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第二話 幼女と淫魔

 この世界はミストと呼ばれる霧の球体の上空に、多数の浮き島が存在している。浮き島と浮き島の間には巨大な水流がアーチ状にかかっており、人々はそれを海と呼ぶ。

 この世界最大の大陸アトモスには人族が過半数を占める王国があり、他の種族の民ともそれなりに良き交友関係を築いている。

 他大陸については、四季の国ミズホ、水の都マザーレイク、ペラーマンの村フェイクなど、そのほかにも大なり小なり生き物が住む浮き島があり、そのほとんどが積極的に交易を行っている。


 ミソラが管理しているエニグマは浮き島のひとつに数えられており、巨大な庭園と図書館でひとつの島となっている。どこの国にも所属していないが、来る者は拒まない。

 魔法や神秘が目白押しなこの世界の住人においても不思議な場所だ。とは言っても、世間からの評価は「魔法使いや研究者などが集う変人の巣窟」として、少々近寄りがたい印象のようだが。

 実際訪れる者はその印象で間違いないといえる者が多いのだが、最近は少々変化が起きている。


「うう…………もぅだめだ……俺は所詮落ちこぼれなんだ」


「そうですかねぇ」


「やっぱり……姉さんたちにもいつもバカにされてるし……才能ないんです……」


「そうですねぇ」


「うっうっうぅ……俺もう植物か何かになりたい……」


「名案ですねぇ」


「ちょっとなんですかこの空気は。おじさま、少しはちゃんと話を聞いてさしあげたらどうです?」


 午後の昼寝タイムに突如として現れた困ったちゃんを軽くあしらっていると、いつものごとくスタタンとリリララが現れた。


 ちなみにこの執務室、魔法的ななにかで天井は空が投影されており、ミソラの許可さえあれば実際にそこから出入りも可能になっている。翼持ちの魔族御用達のファンタジー天井である。雨や紫外線は許可しない。


「すみません、リリララ様。そこのじめじめした彼は一応私の友人なのですが、まあ、お気になさらず。放っておいても鬱陶しいだけで害はありません」


「あら、お友達ですか。おじさまにもその……いたんですね」


「まあ、たいした仲ではありませんがね。邪魔でしたら捨ててきますよ」


「ちょ、ちょっと待ってミソラさんっ、見捨てないで!」


 丸椅子の上で体育座りをしていた男が慌てて立ち上がると、案の定そのまま転がり牛蛙のような呻き声を上げた。背中の羽根は飾りか。

 転んだせいなのかもとからなのかはもはやわからないが、黒い目をうるうるさせている。艶やかな長い黒髪が地面に花を咲かせているが、美しいかどうかは微妙なところだ。


「だ、大丈夫ですか」


 ハンカチを差し出しながらそっと支えるように触れると、体がビクンと跳ねた。驚かせてしまったかしら? そっと距離を取りつつ様子を見ると、俯きがちな顔がどんどん朱色に染まっていく。


「あ、ごめんなさい、恥ずかしかったですよね。せめてハンカチだけでも使ってください」


「ぁ……ぃぇ……その……ぁ、ありが……ぁり……ぁぅ……ぁ……ゥァ」


 彼はハンカチをチラチラと見ながら受け取ると、その場で体育座りをする。顔をハンカチで覆いつつ膝に突っ伏してしまったが、リリララはどうにも対処に困ってしまう。なんだろう、このやたら繊細そうな人は。


「えっと、おじさま? 少しは説明していただけません?」


「……気が乗らないですが、仕方がありませんね」


 表情はいつも通りのニコニコフェイスであるが、若干眉尻が下がっているあたり、本気で気が乗らないようだ。だがそこはかわいい妹分の頼み。一応話してくれるらしい。


「彼は……ああ、名前はキッシュといいます。キッシュ君はインキュバスなのですが、どうやら魅了魔法が使えないことから落ちこぼれ扱いされていたようで、自分に自信がありません」


 ふむふむ、なるほど。それで嘆いていたのか。そしてミソラの態度を見る限り、どうやらこういったことは初めてではないらしい。


「ですが、彼は彼なりに努力をしていました。ここにいる理由もその努力の一環というわけです」


「おじさまに相談していたというわけですね?」


「そうですが、それだけではありません。ここに来た本来の目的は、勉強のためだそうです。女性に好かれる方法を学びにきたわけですね」


「……なるほど。ではその努力が実らず嘆いていらっしゃると」


「色んな書物を読み、最近の流行を追い、美容に気を使い……そう、彼なりに努力はしていたと私も思います。その姿を女性に見せられれば問題ないのではと思いますし、そのひたむきさに好感が持てます。ですが、最近になって選んだ本が悪かった」


「間違ったマニュアル本を参考にしてしまったとか?」


「恋愛小説です」


「はい?」


「恋愛小説です」


 急に真顔になって言い放った言葉は、恋愛小説。え、ダメなの? なぜかしら? これはもしかしてからかおうとしている?

