涙のViolence
充分な愛もなく周囲への感謝も慈悲心も薄弱だったが、何故か男女の友人には
恵まれていて、取り分け少女達の背中には羽根が生えていたよ‥
彼女達だって傷だらけの天使だったんだ‥
妄想じゃなくて冗談さ‥いや比喩かな‥
でも傲慢で慢心していた僕は、彼等の差し伸べる手を尽く振り払う様な事ばかり
していて、かなりの心を傷つけていたが、少しも反省する事がなかった。
そもそも気づいていなかったんだよ‥僕も馬鹿が具現化してたんだな‥
何時の時代も弱いくせに虚勢を張って仇をなす性悪な群れはいたよ‥
僕が"人間爬虫類"と定義している彼等はね‥そりゃそれなりに問題を抱えていた
んだろうけど、自分のストレスや他から虐められない為に群れて、わざわざ標的を
造ってね‥その為に何人が死んじゃったのかな‥
いじわると言う共通した習性と匂いを漂わせるグループは、生理的に嫌悪して
避けているうちに、自然と対極的な仲間が増えたんだ。
女の子達は物憂げだったが真面目で優しく、時に扇情的だった‥
人は多面的なものさ、演者というべきかね、
善悪二元論で言えば、どちらを演じ荷担するのかと言う事じゃないかな‥
いざとなった男連中は破天荒で、何が出るか分からない刺激があって
coolな少年期だったよ。
それぞれ問題があっても、みんな子供だったし自分の力だけで精一杯生きていた
連中が多かったから、重箱の隅を突くような時間は
男女ともに育ち難かったのだろうね‥
そんな"ちょい悪"グループの友達がいた頃に、縁あって沖縄空手の師匠に出会
って弟子になり破壊センスは身についた。
けど暴力への優位性については逆に懐疑的になったよ‥
時が経つにつれ(人体はヤワ過ぎる‥)
諍いの原因や先手であろうと後手であろうと、勝者が獄舎に繋がれる可能性が高い
法律解釈の下では、やはり護身術程度なんだと心得た。
どんなに肩で風を切って周囲を威圧しても、素手で本気の熊や虎と対峙すれば、
まぐれでも無い限り、瞬く間に道化者にされる‥
常に上には上という存在があり、身体の強健を誇ったところで、
人体は実に他愛も無く、脆いものだと気づかされる。
或るものは、電車に飛び込み、内蔵を巻き散らかしてバラバラになり、
或るものは、意地の張り合いの末に、腹をえぐられて横死したよ。
また或るものは、大型トラックの運転手と些細な交通上のトラブルで一般道を
八十㎞でデッドヒートした挙げ句、
嫌がらせに腹を立て、急ブレーキをかけたトラックの後部に激突して即死した。
全身に入れ墨をした男が泥酔し、老いさらばえた体が少年達に囲まれ、
小突き回される寿町ドヤ街の一場面ではね‥
「ほ~らジジィっ! 弛んだ汚ったねー絵ェしょい込んで歩ってんじゃねー
って言ってんだろォー」
数年後に"鉄砲玉"と噂されていた男は、路上凍死したと小さく報道された。
それが彼等の残したものだ。
いずれも生きていた頃は腕力を誇っていた連中だったが、
最後はみな儚く空しいものだと思い、周囲に看取られ、逝く末路との相違は、
なんだろうかと思う二十歳を僅かに過ぎた頃だった‥
そうして僕はよく本を読むようになって、いつも手本を探し求めるようになり、
出会う手本と思われる実体を持った存在は、大概"過去の人"になっていた‥
手本の基準は性根に依るから受け取る現証が、こちらの妙味となります!
