君の為なら最果て迄
「ねぇ、雄二。俺のことどう思う?」
隣の男がそう言ったのは、本当に突然のことだった。
「……どうって、何が?」
久しぶりに二人で飲もうよ、と大学の同級生である鈴村大翔に誘われ居酒屋のカウンターに並んで座っていた。そして開口一番の鈴村の言葉がそれだった。犀川雄二は突然過ぎるその問いに、疑問を投げ返す。
「だから、俺のこと。どう思ってんのかなって」
また同じ言葉が返ってくる。どう思ってる、なんていきなり聞かれても言葉が出てこない。
「……まぁ、大切な人、かな」
犀川がありきたりな答えを返せば鈴村は「そうだよな」と口角を上げた。鈴村の意図するところが分からず思わず眉を顰める。
「何、悩みでもあんの?」
「悩みぃ?そんなんじゃないよ。ちょっと気になっただけ」
ハイボールを流し込むその横顔はいつも通りと言えばいつも通り。だが、どこか違和感。それは何だと聞かれても答えることはできないけど。
「悩みあるなら言えよ」
「もちろん。雄二には隠し事できないから」
「分かってんじゃん」
「雄二も俺のこと分かってるもんね」
「そりゃあ他の人よりはね」
「そういう時は当たり前だろって言うんだよ」
「言うわけねぇだろ。お前じゃねぇんだから」
ケラケラと笑う鈴村を横目に、犀川はつまみの枝豆を一粒口に放り込んだ。上機嫌な鈴村は今の会話の何が笑いのツボに入ったのか、グラス片手に笑いっぱなし。そろそろ変な目で見られそうだからやめてほしい。一人で笑い続けてる奴と、枝豆食ってる奴が隣同士なんて。
「俺さぁ、新しい人生初めてみたいな、とか思ってんだよね」
ようやく笑いが収まった鈴村は同様に枝豆を口に放り込み、そう言った。
「……転職でもすんの?」
「んん、そんなところ、なのかなぁ」
「何で。今の会社、第一志望だったじゃん。楽しくないの?」
「いや、めちゃくちゃ楽しいよ。同期にも上司にも恵まれて。死ぬほど幸せ」
話す鈴村の表情を見る限り、本心であることには間違いなさそうだった。鈴村が大学時代から今の会社に就職することを熱望していて、内定をもらった時には喜びのあまり叫んでいたのを犀川も見ていた。
「じゃあ趣味でも見つけたの?」
「……そんなところ、かもね」
「ふぅん……」
先程から煮え切らない返答に犀川の頭には疑問符が浮かぶばかり。自分にその話をした、ということは何か答えを求めているのではとも考えたが、なんだかそういうわけでもなさそうで。
「新しい人生って、例えば?」
「うぅん、これと言って何が浮かぶわけでも。ただただ、新しい自分になって新しい場所で、新しいことをしてみたいなって」
「大翔ってそんな好奇心の塊みたいな奴だったっけ?」
「好奇心とは違うんだよ、多分。そういうことをたまに夢見るというか、ね」
「まぁ、大翔がやりたいことをやればいいんじゃね?」
「お、雄二ならそう言ってくれると思ってた」
その言葉に犀川は驚き鈴村の顔を見れば、にっこりと笑っていた。
昔からそうだ。鈴村には心の中まで見透かされているようで、少し悔しくなる。同じように自分は鈴村の変化にはいち早く気づいてきたけど。
「また1週間後もさ、一緒に飲もうよ」
鈴村がハイボールのグラスをテーブルに置き言った。低められた声のトーンにいつもの軽さは感じられない。
「……全然いいけど」
「よっし、ありがと。じゃあ今日はお開きね。これ、お金」
「え、おい、ちょっとまて、!」
鈴村は自分の荷物を手早くまとめると「お先に!」と手を振り店を出て行った。テーブルには空になったグラスと割り勘するにしても多すぎる量のお金が置かれたままだった。
「……なんだ、あいつ」
おかしな態度に疑問を感じつつも、1週間後に会うならその時に聞けばいいだろうと残っていたビールを流し込んだ。
ピピピ、ピピピ、と電子的な目覚ましの音が鳴り意識が浮上する。犀川は薄ら開いた眼で携帯を取ろうと手を伸ばした。携帯のロック画面を開いても時間だけしか表示されていない。明日の朝には、と希望を持ちながら6連敗してきた。
