祈りの書
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ああ、もうこの動き、誰がやったか分かんねえ! 古文なんざ大っ嫌いだ~!
活用とか助詞の省略とかなら何とかなるけど、主語をなくすのは勘弁願いたいね。
当時は「書かなくても、どうせ教養のある貴族様しか読まねーし。歌とかしょっちゅうつくっているんだから、その才覚で察しろよ」なエリート意識かもしれないけど、後世に生きる人のために、ちっとは気を利かせてくれませんかねえ。
しかし、時の導きって不思議なものだと思わない? 千年くらい前は限られた人しか読めなかったであろう文章が、今では義務教育を受ける全員の目に止まるようになっている。当時の貴族がいわゆる勝ち組で、文章の残される素地ができあがっていたのが大きいのかな。
歴史の中で、いったいどれだけの文章が闇に葬られてきたんだろうね。もしも、その中のどれかが生き残り、その時の誰かの考えを変えていたら……世界はどう変わっていたのだろうね。
その限られた書に関して、ひとつ興味深い事例を聞いた。お前も知っておかないか?
江戸時代。禁教令が発布され、それまで以上にキリスト教への引き締めが強くなったことは、周知の通りだ。理由はいろいろ考えられるが、最終的には「国防」のためといえるだろう。
宣教師としてやってきた者には、海外に売り飛ばすために人さらいをする者。日の当たらぬよう、文字通り根回しをして諸外国にとっての、植民地に仕立て上げようとする者もいた。将軍を第一にいただく体制である以上、人々の精神の上に「主」というものを用意させるわけにはいかなかったこともある。
貿易は制限され、聖母マリアやキリストの像を踏ませる「絵踏」が大々的に実施された。ついには島原の乱のごとき大きな一揆が起こり、幕府は仏教の力も借りて、キリスト教徒たちを改宗させる動きに出た。これも良く知られた「宗門改」という奴だ。
島原の乱をきっかけに、宗門改役という宗門改専任の役職が用意される。彼らは自分の配下である与力や同心たちとともに、担当する区域のキリシタンたちを徹底的に摘発した。キリシタンが改宗したことを示す書類の作成。そして、教えを棄てると誓ったキリシタンのその後の動向も監視する役目を追っていたらしい。
その中、ある改役の下で働く与力のひとりである彼は、数少ない特別な役割を担っていた。
幼い頃に異人と触れ合ったことがある彼は、少しく異国の言葉を読み書きすることができたんだ。人前でおおっぴらにすることははばかられたが、何の因果かこのような仕事に就いてしまい、キリシタンたちを摘発するかたわら、家の捜査も行った。改宗にあたり、不都合になる材料を洗い出して処分をするためだ。
その主だったものは十字架と……聖書だった。
つたない紐閉じで一緒にされた紙束には、日本語、異国の言葉を問わず、聖書を断片的に聞き取り、書き写したであろう、言葉の断片がならんでいた。彼自身もこの仕事に就く前に、キリシタンたちの祈りの言葉である「オラショ」を何度か耳にしたことがある。その文句と部分部分が一致する。
ところどころで、水をこぼしたあとのように紙がたわんでいるのは、涙ながらに彼らが「主」へ救いを見出さんとしている、証ではないのか。
だが、こちらも仕事。情に流されるわけにはいかない。これらを始末することこそ、彼らがこの治世で生きていくことの後押しになるのだ。
十字架を僧たちに預けた彼に、負わされる任務は「焚書」。彼らの祈りの言葉が込められた紙たちを、残らず灰にすることだった。
積み上げた薪に沿って、うず高く燃え上がる炎。彼はその中へキリシタンたちがしたためた本たちを、次々に放り込んでいく。
粛々と定めを受け入れて荼毘にふす一冊もあれば、全身が炭になってしまうまで生きているかのように身をよじり続ける一冊もある。その彼らの断末魔をほおばった煙は、黒い煙となって空へと昇っていく。かの煙の行く手に、本にも書かれていた永遠の安息の地「パライソ」があるのか、とも彼はぼんやりと考えた。
その最期を悼むかのように、彼が書を焚き上げたその夜は、決まってしとしとと雨が音を立てながら、彼が住まう長屋の屋根を叩く。
そして翌朝。軒先の地面に黒ずんだ水たまりができているのを見ると、まるで自分を責められているような気がして、やや気持ちがかげってしまう。だが、そのたびに「仕事なのだ」と彼は自分に言い聞かせていた。
この「焚書」はかの始皇帝が行ったような、歴史に残るものではない。幕府が、その存在を許さぬとした異教に対する私刑。自分はそこにいて役目を果たす、執行者に過ぎない。
