(下)
「野九鳥様て御神体のようなものはあるのでしょうか。是非、論文のメインとして調べたいのですけれど……」
「あぁ、学生さん。勉強熱心だね。それなら、別れ洞窟の奥に行くといい。地下水が湧き上がっていて、根を張っているのが野九鳥様だと言われてるよ。まあ、神様、と言われなくても、洞窟の天井まで目一杯茂っている大樹は迫力だ」
「へぇ、いくさ神様と聞いていましたから、刀とか、矢とかだと思っていました」
「ははは。なるほど、よく勉強しているね。そう、野九鳥様はいくさ神様なんだが、だったが正しい」
「と、言いますと?」
「信仰の変化とでも言いましょうか、歴史の荒波でわからなくなったと言いましょうか、パタリ、とある時期から野九鳥様の由来が曖昧になるんだ。飢餓やらで戦争や争いが多くてね、色んな村の神様やら人が混じって、どれが本物の野九鳥様だったのか、てのが偉い大学の教授様が言っていたよ」
「なるほど」
野九鳥様は昔こそ村間戦争のいくさ神だったが、今は村を守る守護神だそうだ。同じ意味に聞こえるが、武神と守護神だと、少し役割が変わってくる。
「慰霊碑ですね」
「多いな。何人も、何個も、塚を築くだけのものが散ったか。とは言え珍しいものではない」
「ですね、お師匠様」
結城は新しい慰霊碑と、苔むした塚に手を合わせた。
どこにでもある、単なる慰霊碑だ。沢山人が死んだ時には、慰霊に建てられる鎮魂の石碑は、つまりは悲劇があったことを意味するが、悲劇はありふれすぎている。神様に頼らなければならなかったものは、人類史に一つもなかった。いかな悲劇であろうとも、だ。
「野九鳥様は、村に大きな影響を与えているようです」
四肢を捥いで生き残る。
それは正しいのか、悪いのか、神様の……野九鳥様の生存戦略だったのだろう。
そう、願われたから。
消えようとしていた村に、誰もが逃げない、誰もが捨てない、“逃げられない、捨てられない”という祈りの藁にすがったのだ。
「過去の亡霊なら現世に干渉するべきではない、てお師匠様の考えは、あんまり嫌いじゃないんですよね」
それぞれの社会がある。死者は生者に干渉しないし、神様が人間に干渉するべきでもない。
「今回の一件、どう思う、坊や」
「どう、とは?お師匠様」
「野九鳥様とやらは、殺すべきか、生かすべきか」
「蒐集した情報からですとーー」
ーー殺すしかない、神殺しだ。
しかし結城は言葉を濁した。
「逃げるな、坊や。お前が決めるんだ」
僅かな思考……答えなんて、決まっていた。だからこそ結城は「殺します」と答えた。
分厚い枝と葉の天蓋が蓋をする林間道を結城と不鹿島が歩いていた。今晩の内に、野九鳥様を神殺しする為の下調べだ。大した道ではなく、神殺し自体は簡単に済むだろう。
「脇道へ飛べ」
「えっーー」
「声あげるなよ」
「ーー!?ーーっぉぉぉ!!!」
腕を引っ張られ、投げられ、山道から飛ばされた結城は、急斜面を転がるように落ちていき、しかし四肢で腐葉土を掴み、木に引っかかり下までは落ちずにすんだ。
結城が土塗れの顔をあげると、山道を駆け上がる村人が見えた。普段着ではない。時代錯誤の鎧を部分的に巻いて、手には刀らしいものを握って、走っていく。
「山狩りかな?」
村の一部に不穏な気配があったのは、感じていた。のらりくらりと、接待を躱し続けた最後のディナーだ。デザートは結城と不鹿島か。
悠長に調査をする時間はない。野九鳥様の本体の場所は掴んだ。そして、神は殺されるべき神であると下された。
ならば、殺すのだ。
知って、決断したならば、実行されるべきだ。
「ちょっと野暮用」と離れていた不鹿島が何やら大きなタンクを背負って戻ってきた。鳥頭村に、背負い式のタンクなんて持ち込んではいない。どこかの納屋から盗んだのか。
「お師匠様、それ……」
「坊や、これは枯葉剤だ。効くぞ、たぶん。前に神木の雑草を枯葉剤で処理したら神木が九割枯れたことがあってな」
「神様大激怒ものですよ」
ゴム手袋やマスク無しでは、触りたくない劇薬が詰まっていた。だが、と結城は考える。
「呪い返しとか、封印とか、咒式結界とか、清めオーラ力とか、そんなオカルトパワーじゃないのですね」
「先端がニードルになってるんだぞ?打ち込めば大樹の一本、二本は枯れるさ」
「現代的ですね」
「仕方がないな……汝、神を殺すもの、恐れず、喰らい、滅し尽くすものと望む……はい、祝福した」
