第1話 三等星
静かな朝だ。
カーテンの隙間から射し込む朝日が大部屋を優しく照らす。
モダンなカーペットがひかれた床には乱雑に何枚ものタオルケットや毛布が敷き詰められ、そこに埋もれるようにして人が寝ていた。
そのうちの一人、微睡みから覚めたのだろうか寝返りを打ち、二度寝をしようとする少年の頭上に薄く半透明なディスプレイが突如現れる。
そこからアラートが鳴り、短い文章が表示される。その内容はドラゴンの出現を確認したというものだった。つまり出撃要請である。
少年はむくりと起き上がり、ひとつ頭をふった。そしてゴソゴソと毛布を漁り、眼帯を見つけるとそれを右眼に着けて立ち上がる。
ペンタグラム三等星、ハルジオンこと、ハルの朝は慌ただしかった。
パンッと自分の頬を両手で叩き目を覚ますとハルは寝間着としていた浴衣も着崩したまま司令部へと足早に向かう。道中、ハルは跳ねた明るいブラウンの髪をクシャッと雑に撫で付け、長い前髪を眼帯を隠すように整えた。
司令室に入ると一番に大きなモニターが目に入る。そこには大きな怪物、B級ドラゴンのワイバーンと、それに対峙する少年少女達がいた。
「何分だ?」
ハルは一人のオペレーターに問う。
「戦闘開始から約五分です」
「……A級じゃないのか」
そのハルの呟きにオペレーターは苦笑する。A級狩りとの二つ名がついたこのドラゴンスレイヤーのA級ドラゴンへの執着はここでは周知の事実だった。その理由を知るものは極わずかではあるが。
「負傷者は……いないようだな。出動しているのはアリエスとタウラスか、ピスケスはどうした?」
アリエス、タウラス、ピスケスというのはハルの直属の部隊の名前である。
飛行しているワイバーンには風のエレメントの使い手、ハルとその部下達が有利というわけだ。
ハルが得意としているのは空中での戦闘で、彼はバベルで一番早く、自由に空を飛ぶことが出来る。
「ピスケスは現在バベル南の防衛にあたっています。呼び戻しますか?」
「いや、いい」
いつの間にか服装を整えた彼が身を翻して言う。
「俺が出る」
△▼△▼△▼
ハルが司令部に出向する少し前、東京湾から北に数十km地点上空。ワイバーンと対峙するニつの部隊があった。
「アリエスは右翼、タウラスは左翼を攻撃して堕とせ!」
強風が吹き付ける中声を張り上げるのはアリエスの隊長、麗央だ。
アリエスはハルが自ら選んだメンバーで構成されていて、麗央は風のエレメントの適合者の中でハルの次に力があるため、三つある部隊の中でもトップであり、アリエスだけではなく他の部隊も統括している。
「うぉぉぉぉぉぉらぁ!」
左翼に向かって一直線に風を切り大剣を振り下ろしたのはタウラスの隊長だ。
拓弥、バベルの中では年長者、今年で二十二歳になる古株でみんなに慕われる兄貴分である。
「こんな奴ハルジオン殿の手を煩わせるまでもない、我々で倒してくれようぞ!」
彼は刀身百六十cmは超えるであろう大剣を軽々と振りかざし、着実に左翼を攻撃していく。
それにタウラスの隊員たちが各々の武器を構え続いていく。
タウラスの斬撃は重くそして深く、アリエスの攻撃は速く正確で連携が取れていて回数が多い。確実にワイバーンにダメージを与えていた。
ドラゴンの倒し方には定石がある。
まずは翼、もしくは脚を攻撃しドラゴンのバランスを崩す。その後で胴体と頭に攻撃をし、最終的にコアを破壊するとドラゴンは機能を停止する。
だがそのコアの位置は個体によってまちまちで頭部だったり胸部だったり腹部だったりする。
そのため集中的に斬撃を重ね、ドラゴンの体全体に攻撃しなければならない。
だがワイバーンはなかなかバランスを崩さず、滞空し続けている。
空中での戦闘は地上戦よりも体力を食う。高等技術の一つである飛行術は身に付けるまでに時間がかかり、ものにするのが難しい。
だから地上戦よりも迅速に対応しなければならないのだが、ワイバーンとてやられっぱなしではない。
一度大きく翼を羽ばたかせ、グッと背を反らす。するとキィィィンと耳を劈く音が響き出した。
「━━まずい、ブレスだ!」
ワイバーンは大きく口を開いた。ブレスとは高濃度のマナの噴射による強力な攻撃で広範囲に被害をもたらす。
また、ブレスは周囲のマナ濃度に影響を及ぼす為、風のエレメントを有していて飛行能力に長けていても下手すれば滞空出来ずに落下してしまう。
「退避!急げ!」
麗央が声を張り上げたその瞬間……。
━━一閃。
ブレスを放とうとしていたワイバーンの口から右翼にかけてが一瞬で切り裂かれた。
ぐらりとワイバーンの体が傾き、咆哮をあげながら地に落ちて行く。
それを見下ろすのは大きな翼をはためかせ日本刀を携えた天使だった。
「ハル様!」
麗央が彼に近づいていく。
白を基調とし、鶯と桜の花弁が描かれた羽織に身を包み、日本刀に付いたワイバーンの血を払い落としたハルは振り向いた。
「麗央、遅くなって悪かったな」
麗央の破れた防護服と、滲む血をチラリと見て、困ったように微笑む。
部下がまた無茶をしたのだと分かったからだ。
麗央は隊長として良くやってくれている。だが、少々肩に力が入りすぎるきらいがある。
もう少し早く合流できていれば、そうハルは自分を呪った。
「いえ、問題ありません。むしろ俺達の力が至らないばかりに手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
自分の力不足を嘆く部下にハルはその肩を叩き地を指さす。そこには体勢を立て直し、喉を唸らせるワイバーンがいた。
腐ってもB級だ。ハルの攻撃を一度食らった程度では倒れないというわけである。
「まだ終わってないぞ、麗央。右翼は俺一人で叩く。左翼はお前たちに任せたぞ」
ハルはさらりと上位部隊二つと同じ仕事をする、そう言ってのけた。
自分の実力を誇示しているわけでも、見誤っているわけでもない。
実際に、それだけの実力差があるのだ。
━━日本で三番目につよいドラゴンスレイヤー、それがこのハルだ。
反撃の狼煙を上げるのは、深淵が見えぬような暗闇を瞳の奥に持つ━━純白の翼の天使だった。