仏の力を認めてまで、追いやろうとした異教。その手助けをしたこの「焚書」という行為もまた、時間の流れの元に、忘却の火の中へくべられて灰となり、誰のものでもなくなっていくに違いない。そして自分の行ったことも、いずれは自分以外に知る者もいなくなってしまうのだ。
彼の仕事は、書が見つかるたびに増えていったが、それをねぎらう声も、いつしか彼の耳には遠い世界の言葉に聞こえ始めていた。
そうした仕事を何年もこなし続け、また新しく本をあぶって葬った、雨上がりの翌日のこと。
彼は仕事の同僚から、潜伏しているキリシタンがいるのではないか、というウワサを聞く。なんでも、彼が暮らしている長屋では、当時のご多分に漏れず、井戸端で話す奥方たちがいるのだが、彼らの子供たちが村はずれの森に幽霊が出ると言い始めたらしい。誰もいないはずの森の奥から、人の声が聞こえてくるのだとか。
それだけならば、改役の与力たる自分たちの領分ではないのだが、気になるのが一部の子供たちの証言。
彼らは声が発する意味が、何一つ理解できなかったとのこと。よどみなく流れる言葉は、確かにお経や呪文を思わせる明瞭さなのに、それが意味するものが分からない、と。
異国の言葉かも知れない。そう判断した同僚は、かねてより言葉を知る彼に判断してもらおうと考えたわけだ。自分もそれに同行するという。
幽霊にせよ本物にせよ、キリシタンがいるのであれば詮議をしないわけにはいかなかった。彼は改役から調査の許しを得ると、同僚の案内で件の森へと向かった。
彼らの服装は普段着。与力であることを示す道具は、何一つ持ち歩かずに、森の中へと踏み入った。
今回は情報と確証を得ることこそが肝要。捕縛などの強い手段に訴えるのは、相手の状態を知ってからで構わない。彼らはさりげなく会話をしながら、木々の間を分け入っていく。
森に入って四半刻ほどが経っただろうか。二人の耳に、自分たちではない何者かの声が届いた。
二人は揃って黙り込み、聞き耳を立てる。前方から届くその声は、間違いなく異国の言葉。あの書たちに記されていた祈りの文句。それを唱えた「オラショ」に違いなかった。
彼は同僚と顔を見合わせると、忍び足でじょじょに声の元へ近づいていく。
足元の根っこ、葉っぱ、木の枝一本。音を立てる要素ひとつひとつを慎重にかわしながら、歩を進める二人。声は次第に大きくなってくるが、相手の顔は一向に見えてこない……。
その時。今まで前から聞こえていた声が、ぴたりと止まった。
何だ? と二人が立ち止まるや、今度は彼らのすぐ耳元で、先ほどまでとまったく同じ声が聞こえたんだ。依然、自分たち以外に誰の姿もない。
彼らは慌てて周囲を見回すが、それをあざ笑うかのように、右を向けば左から。左を向けば、右から。前を向けば後ろから。上を向けば足元から聞こえてきた。四方に、声がしみ込んでいる。
同僚はもう錯乱していたようだ。彼もまた声にならぬさけびを上げ、来た道をとって返すが、何歩も走らないうちに木の根っこにつまづき、顔を地面へしたたかに打ちつけてしまう。それでも何度か地面をかきながら立ち上がり、つんのめるようにして遠ざかっていく姿には、もういつもの仕事で見せる沈着さは、欠片も見当たらなかった。
だが、彼の眼はすでに同僚からははずれ、彼がつまづいた木の根っこに吸い寄せられている。よほどの勢いだったのか、足の引っかかった根の一部がぱっくりとちぎり取られていたんだ。
そこからはとろりとした、液体が流れ出ていた。それは樹液と呼ぶには、あまりに黒すぎる。
粘り気を帯びながら、その表面で、おのずと泡が膨れて弾け、ぶくぶくとあの「オラショ」を吐き出すんだ。さらけ出された自分の喉に、先ほどの彼が逃げる際に巻きあげた、ほこりにざらつく周囲の空気を吸い込んで、先ほどよりも苦しげに、悲しげに。
……吐き出される黒色は、まるであの時焼いた、本たちのようだ。
はっとした彼は、「幽霊」と「キリシタン」の正体を悟る。
自分が焼いた、数知れない祈りの書たち。それらは煙となり、雨となり、彼らの元に降り注いで、新しい姿を得ながら生きていた。その文句の、本来の意味さえ分からぬままに、発する声のみを彼らに託して。
「あの樹木たちは、私たちが眼で見て文字を覚えるように、雨として降り注いだ「言葉」を肌で受け止めて、覚えたのだろう」
晩年に彼は、そう語った。
やがて朝廷に政権が還り、将軍がいなくなる新しい時代を迎えるまで。その森からは雨が上がった翌日に、唱える者無きはずの「オラショ」が小さくか細く、聞こえてくることがあったとか。




