177幕間 ボンニャ、追憶す
お母様とお父様に驚かれつつ、ボンニャ君はお家に戻りました。そこでお姉様にもちょっぴり叱られつつ心配され、やっぱり微笑んだボンニャ君です。
「お父様、お母様。ローレンは僕には不釣り合いな無能なので僕の執事は別の者にしてください」
ボンニャ君が最初に手を付けたのは、自分の執事の首を挿げ替える事でした。
「だけど、急に仕事が無くなったんじゃローレンも可哀想ですから、兄上につけてやってくださいな。兄上もゆくゆくは僕が使うべき人材ですもの、当家の一員として恥ずかしくない程度の能力を持たせてやらなくてはいけません」
「おおボンニャ!なんて立派な子なの、そうよあんな子こき使ってやりなさい!」
お母様はボンニャ君の掌の上でコーロコロです。なんてチョロいのでしょう。お父様はもっと簡単です、お母様に気兼ねしてお兄様に十分な教育が出来てないだけですから、ボンニャ君の我儘に乗っかる形でお兄様には執事と教育が用意されました。
「僕が連れて歩くのに恥ずかしいです」
そう言えばお兄様には清潔な衣服が定期的に準備されるようになりました。
「兄上は痩せすぎていて、いかにも僕が苛めてるみたいに見えるじゃないですか?」
小首を傾ければ、お兄様の食事が抜かれることは無くなりました。お兄様はみるみる艶々になり、身綺麗になり、一家とはあまり似ていない線の細い美青年に変貌しました。ボンニャ君はにっこりしました。
ローレンはお兄様の側でよくよく働きました。全くボンニャ君の後ろをついて回っていたころとは別人です。それが何故かもボンニャ君はちゃんと覚えていました。ローレンはボンニャ君ではなくてお兄様の執事だったのです。
昔、お父様はお兄様にボンニャ君と変わらない物を与えていました。ボンニャ君は自分が生まれて、自分が大きくなるたびに、お兄様からそれらが一つずつ奪われていっていたことを知りました。
小さなころは、お兄様が少しずつ離れて行くようで寂しかったのです。しかしボンニャ君は残念ながら割合聡明でしたので、何が起きているのかを理解するのはそれほどかかりませんでした。
そうして七つに成った時、お兄様の執事だったローレンが自分に与えられた時。ボンニャ君はお母様に、どうしてお兄様と自分が違うのかを聞いてみたのです。
『あの子が悪い子だからよ、可愛いボンニャ』
そう言って笑ったお母様の顔をボンニャ君は忘れられそうにありません。ボンニャ君にはどうしてか、それがとても怖く感じられたのです。
ともあれお母さまから答えを貰ったボンニャ君は一生懸命悪い子になりました。元々聡明な子であったので、どうすれば莫迦で、怠惰で、愚鈍に見えるかと言うのはわかりました。ボンニャ君はとても頑張りましたが、けれど兄弟の扱いが変わることはありませんでした。一年ばかり頑張った後、ボンニャ君は結論を出しました。
お母様は優秀なお兄様よりも凡愚な僕を選ぶのだ。
全然子供らしくない結論ですが、ボンニャ君がこの結論から何を見出したのかと言えば、悲しみでした。ボンニャ君が今、何が出来るか。子供ですから何もできません。お兄様に食事を、衣服を、教育を。叶うならば、家族からの慈しみを。どれも自分には用意が出来ない、とボンニャ君は思いました。
莫迦の振りをしながら、ボンニャ君は沢山与えられる本を読み散らかし、まるでその夢を真に受けたかのようにしてギルドにあれこれ依頼を出しました。そうしてやってきた冒険者たちにとても感じ悪く振る舞うことで、ボンニャ君の評価を下げていきました。
外部の人達は、当たり前ですがボンニャ君の演技をきちんと受け止めてくれました。ボンニャ君はとんでもない扱いづらい金持ちのクソガキだと言う事になりました。それでもまだボンニャ君は見放されないのです。お兄様の待遇も変わりません。ボンニャ君はどうしたらいいのかわからなくなりつつありました。
このころになると、ボンニャ君の出した依頼を引き受ける冒険者は殆どいなくなりました。だからボンニャ君は砂漠薔薇の滴の事をすっかり忘れ去っていました。ですがその日、とうとう引き受ける人が現れたと言うじゃありませんか。ボンニャ君は気合を入れて莫迦なクソガキの振りをすることにしました。これでギルドへの依頼は終わりにしようと思いつつ――。
現れたのは二人組の冒険者でした。異国の衣服に身を包んだ竜人と、黒い上着を着た白い女性です。お伽噺に出てきそうな現実味のない二人組にボンニャ君は内心気圧されましたが、長年被ってきたクソガキ仕様の猫はちゃんと仕事をしました。
竜人の方はボンニャ君どころか世俗の何にも興味が無い風情でした。視界に入っているのは相方の女性だけのようです。そうして女性の方はしっかりボンニャ君に騙されてくれたようで、とても冷たい目でボンニャ君を見下ろしていました。ここまでは予定通りです。
ところがここからボンニャ君は思っても無い目に遭いました。まず町から出た途端二人が空を飛んだのです。跳んだのではありません。女性はボンニャ君を熊のぬいぐるみと一緒に木箱に押し込みました。そして魔法でも使ったのか、触りもせずに木箱ごとボンニャ君を連れ去りました。竜人も横を飛んでいます。
何しろ空を飛ぶなんてことは初めてでしたので、木箱の中でボンニャ君はしばらく叫びました。ですが、叫び疲れた頃に周りを見渡すと何とも見晴らしのいい景色が広がっているのです。いつの間にやらボンニャ君は、砂の海をすっかり楽しんでしまいました。
