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第一話 おじさまと幼女

 からり──紅茶に入れた氷がじわじわと溶けていく音が、男の意識を取り戻させた。空の天候をそのまま映す天井を見上げてみると、紅鏡(太陽の意)が丁度てっぺんに昇っていることに気が付く。


「もう昼過ぎですか」


 眩い光を受けて目を顰めながら、ほとんど音のないため息をひとつつくと、膝の上に開いていた本を閉じる。

 そのままソファに横になり、先ほど寝落ちする前まで読んでいた物語に思いを馳せる。

 今回の新作は色々な意味で興味深い。もうすぐ読み終わるが、続きを読むにはもう少し寝かせてからが良い。

 好みかどうかと聞かれたら、コメントはし辛い類のもののようだ。


「あら、もう続きはよいのですか」


 寝かせついでにもうひと眠り──凜とした音色によってその目論見は呆気なく潰されてしまった。


「おはようございます」


「寝ながら言わないでくださいな。おじさま」


 渋々とした声を上げる男を面白がるように、いつの間にか部屋に入り込んでいた存在は、クスクスと笑いをもらしながら男の向かいに座る。

 男が細い目をわずかにあけてそちらを見ると、よく知る光り輝く金の髪と澄み切った青色の瞳が目につく。いつからだったか、彼女は当たり前のようにこの執務室に入り込むようになっていた。


「いくらリリララ様と言えども、プライバシーの侵害ですね。淑女然とした貴女はどこへいってしまったのでしょう」


「おじさまったら、意地悪をいうのね。寝ているフリをしていたようだから気をつかって差し上げたのに」


 うふふ。


 ふふふ。


 柔らかな甘い微笑みと、聖人然とした爽やかな微笑み。

 執務室のロマネスク風な内装の雰囲気も相まって、よくできた芸術作品のような一幕であったが、お互いの心情を正直に語るとすれば、「なにしにきたんじゃワレェ」「またサボりかオッサン」、この程度のものである。


「それはそうと、今回のお話はお気に召しませんでしたか?」


 先ほどまでのやりとりをとくに気にすることもなく、リリララと呼ばれた少女は、男──ミソラに問いかける。


「……そうですね。まさか自分の祖父が女性にされたあげく、サイクロプスの花嫁になる話を読むことになるとは、思いもしなかった」


 話題は手に持つ本。ミソラ自身、滅多なことでは動じないと自負しているが、それでも最後まで読むのを躊躇させられる内容であった。

 身内の女体化、更にはラブシーン。ミソラの祖父は人族であり、今や少し体格のいい程度の老人だ。過去の戦乱を治めた功績で、人族のみならずすべての種族から崇拝されているが、いくら歴史に名を残した偉人とはいえ、生きているうちにこのような扱いを受けるとはいかがなものか。