1週間前、犀川は家に帰ってから鈴村にメッセージを送ったが未だに既読はついていない。電話もメールもしてみたが一向に連絡がつかない。さすがに社会人だから忙しいのかもしれないと待ってみたが、もう1週間経った。1週間後と約束を持ち出してきたのは鈴村の方だ。その約束の日は今日だというのに。
当日の朝には連絡が来ているかもしれないと、想っていた昨夜。今朝7連敗が確定。犀川は送るだけ送っておこうと、鈴村とのトーク画面を開こうとしたところで、指がとまる。
「……大翔の、どこだ」
鈴村とのトーク画面が見当たらない。頻繁に連絡を取る人も少ないから埋もれるはずがないのに。友人の欄を探してみても〝鈴村大翔〟の名前がない。もしかして消してしまったのだろうか。いや、そんなにいじることはないからそれは無い。ないと信じたい。もしくは、鈴村の方が消したのか。いつの間にか嫌われていた……?1週間前はいつも通りだった、はず……。犀川の心臓は驚きと焦りで大きく波打つ。
「……やべ、仕事」
とりあえず仕事帰りに鈴村の職場まで行ってみようと頭を切り替える。それでも会えなかったら昔の友人にでも連絡を入れて。
定時退社し、犀川は鈴村が働いている会社まで向かう。タクシーを捕まえ、20分ほど。どでかいビルが建ち並ぶオフィス街のほぼ中心部。自分と同じように定時退社したであろう会社員が幾人か歩いていた。外で待とうかとも思ったが、それはストーカーみたいで憚られた。
「仕方ないな……」
意を決して玄関扉をくぐり、ロビー中央の受付カウンターにいる女性に声をかける。
「あの、すみません」
「はい。何でしょう?」
輝かしいほどにこやかな笑顔を見せる受付嬢に少しばかり圧倒されながら、用件を伝える。
「私、ハリラウト株式会社の犀川雄二という者なのですが、こちらに勤務している鈴村大翔に用事があ
りまして。鈴村を呼んでいただくことは可能でしょうか?」
「少々お待ちください。えぇっと、スズムラ様……」
受付嬢は傍らに合ったモニターを指で操作し始める。友人に会うだけなのになんだかドキドキする。待っている間辺りを見回してみれば大企業なだけあってたくさんの人が行き交っている。きっちりとしたスーツの人もいればジーンズやパーカーなどラフな服装の人もいる。ロビーの天井にあるシャンデリアなんてどこかの高級ホテルかとすら思ってくる。
「……あの」
「あ、はい、すみません」
犀川がぼうっとしていれば女性に声を掛けられ意識を戻す。女性に顔を向ければ、先ほどの笑顔とは打って変わって怪訝そうな顔をしている。
「お客様が仰った〝スズムラヒロト〟という者は、ここには在籍していないのですが……」
「は?」
驚きのあまり素っ頓狂な声が出る。
「いや、この会社で働いていると……」
「ですが、探してもそのような方はいません」
「今日は来てないとかですか?」
「いえ、まずこの会社自体に在籍していないです。ご自身でお探しになりますか?」
そう言われて向けられたモニター画面には人の名前が映し出されていた。誰が、何処の階の、何処の部署に所属しているかなど事細かに書かれている。サ行の欄を上からゆっくりスクロールしていく。サのところには当たり前にいないがスを過ぎても見つからず、あげくタ行まで辿り着いてしまった。
「……いねぇ」
名前が見つからないことに絶望を感じながらモニターを女性の方に戻した。
「……すみません。間違えていたかもしれないです。失礼します」
ずっとここにいても何も分からない。犀川はそう確信し、足早に会社を出た。こんなことになるなら名刺でも貰っておけばよかったと後悔。あの会社で間違いないはずなのに。ポケットから携帯を取り出し旧友へと電話をかける。
プルルル、プルルルと鳴っていた呼び出し音は、存外早めに切れた。
『……もしもし』
「もしもし、綱田?今時間ある?」
『大丈夫だよ。雄二久しぶりじゃん。どうしたの?』
「大翔と連絡取れなくなったんだけどさ、何か知ってる?連絡先消えてたんだ。あいつ会社にもいなくて」
そう犀川が発した後、少しの沈黙が走った。