楽しい思いをしたのも束の間、続いてボンニャ君は真っ暗闇の中を後ろ向きで移動させられると言う、夢に出てきそうな体験をする羽目になりました。途中で女性がいったん止まり、光る石を持たせてくれたので、女性に悪気はなかったらしいことだけはわかったのですが。ただ、うっすら光る石を持っていても周りが見えない状態は変わらず、結局怖かったのですが。
移動が唐突に終わり、ボンニャ君は地面に立たされました。ここが一体どこなのか全然分からず、ボンニャ君は戸惑いました。女性が松明をつけてくれて、ボンニャ君の目にも、大きな水面が見えました。
ボンニャ君は泳いだことがありません。この水の底に、自分が依頼した砂漠薔薇の滴があると言われても採りに行けません。自分で採りたいなんて適当に出した依頼の事を思い出させられます。
続いて見せられたのは大きな蠍と蜥蜴です。物音すらしないので全然気づきませんでしたけれど、竜人はずっと戦っていたのだそうです。洞窟に入ってからずっと、移動中も、全部竜人が倒してくれていたと聞かされて、ボンニャ君は今まで出してきた依頼の事を思い返しました。ずっと誰かに自分を守らせていたのです、自分の評価を下げるために。
どうして砂漠薔薇の滴が欲しいのかと聞かれて、本当の事なんて言えなくて。ボンニャ君は表向きの理由を答えました。この女性は何故かほとんどボンニャ君の方を見ませんが、この時だけはボンニャ君と目が合いました。松明の光が薄い色の瞳に揺らめいて、ボンニャ君は何かを見透かされたような気がして仕方ありませんでした。
自分で思っているよりも、ボンニャ君は唐突に晒された非日常に疲れてしまっていたのかもしれません。表向きの言い訳の筈なのに、気持ちがどうしようもなく高ぶって来てボンニャ君は大声を出して泣いてしまいました。これじゃまるで子供じゃないかと、お子様のボンニャ君は思いましたがどうにも涙が止まりません。
女性に願い事の事を喋ってしまったのは、気持ちが落ち着く前でしたのでこれはボンニャ君の失敗です。ですが、何も知らない人だからこそ話せたと言う側面もありました。そうしてボンニャ君の叫びを全部聞き終わった女性は松明を地面に立てました。
何やら作業を始めた女性は、ボンニャ君の願いが叶う事はないと言いました。人の心を曲げることはできないと。そんなこと、言われなくてもわかっています。
女性はボンニャ君の家の事なんて何も知らない筈なのに、ボンニャ君の話だけでお家がどれくらいねじくれた状態にあるのかわかったようでした。女性はボンニャ君の願いが、ボンニャ君が本当に望むこと――お兄様と自分を同じくらい大事にしてもらいたい――が、いかに思い上がった恥ずかしい願いであるかを端的に述べました。そんなこと、言われなくてもわかっているつもりでした。
わかってないと言われたも同然です。ボンニャ君の行動は独りよがりなものでした。ボンニャ君だってお兄様を大事にしていません、お母様が怖いから。優しさは与えられるもので与えるものじゃないから。でもお兄様が救われないから、自分を貶めて、近づいたと安堵しています。そんなことをしたって何も変わらないのに。
女性はボンニャ君に蛇皮製のランタンみたいなものを持たせて、自分はボンニャ君を抱き上げました。そうして躊躇いも無く湖の中に入っていきます。ボンニャ君はこの人形みたいな人がちゃんと温かい事に安心しましたが、泳げないと言ったはずなのにどんどん深くなる水に子供みたいに動揺してしまいました。
取り乱したボンニャ君を見て、女性は何故かおかしそうに笑いました。それもそのはず、水が女性を避けて空間を作っていたのです。女性はボンニャ君が良い子なので、砂漠薔薇の滴を自分で採らせてあげることにしたと言いました。もうつまらない事は願わないだろうから、と。
ボンニャ君は、自分の顔くらいある大きな水中の薔薇から滴を採りました。掌の中でキラキラする滴に、願い事なんかしません。わかっています、願いってものは自分で叶えるために足掻く物です。
ボンニャ君の目から少しばかり水が零れましたけれども、これをボンニャ君が認めることはありません。なんたってボンニャ君にはやるべきことが沢山あるからです。
久しぶりに小箱の中身を眺めていたボンニャ君は、部屋に入ってきた右腕と視線を交わしました。
「『女神の瞳』でしたっけ?」
部下の割には砕けた言葉で、右腕はボンニャ君の小箱を見ています。ボンニャ君も微笑んで、小箱の蓋を閉めました。大切に引き出しに戻します。
「そう、私の目を覚ましてくれた女神様のね」
「思い出は美化されると言いますけど、商会長のは些か大袈裟な気がしますよ」
「大袈裟じゃないんだよなあ」
ボンニャ君は二人組の冒険者に想いを馳せました。自分の背丈が今の半分の頃の懐かしい思い出です。
「兄上と一緒に仕事が出来るのは、女神のおかげなんだから、どんなに持ち上げたって大袈裟なんかじゃないんだよ」
右腕、お兄様は困ったように微笑んでボンニャ君を見返しました。笑い方がお父様に似ているなあとボンニャ君は思います。
「やる気になったらいつでも言ってくださいね、兄上」
「俺は参謀の方が好きだからなあ」
よく似た腹黒い兄弟は、今日も仲良く仕事しています。