 本人が知ったらどう思うだろう。……笑って近所に配りそうであるのが困りものだ。


「ああ……ファドレ様は人気ですからね。カリスマのなせる技、なのでしょうか。おじいさまよりも影響力があるのは少々問題かもしれません」


「魔王より魔族に支持されている勇者、ですか。魔王様が不憫でならないですね」


 ふむ──と、リリララは少し考える。そういえば本の内容を知ったとき、おじいさま──魔王ゴ=インキョ──の目が充血していたような気がする。

 普段から無口な上にムッツリした顔をしているから、感情が読み辛いのだ。もしかしたら気にしているのかもしれない。

 帰ったら肩でも揉んであげようか。眉間の皺をほぐしてあげてもいいかもしれない。


 リリララがおじいさまへの孝行を考えていると、部屋のドアが控えめに開いた。部屋の主人はミソラであるが、ここの従者はあまりミソラの言うことは聞かない。


「リリララさま。ここに、いたですか。お茶と、おかし、どうぞー。ミソラさまの分は、なかった」


「あら、ありがとう。いつも悪いわね」


 ミソラへ向ける含みのある笑顔ではなく、ふわっと柔らかい微笑みを浮かべると、彼(もしくは彼女)は嬉しそうに身をよじる。


「いーえー。リリララさまがわらうなら、いいのです。わうわう」


 この、少しそわそわした様子でお茶を運んでくるのは、この建物──古代図書館『エニグマ』に所属する司書のひとりだ。

 このエニグマには、利用者である研究者や学者といった知識人たちとは別に、フレイバーマンと呼ばれる妖精が司書として働いている。

 彼らはぼんやりとしていて他人に興味が薄く、決して社交的ではないが、目の前のちいさなお客様──リリララ──に対してはとても積極的に関わりたがる。

 物語から出て来たような理想のお姫様のようでいて、幼さを感じさせない気品のある立ち居振る舞い。それから体からあふれ出る芳醇な魔力の香り。

 彼らにとってそれらは琴線に触れるものらしく、リリララが訪れると皆心なしか浮き足立つ。今日も魔力を辿っていそいそとお出迎えをしにきたようだ。

 エニグマの管理人は男──ミソラ=ソラシド・ミドラー──なので実質彼らの上司のようなものなのだが、そのミソラをほったらかしにする程度にはメロメロである。


「ふふ、嬉しいわ」


「リリララ様、あまり無防備が過ぎると、この本の我が祖父のようなことになりますよ」


「…………彼らも本を書くのですか?」


「今のところその様子は見られませんが。やりかねないとは思います」


 話がわからずコトンと首を傾けているフレイバーマンに退出を促すと、やや名残惜しそうな……不満そうな沈黙ののち、トコトコと素直に下がっていった。

 リリララはそれを神妙な顔で見つめていたが、彼女に出されたクッキーを何気ない様子でつまむミソラに気付き、少し笑ってしまう。


「それにしてもよく続いていますね、この──」


「魔王シリーズですね。おじさまが持っているそれで五作目になります」


 魔王シリーズ。現在魔界にて大流行中の小説であり、これに触れた魔族はこぞって小説を書くようになった。

 ストーリーは大まかに言うと魔族の主人公が成り上がりを目指し、最終的には魔王となるサクセスストーリーである。

 シリーズとあるがこの五冊はすべて別の作家が書いている。作家自身の種族である主人公がいかに強さを誇示できるかで、作家たちが文章で競い合っているのだ。

 それが魔族の大多数に火を付けたらしく、どの種族が魔王となるのに相応しいかなどという論争の種にもなっている。

 尚、これらの小説の中で現魔王であるゴ=インキョは、だいたい主人公にねじ伏せられる噛ませ犬ポジションであることが多い。ゴ=インキョの眉間の皺も増えるわけだ。


「暇つぶしの案を少々提供しただけでしたが。ある意味この五作目に出会ってしまったのは自業自得なのでしょうか」


「それを言うならば、書籍化実行犯であるわたくしも少々責任を感じてしまいますわね」


 これらの流行は、闘争の代わりになる娯楽を模索している魔族からの相談を受けた際に、ミソラが思いつきて発言してしまったところから始まっている。

 リリララはそれらを面白がって思いっきり乗っかった形だ。


「創作とは自由なのだと実感させられます。尤も、魔族的観点で言えば性転換などさほど珍しくはありませんが」


「祖父はあれでも人間ですよ。身内でなければまだマシだったのでしょうが。まあ、魔族の方々が楽しんでいらっしゃるようなので、よしとしましょう」


 もともと闘争心が強い魔族たちは、現在の争いのない世界を退屈に感じている者も多い。それらの欲求を発散させるコンテンツが定期的に必要なのだ。現状は人族が好んでいた創作小説の文化を魔族に広めた結果である。

 過激なものも多々見受けられるが、欲望をストレートに出す作家が多いので、冷静に分析すると様々なものが見えてくる。種族による考え方の違いや望み、不満。

 きっと彼らが小説の中で現魔王をオモチャにしている様を横目に、現魔王は滲み出てきた問題を今も秘密裏に処理していることだろう。今頃覇気でも纏いながら執務に追われているのだろうか。

 気まぐれで魔族の相談に乗った結果、思いがけないムーブメントを起こしてしまった。


「大変心苦しいですが、魔王様にはまだまだ現役でいてもらわねばなりませんね」


 口ぶりとは裏腹に、微塵も心苦しいなど思っていなさそうな、それはもう爽やかな微笑みを浮かべている。

 そんなミソラに呆れつつもリリララ自身も笑みを返し「おじいさま、ファイトですわ」と心の中で丸投げするのであった。



 歪で奇妙な者たちは、探求者の書庫『エニグマ』に集まる。ここから始まるのはそんな、ちょっとおバカで不思議な物語。


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