『……ヒロトって誰、それ。雄二の友達?』
「……え?」
変わらないトーンで返ってきた言葉に動かしていた足を止める。頭が真っ白になって、世界から音が消えたようだった。綱田は、そんな冗談を言うような奴ではないことを知っているから。
「……大翔って、大翔だよ。鈴村大翔。ほ、ほら、中学からの友達。お前もよく一緒にいたじゃん。ギターよく弾いてて、甘いもの好きな。中学から仲良くなって、高校離れてもたまに会ってたじゃん。……俺らの、友達、だったよな?」
犀川は奥底から湧き上がってくる不安を掻き消すように、言葉を紡ぐ。沈黙を作りたくなくて、綱田の
「あぁ大翔か」という言葉を聞きたくて。ごくりと唾をのんだ音がやけに大きく頭に響いた。
『……ごめん。俺やっぱりその人知らないや。雄二とか啓太郎とかといたことは覚えてるけど』
聞こえてきたのは、何よりも聞きたくない言葉。犀川は、一瞬呼吸を止めた。頭の中は混乱状態で、ぐるぐると無意味に回転している。意味が分からない。どういう事だ。何が起こっている。
「……ちょっと待って、写真、写真を見れば、」
犀川は慌てて携帯を耳から話し、かつて鈴村や友人たちと撮った写真を探す。
「……あぁ、あった。これ見ろよ」
仲良く固まってる写真を見つけ送信ボタンを押す。これで証明できる、と安堵したのも束の間。
『雄二、5人しかいないけど……』
「は?いやほら6人、」
とまで口にして、言葉が出なくなった。犀川は自分が送った写真をもう一度しっかり見てみると、5人しか写っていない。一番右端、自分の隣にいたはずの鈴村の姿がない。不自然な空間が右側にあった。
『――い、おーい、雄二?』
「っ、あ、あぁ、ごめん……」
『いや全然大丈夫だけどさ、その、スズムラさん?がどうかしたの。連絡取れないって言ってたけど』
犀川は綱田の自分を気遣う言葉に少しの苛立ちを感じてしまった。しかし、それを言葉にしてはただの八つ当たりになってしまうことは混乱した頭でも理解できた。
「……いや、何でもない。ごめん、気にすんな。俺の勘違いだったかも」
心を落ち着かせ、何とか返す。
『そう?雄二が良いならいいけど。今度ご飯行こうね』
「ん、今度な。じゃあ」
『ばいばーい』と呑気な声が聞こえてから通話を切った。もう一度携帯のアルバムを見ると、どの写真にも鈴村が、鈴村だけが不自然にいなかった。
道端で立ち止まっているからか通行人の視線が突き刺さる。犀川は何も考えられなくなり、とりあえず足を動かした。
「ねぇ、お兄さん」
ふと誰かに声をけかられ足を止める。振り返ると銀髪の背の高い青年が立っていた。
「……俺?」
「そう、お兄さん。何か悩みあるでしょ」
にこにこと笑う青年は、唐突にそんなことを言い出した。悩みがあると言えばあるが、それを素性の知れない人間に話すほど馬鹿ではない。
「……お前、誰?」
「難しい質問だね。でも困ってる人は助けたい性なんだよね。お兄さん、一緒に来てよ。きっと助けになれるよ」
些か信じ難いが、犀川にとってはこの際なんにでも縋りたかった。よく分からないことをほざくこの青年にも。
「……助けてくれんの?」
「もちろん。来る?」
「……ん」
行くという意味で頷けば、ぱぁっと笑顔になった青年は犀川の腕を掴みどこかへと歩き出す。鼻歌交じりに楽しそうに。
ずかずかとどこかへ歩く青年に連れられ10分ほど。あっちこっち行くから正直帰りの道は覚えていない。住宅街の脇、ひっそりとした路地裏。そこにぽつんと灯りが漏れている建物があった。
「……お悩み、解決所?」
そんな看板が扉の脇に立てかけられていた。なんだか胡散臭そうな雰囲気を漂わせているその建物の扉を、青年は躊躇なく開いた。
「ただいまぁ。お客さん連れてきたよ!」
犀川は腕を引かれるがままその建物の中に足を踏み入れる。その内装は店というよりは普通の家のように見えた。中には机と椅子がいくつか並んでおり、奥にはキッチンのようなものがある。そして、中央のテーブルに男が二人座っていた。
「さぁ、座ってよ、お兄さん!」
