魔法〟と呼ばれる〝奇跡の力〟で。
「全て……、壊れろ……っ!」
そう言った瞬間、頭上に白く光る巨大な輪が幾つも出現する。
光は辺りを照らしながら徐々に強まっていく。
ギュッとアリアの亡骸を抱きながら、言葉を口にする。
「なぁアリア……。もし、この世界が希望や夢にあふれる世界になったら、次こそは、幸せにしてやるからな……。一度でいいから、見たかったな……。戦争のない世界を……」
穏やかな声で、そう語り掛ける。
そして――
「――【全てを原点に】」
光の輪が弾け、大爆発が起こる。
腐りきった土は抉れ、厚い雲に覆われていた空が裂け、空間に亀裂が入り歪む。近くにいた生物たちは灰になり、何も残らない。
戦歴五八二年。
この日、世界の大陸の七割が、更地と化した。