 無駄に真剣な眼差しをどうも穿った目でみてしまいそうになる。


「……何が問題なのですか。恋愛小説といえば、世の女性が憧れるものですし、そう外れているとは思えないのですが」


「恋愛小説が悪いわけではありません。むしろ内容は良かったのでしょう。問題は彼です。あろうことか物語にのめり込み過ぎて、インキュバスが日常的に行う行為のみならず、女性と会話することすら恥じらうようになったそうです」


 いつの間にか地面に突っ伏してるキッシュから、くぐもった鳴き声が聞こえる。なんだか悲哀を誘う姿である。


「先ほどのもそうです。リリララ様に優しくされて意識しすぎたようですね」


「え!? わたくし六歳児ですよ!?」


「ロリコンという可能性は大いにありますが、女性であることが重要なのです。先ほどからの様子を見る限り、同じ空間にいるだけでも発症するようですね」


 ロリコンじゃないもん──そんなつぶやきが聞こえたが、そこを気にしている場合だろうか。

 つまり日常的にアハンウフンな行為に励んでいるはずの淫魔が自爆して、とんだピュアボーイになってしまったというわけだ。種族的には致命的な欠陥。

 なるほど、ミソラが終始投げやりな対応をしていたのも、気持ちはわからないでもない。


「なるほど……話はわかりました。キッシュ様……いいえ、キッシュくんとお呼びしましょう! それがいいです」


「へっひゃっは、ふはぃぃ」


「さて、少しは落ち着かれましたか?」


 どう見ても落ち着いてはいない。返事どころではないようだ。それでもめげずにリリララは声をかけ続ける。


「遅くなりましたが、わたくしはリリララと申します。一応、魔王ゴ=インキョの孫娘にあたります」


 存じ上げておりますぅぅ──突っ伏したまま咽を噛み潰したような音を発し続けている彼は何というか、突いたら爆発しそうだ。


「キッシュくん、まだ諦めるのは早計です。わたくしと一緒に練習しましょう!」


「よいのですか? 面倒……大変だと思いますよ」

 張り切っているリリララに水を差すのは野暮かとは思いつつも、ミソラは否定的な言葉をかけずにはいられなかった。


「わたくしも男女の情緒には疎いですから、良い勉強になりますわ」


 それはそれで問題がある気がしますが。ミソラはそんなセリフを飲み込みつつ、キッシュの様子をうかがう。

 うそやあぁぁぁぅぅぅ──混乱ここに極まれり、である。ポンコツなのはわかっていたが、まさか六歳児相手にまでこうなるとは。

 見た目はほぼ人間の成人男性であるというのに、なんとも情けない。


「……まあよいでしょう。リリララ様に妙なことをしでかしたらちょん切りますからね」


「あら、インキュバスは女性に子を生ませる魔族ですよね? わたくしはまだ子供を授かれる体じゃありませんから繁殖はできませんよ?」


 何も起こるわけがないでしょう? そう言いたいらしいが、世の中にはそういう思考をすっとばす変態も多いのである。

 リリララのような美幼女であればなおさらだ。とは言ってもこの世界にリリララを害せる者などほとんどいないので、危機感が足りないと言うべきかどうか迷ってしまう。キッシュ程度であれば問題にすらならない。


「……その反応は心配するべきか否か迷いますね。まあ、よいでしょう。ですがふたりきりになるのは許しませんよ」


「ふふ、わかりましたわ。それではキッシュくん! そろそろお顔を上げてくださらない?」


 再びビクンと跳ねた──というより、ガクガクガクガクと強めに痙攣し始めたキッシュであったが、ゆっくりと、そう、ナマケモノがバンザイするような速度で体を起こすことに成功した。やったー! コロンビア。


「ふむふむ。確かにインキュバスにしては地味めなお顔ですが、お化粧したら化けそうですわね。それにお肌がとっても綺麗! ぷるんぷるんですわね」


 遠慮無くまじまじと見つめ始めたリリララに視線を合わせるなんて以ての外。緊張してかれこれ十分ほど息を止めているが、命の危機に自分でも気付いていない。


「ほら、キッシュくん! 今日からよろしくお願いしますね!」


「ヒイィッッ」


 キュッと握られた手の柔らかな感触。それはあまりにも甘い罠だった。驚いた拍子に思わずリリララの顔を直視してしまった瞬間。

 それは後光か。それとも紅の光か。いや、紅鏡──太陽そのものか。彼にあの世行きを決意させるには充分の破壊力──いや、幼女力。

 それは天使の誘い。


 キッシュは、泡を吹いて気絶した。




「そういえばおじさまはどうなのです?」


「何がでしょうか」


「もちろん恋のお話です。見た目は美しいですし、血筋的にも入れ食い状態なのでは?」


「否定はしませんが、その表現はやめましょうね。あと、お世辞を言うのなら中味にも言及してください」


「やっぱり! いつ会わせていただけますか? わたくし、お姉さまが欲しかったのです!」


「早とちりしないでください。相手などおりませんよ、出会いもありませんし。そもそもここに来る女性は今のところ貴女くらいなものです」


「……おじさま。ロリコンだったのですか」


「違います」


「ならばもしや同性」


「違います」

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