青年に背中を押され、犀川は男が座っているのと反対側の椅子に座らされる。青年はにこにこしながら隣に腰かけた。何が何だか、全く分からない。
「……リン、お前説明とかしてんの?」
向かいに座る黒髪の男が青年に話しかける。
「全く!でも困ってる匂いがプンプンしたから連れて来ちゃった!」
てへ!と効果音が付きそうな勢いで笑うものだから黒髪も呆れたように息を吐いた。
「まぁまぁ。えっと、お兄さん名前は?」
その隣にいる明るい茶髪の男が眉を八の字にしながら自分に聞く。
「……犀川、雄二」
カバンの中から名刺を取り出し、一枚机に置いた。3人はそろって名刺を覗き込む。
「ほぉ、犀川さんね。で、貴方のお悩みは?」
茶髪がにっこり笑って問いかけてくる。こちとら何も説明を受けていないのだが。
「……お前らは誰、ここは何」
「あぁそういえば説明してないんだったね。ここはお悩み解決所。名前の通り、悩みを解決する場所。俺らは、何て言うんだろ、職員?みたいな」
犀川が問えば、茶髪がぐるっと室内を見回しながら言った。他二人もその説明に頷いている。嘘ではなさそうだが、俄に信じがたいもので。
「何で俺が悩み持ってるって思うの」
「そりゃあリンの嗅覚は鋭いからな。嗅覚って言うか、勘?」
茶髪がリンと呼ばれた青年の方を見ながら言えば、青年は口角を上げる。
「嗅覚の方が正確かもね。お兄さんからお悩みの匂いがする」
そう言ってくんくんと匂いを嗅ぐ素振りをする。犀川は自分でも嗅いでみるが何も分からない。強いて言うなら柔軟剤の匂いがするぐらい。青年に視線を向けるとまた笑った。その様子は大型犬のようだ。
「あ、そうだ。名前も言ってないや。俺はカワヤって言います。一応ここの、なんだ、所長?」
茶髪のカワヤと名乗った男はリーダーらしい。疑問符がついているが。
「所長だよ、多分。俺はソメイです」
「シジョウです!」
黒髪はソメイ、青年はシジョウと名乗った。犀川からすれば名前を知ったからと言って何も理解できないのは変わらないが。
「で、お兄さん、お悩みは?」
「……何でも解決できるんですか?」
「もちろん、何でも。よし、どんとこい!」
手を鳴らしながら目を輝かせるカワヤ。ソメイもそっけない態度のように見えたが、なんだか興味がありそうな表情をしている。犀川は後戻りもできず、かと言って一人で抱えられるような状況でもなく、ゆっくり口を開いた。
「……俺の友達が、存在ごと消えたんですよね」
「ほぉ、なるほど」
こんな悩み、驚かれることを想定していたが3人とも驚きもせず動揺もせず、話を聞く体制を崩さなかった。
「その友達のお名前は?」
「大翔、鈴村大翔」
鈴村の名前を出すと目前のカワヤは首を傾げた。
「……ヒロト?……あぁ、ヒロさんか!」
〝ヒロさん〟という親しい間柄を思わせるような呼称に犀川は驚き目を見開く。カワヤは鈴村を知っているのだろうか。他の二人も口々にあぁヒロさんね!と漏らす。
「お前ら、大翔を、大翔を知ってるのか?」
「俺らのお得意様でしたよ。つい1週間ぐらい前まで」
淡々と話すソメイの声に意識が飛びそうだった。お得意様とはどういうことだ。1週間前はちょうど鈴村からの連絡が途絶えた時。
「……ヒロさんの言ってた人って犀川さんだったんだね」
「大翔が、言ってた人……?」
カワヤに問いかければにこりと微笑んだ。にこりと微笑むだけで、何も言わなかった。
「ヒロさん、……鈴村さんは昔からのお得意様です」
カワヤは急に説明口調になり、話し続ける。
「いつだったでしょうか、20年ぐらいは前ですかね」
「……待って」
「はい、なんでしょう?」
「20年って大翔もカワヤさんも子どもですよね。そんな時から、ってどういう……」
目前の男はそれほど年齢を重ねているようには見えない。犀川自身と同じぐらい。ソメイとシジョウはそれよりも若そうな印象すら受けていた。お得意様ってことはその頃から、こういった仕事をしていたということで。
犀川が疑問を口にするとソメイが答えた。