「なんだか、です……」
神殺しとは、神を殺すことだ。
だが殺さなくても良い、そんな神様も数多くいるのも事実だ。危ない神様というのはとても少ない。だから結城は、神殺しでない解決法があるならばそれに越したことはないと考えている。
不鹿島と一緒に八年もいれば、石に封印され、長年の中で自己が崩れていく、崩壊していく者達の残照に触れる機会があれば、絵画に封印され、本当にただの絵になってしまった者もいた。
神とは、思っていたほど超常的な存在ではなく、ずっと儚い。
「回り道に潜伏で時間をかけすぎたかな」
篝火の灯りに、日本刀と言うにはあまりにも古すぎる、古刀の刃が鈍く閃するのを見た。
「一揆と言えば鍬や鎌だろうに、武装してるぞ」
草陰から襲った村兵の一人から、刀を見たが、研ぎが甘く、斬れ味は期待できなかった。
「自分の得物はちゃんと面倒みてくださいよ」
時代錯誤で古風、火薬兵器の一丁もないと考えるのは早すぎる。猟銃があるはずだ。見つかる前に、銃口を向けられる前に、急がなければならなかった。
「急ぎましょう」
野九鳥様の御神体は、洞窟の中だ。
森を行く、村の一団の篝火が正確に、結城と不鹿島の後を尾けていた。優秀な狩人と猟犬がいるらしい。
深い洞窟というのは、少ない。
野九鳥様はすぐに見つかった。
時代を否定し、人を否定し、その慣れ果てが野九鳥様の有り様であった。
逃げられないように、手足を切れば良い、村で全て完結させれば出る必要はない、新しい血は外から持って来れば良い、血の一滴に至るまで手離すものか。
拘束と固定ーー野九鳥様の御神体は、死にかけた白い老木だ……と聞いていたのだが、大樹はほぼ死んでいた。
「お師匠様」
「樹じゃないさ」
樹皮には幾つもの斧や刃物の古傷があり、硬直した、露出した根は土を固く掴んでは離さない意思を持っていた。
不鹿島は、適当な樹皮を引き剥がした。ばりばり、と水気を感じない、枯れた音を立て剥がされた中には、真っ白な虫、あるいは菌糸のコロニーのようなものが根を張っていた。
「寄生虫どもが、成り代わっていたわけか」
「火炎放射器でも持ってきますか?」
「いや、坊や、死んだ樹に寄生しているなら、そのまま運命を共にしてもらう」
神様を殺しに来たとは、鳥頭村の人達も考えてはいなかったのだろう。そこにいるのは、結城と不鹿島の二人だけ、そして二人は、野九鳥様を殺しにやってきた。
「神様、長生きしただろう、もうお眠り」
野九鳥様に枯葉剤が打ち込まれた。ニードルは、あまりにもあっさりと幹を貫通し、内に巣食っていた虫か、あるいは溢れた薬剤か、まるで悲鳴のように液体が噴き出す音が洞窟の中を響く。ぼとぼとと溢れた毒が、枯れた老木だけでなく土にまで染み込み、この土はーー死んだ。啜る寄生虫達の体にも、遠からず毒がまわるだろう。明日死なないかもしれない、しかし明後日はずわからない、そして野九鳥様の体に入った毒は癒えることなく老木の水を流れ、遅かれ早かれ、殺すだろう。
「どうしてですか」
「何が」
「呪い返しで、鳥頭村の村民全員を呪わなかったですよね。神殺しの基本は、信仰を無くすこと、と教わりました」
「はぁ……だから坊やは、まだまだ、坊やなんだ」
不鹿島は呆れた顔で肩を落とし「もし呪い返ししてみろ、全国規模で死体の山だ。ジェノサイドしに来たわけではないぞ、坊や。我々は、あくまでも日本人の平和を保つ為に来ているのだ」
不鹿島が、まるで善人みたいなことを言った。
「そうですよね。あの男の子みたいな、野九鳥様がいるから信じてるけど、いなければ信仰しないような人もいるんですから、スパッと根元を断てば万事解決ですよね」
ーー後日。
結城は書いていた手紙を封筒に入れた。不鹿島事務所で手紙を書くのは、彼の新しい日課だ。
少し、古風すぎるだろうか?
いや、彼女にはこれが良いのだ。
「坊や、まぁた愛人に手紙を書いてるのか」
「お師匠様、前歯へし折りますよ」
「やるか、やるか、その前にお前が夢の国にご招待だ」
鳥頭村での出来事からまだ、一週間と経っていない。事件を忘れるには生々しい命の危機だったが、結城の中では大きな事件も、経験の過去として流れつつあった。
神を殺すと言うことは、“そう言うこと”だからだ。
不鹿島事務所の呼び鈴が鳴った。
チリン、と真鍮の高い音と共に扉をお客様が潜るのは珍しいことだ。
神は、死んでしまった。
だがまだ、人は生きているのだ。