「俺ら、歳取らないんですよ。まぁ正確には姿かたちが変わらないってことですけど」
「……は?」
自分でも驚くほど低い声が耳に入ってきた。
「この身なりで生まれて、この身なりで死にます」
ソメイの口から飛び出る言葉に驚かされてばかり。この世では有り得ないこと。そもそもこの身なりでどこから生まれるというのだ。
「気にしたら負けだよ、お兄さん!」
シジョウが肩を叩いてきて、微笑んだ。気にしない方が難しい気もするが、この先気になることばかりのように思えて素直に従っておいた。
「はい。で、鈴村さんがお悩み相談をされたのが20年前。彼が7歳の時ですね。病院にいる彼をリンが見つけました」
「病、院?」
「あ、もしかして知らなかった?」
引っかかる言葉を繰り返せばカワヤが軽い口調に戻った。同時に眉を下げ哀れみとも取れるような目を向けてくる。
「……ご愁傷さまだなぁ。ま、それは置いといて。その時の鈴村さんのお悩みはこの先長く生きれないこと。7歳の時点で余命はあと数年。20歳までは生きられないのは確実ってところでした」
「でもあいつ27まで生きてたけど」
「そりゃあ私共がお悩みを解決しましたから。病気を治す代わりに代償を頂きまして」
「……その代償が27で存在を消すこと?」
「あぁ惜しい!それは違うんだなぁ。……代償は、鈴村さんの魂です」
「なんで、そんなものを」
そう聞き返せば、カワヤはどこからかごそごそと紙とペンを取り出した。そこに書いたのは人間のようなものが2つと円形が2つ。片方の円形は少し削れている。
「お悩みの中には長生きしたいというのも多くありません。まぁ解決所の利用者は50歳までという年齢
制限はありますが。その悩みの解決には僕らの魂を削っているんです」
そう言って削れていない方の円形の一部を黒く塗りつぶす。そこから伸びた矢印はもう片方の削れている部分に向かった。そして、重ねるように、削れていた部分を黒く塗る。
「魂を削ってそれをお客様に渡します。でも、そんなことを続けたらどうなるかわかりますか?」
「……いずれは無くなる」
「そう、正解です。なので、あげた魂を最後には返してもらいます」
「……ってことは結局は死ぬの?」
「返してもらうのは80歳から90歳までの間です。魂を受け取った方はそこで終わりです。ですが、本人が望むのであればそれより前でも返していただくことは可能です。その際には本人が望む世界へと私共がお連れします」
理解できない情報の数々に犀川の頭はパンク寸前。カワヤの説明から考えるのであれば、鈴村はこの年齢で、言葉を借りるなら〝魂を返した〟ことになる。
「……でも途中で返したら、大翔みたいにいなくなって、俺みたいに探す人もいるんじゃ」
次の疑問点にはソメイから答えが返ってきた。
「基本途中で返された場合は、周囲の人間からその人に対する記憶が無くなるんですよね。というか俺が消してるんで」
「え、俺覚えてんだけど」
「そうなんすよ。それがおかしいんですよ。何でですか?」
「……いや、知らねぇよ」
ソメイが不思議そうな目で見てくるが、犀川にはは知ったこっちゃない。いきなり友人が姿消して、他の奴らはそいつの記憶がありません、なんて状況になってみろ。頭がおかしくなる。犀川は無意識に眉間に寄ってしまった皴を手で押した。
「お兄さんとヒロさんの繋がりが強かったのかもね。カズキが介入できないぐらい!」
「あぁそれもあるかも」
シジョウの無邪気な声に、ソメイは一理あると頷いた。確かに他の人よりは仲が良かったかもしれないが、それも友人同士にしてはといったところで。……思い当たるのはあるが、自惚れるのはやめておこう。犀川は深い息を吐いた。
「んん、その仕組みは分かった。それで、大翔はどうしたの?」
「えぇっと、6日前にお返しいただきました。今は新しい世界で過ごされているのではないでしょうか?鈴村さんは昔から自分の好きなことを好きなようにやりたいと仰ってましたから。子どもの頃の夢の続きを、別の世界でされています」
「……新しい世界、ねぇ」
犀川はなんとなく1週間前の鈴村との会話を思い出す。その時も新しい人生を始めたい、なんてことを口にしていた。自分はそれを転職だと捉えていたが、実際は別の世界に行くことで、そのことで悩んでいたとしたら。……背中を押したのは自分かもしれない。自分のせいで鈴村がこの世界にいることをやめたのではないかと思うと、途端に心臓が波打つスピードが早くなる。もっと、もっとちゃんと聞きだしておけばよかった。お前は俺に必要な奴だと、しっかり伝えておけばよかった。
「……なぁ、犀川さん」
カワヤの声に意識を向けると、両手で頬杖をついてにっこりと笑っていた。
「ヒロさんに会いたいと思わない?」
「っ、会えるのか!?」
犀川は驚きのあまり、思わず椅子から立ち上がる。ガタン、大きな音を立てて椅子が倒れた。
「犀川さんのお悩みは、鈴村さんがいなくなったことでしょ?」
「……そうなるな」
「それなら解決しないとね。解決方法なんて二人を会わせることしかない!」
さすがに会えるなんて思ってもいなくてカワヤを疑うが、にこにこ笑っているだけで正直嘘か真かは分かりづらい。それでも本当に会えるというのなら解決してもらうほかない。
「会えるなら、会わせてくれ。代償でもなんでもくれてやるから。金か?命か?」
「ふふ。本当は何かしら貰うんだけど、こんなこと初めてだから出血大サービス!なーんもいりません。タダで叶えます!いいっしょ?」
カワヤがソメイとシジョウに視線を向けると二人が頷く。
「ん、俺は良いよ。記憶消せなかったのは俺だし」
「僕も構わないよ。ヒロさんとお兄さんの仲に免じて!」
「……ありがとう」
立ったまま頭を下げると優しい笑い声が聞こえた。
「あ、犀川さんはこっちに戻ってきたい?」
顔を上げるとカワヤが思い出したように口を開いた。
「……戻ってくることもできんの?」
「可能だね。向こうにいることもできるし。その時はこっちの犀川さんの存在は消えるけど」
「……大翔は、戻ってこれないよな」
「そうやね。犀川さんだけ」
「じゃあいいよ。俺は大翔といたい」
「……そう言うと思ってた。そしたら、善は急げ!準備するから待ってて。友達とかに連絡入れときたかったら今のうちにやっといて」
三人は立ち上がり部屋の奥に消えていく。犀川は一人残されたまま、携帯を出し眺めてみる。連絡したところで向こうに行ってしまえば存在が消えるんだ。連絡する必要もないだろう。最後に鈴村のいない写真を眺め、電源を落とした。
戻ってきた三人の手にはたくさんの荷物があった。ソメイが、持っていたフラフープのような大きい円形のものを地面に置く。シジョウは何やら小さな肩掛けバッグを持っていた。
「はい、お兄さんこれ持ってて。あと水分補給ね」
「……何入ってんの、これ」
ペットボトルを押し付けられ慌てて受け取り、渡された水を飲みながらカバンを受け取る。想像以上にずしりとしたそれに、思わず落としそうになった。
「ナイフとか服とか。向こうに行って何があるか分からないしね!」
冗談だろ、と言いかけたがシジョウの笑顔は冗談ではないような気がして、口を閉じた。ナイフが必要なところとか、何処に飛ばされるのか。
「心配しなくても大丈夫。ほとんど使わないから。一応ね、一応」
その一応の繰り返しにもはや恐怖を感じるが、行くと決めたのだからここで怯むわけにはいかない。カワヤは雫の形をしたモチーフがついているネックレスを首に下げる。それは鮮やかなオレンジ色をしていた。
「じゃあ犀川さん。その円の中に立ってください。付き添いでリンがいます」
「え、一人じゃねぇの?」
「普通は一人でも良いんですけど、時空が歪んでいる場所に行くので酔う人も多いんですよね。なのでそういう人には目をつぶっててもらって、リンが所定の世界まで連れていきます」
なるほど、と思いながら隣に立つ四条を見上げる。少し緊張しながら円の中に入れば、ソメイがにやにやしながら声を上げた。
「犀川さん、三半規管弱いんでしょ?」
「……普通だけど」
「んはは、ヒロさんが言ってたよ!」
「大翔の野郎……」
思わぬところで自分の弱みをさらされていたことに鈴村を思い出せば、不思議とわくわくしてくる。まるで子どもに戻ってみたいだ。
「それじゃ、始めるな」
カワヤは犀川とシジョウの前に立つと目を閉じ、何かをぶつぶつと唱え始める。しん、と静まり返った部屋にカワヤの声だけが響いていた。きっと詠唱というやつ。すると段々足元から光が湧き始める。ほのかに温かい光は身長の高い自分の背丈も超えていく。視線を前に向けると、光の幕の向こう側、目を開けたカワヤとソメイがこちらを見ていた。
「犀川さん、大翔さんが最後に言ってた。〝雄二なら俺に会いに来てくれるかもね〟って。お互いのこと分かってるんだね」
「……あぁ、当たり前だろ」
どんどん光の幕は厚くなり二人の姿も見えなくなってくる。
「お兄さん、良いよって言うまで目閉じててね」
「ん、よろしく頼む」
犀川が目を瞑れば、シジョウに手を握られる。そのままふわっと体が宙に浮く感覚がした。
どれぐらい経ったか、腕を引かれ続けていれば、地面に立った感触。
「――開けて良いよ」
そんな声が聞こえ犀川が目を開くと、いわば草原が広がっていた。遠くに何かがあるのが見えるがそれはとても遠くで。
「じゃあね、お兄さん」
「あぁ助かった、」
シジョウの方を見ればその姿はすでに消えていた。ぽつんとスーツ姿の自分だけが取り残されていた。とりあえず見回してみるが、辺りは草原。どこかも分からないが歩くしか、方法はなさそうで。
「……雄二?」
すると、足を動かそうとしたところで、聞きなじみのある探していた彼の声がした。犀川がゆっくり振り向くと見覚えのある服装の、大切な彼がそこに立っていた。顔も背丈も、何も変わっていない記憶のままの姿で。
「……っ、大翔!」
「おわっ、」
すぐさま駆け寄りその身体を抱きしめる。「雄二だぁ……」なんて耳元で聞こえる呑気な声に返せる余裕はなかった。生きてる。体温のある鈴村がそこにいる。それがどんなに嬉しいか。
「……俺のこと探してくれたんだ?」
「……探した、探したよ。お前が勝手にいなくなるから。いきなり病気だったとか聞かされるし」
「怒った?」
「怒った。死ぬほど怒った。……でも、大翔に会えたから良い」
犀川がぎゅっと腕に力を籠めれば「痛いよ、雄二」なんて笑って言われる。自分らしくない。自分らしくないけど、自分らしくいられる余裕もない。
「病気のこと、聞きたい、よね……」
腕を離して顔を見れば、泣きそうな震えた声で鈴村が言った。
「聞きたいけど、ゆっくりでいいよ。待ってるから」
「でも、雄二、戻らないとだよな」
「いや、ここにいるよ」
「へ?」
間抜けな声を出す鈴村につい笑ってしまう。
「俺、大翔のことが好き。多分、大学の頃には好きだったんじゃないかな。だからあいつらに言ってきた。大翔といたいって。……まぁ今更嫌って言われても帰れないんだけどね」
「……ふ、はは、雄二らしいな」
目を見開いていた鈴村も、目を細め笑いだす。1週間会っていないだけなのにその笑い声すら懐かしく思う自分はどうすればいいのだろう。
「……俺も雄二のこと好きだよ」
犀川はそうやって照れくさそうに笑う彼に、たまらずキスをした。
「ただいまぁ!」
お悩み解決所の中にまた明るい声が響いた。その声と同時にカワヤとソメイの前、床に置かれた輪の中心にシジョウが立っていた。カワヤが手を動かすと、シジョウを囲っていた光は段々と消えていく。
「……リン、お帰り。ケイトもお疲れ様」
ソメイはシジョウの頭を撫で、カワヤに声をかけた。カワヤは少しだけ息を荒げていたが、深呼吸をしてにっこりと微笑んだ。その後、またゆっくりと目を閉じる。両手を握れば、そこがぼうっと優しい光に包まれる。ソメイとシジョウはその様子を見つめていた。
少しして目を開いたカワヤは二人に微笑みかける。
「うん。出会えたみたい。犀川さんも大丈夫そう。任務完了だね」
「よっしゃ、じゃあ後で記憶はやっとくね」
「よろしく。カズキ」
お悩み解決所は今日も一仕事を終え、普通の日常に戻っていく。