などと現代若者接待風に言ってみても、キャラが少しもハマらないよなぁ‥
予防接種会場で連鎖して泣き出す子供達は生きやすいだろう‥
種の滅亡を回避する宝器と同様に、何故と思う遺伝子も何処かの局面では
生きているが、彼等は群れる事を好まないから出逢う事は容易じゃないさ‥
―――
大正十二年年(1923年)九月一日 神奈川県相模湾を震源とするマグニチュード
7.9の大地震(関東大震災)が起こり、
その際に様々な強盗団の被害が発生し、在日が井戸に毒を投げ入れたなどの
デマが流布され、方言だったり話し方を誤認された日本人を含む多くの
在日朝鮮・韓国人が虐殺された‥
吃音の人さえ殴り殺してしまったという事実は、それはつまり性根を腐らせた
民衆が、鬼に憑依された瞬間だったろう‥
悪意が悪意を呼ぶ連鎖が飽和して、大災害が重複すれば誰もが手が着けられない
ほどの理不尽が各所で立ち起こり、冒頭に述べた"人間爬虫類"に因ってもたらされ
る被害者は当然のように女子供や弱いものばかりだ‥
そのような背景の中にあって当時の鶴見署では逃れてきた在日約300人を保護した
が、殺害の為に引き渡しを要求する暴徒約1000人に対峙し、
大川 常吉(1877-1940)署長は体を張ってこれを制止、
在日避難民を事無く守護し抜いたと言う。
一部に川崎での事例であるとする主張も紛燃するが、
それは各地に心ある人が、少なからず点在したと言う事であり、大川常吉署長の
名誉と行動事実が、些かも損なわれるものでは無いと思う。
その前後の期間に、横浜市内・鶴見・川崎各警察署に収容保護された朝鮮在日・
七百二十三人は、同月九日神戸の鈴木商店所有の貨物船・華山丸に長期間・
隔離収容され、一部は神戸に移送されて事なきを得たとある‥
それぞれの得物を手に暴徒と化した群衆に対して、少人数で対峙する心情は、
恐怖を通り越して、如何にして一人でも多く道連れにしてやろうかと思うものだ。
そうした時の心情は、犬を含む動物達の命を賭けた争い状態に近く、
動作の背景には、ただ殺すと言う憎悪しかない‥
前列に位置するものほど、そう思う中で最前列で自他ともに冷静を呼び掛ける
大川署長の度胸と道徳心は、さすがに大正生まれのものだと思った‥
そうした"義人達"の存在を探索できても、それを我が身の血肉に変換するには、
まだまだ別の要因が必要だった‥
―――
僕が卒業間近な中学生達のRock Live に向けて、顧問兼ボディガードを引き受けて
いた時、その中学校も荒れていて、生徒間の虐めに端を発して男子生徒が自殺する
という事件が、引き続いて二件程起こり、直接、間接的に関与した加害生徒は
五十人ほどいると思われた。
「なんだよバカヤロ!ーしっつけぇーんだよォ俺ァは知らねぇっつてんだろーぉお」
取り調べ警察官の向こう臑を蹴った少年は鰐口と言い、黒いジャケットの裏に
"胡蝶蘭"と刺繍したグループの父親は暴力団という噂のリーダー格だった。
確かに彼が直接に被害少年を自殺に追いやった分けでは無い‥だろう‥
自分が被害者になりたくない一念で虚勢を張り擬態する人間が集まっただけで、
群れたくない者達の驚異になったと言う事だ。
それだけで結びついた群れは弱い敵を探し出し、叩く事で仲間意識を継続する
獣の世界とおんなじだ。
前述したが大事な事さ‥この地球の事を知るうえでね‥
愚かな大人の常識を掻い潜り、彼等は少年という特権を"狡猾"に学んで利用した。
いじめ問題は全国的に波及していて、未成年で集団と言えば、
警察が及び腰になる微妙な性格を孕んでおり
「事を荒立てさえしなければ、厄介者は年毎に卒業して行くから‥」
そう隠蔽したい学校側全体の対応も"人間爬虫類"を増長させていく要因だった。
自殺した少年の父親は悲壮な思いで、各家庭の父兄を訪れて非業の息子の無念を
晴らすべく事実の証言を依頼して回ったが‥
「うちの子は、何も知らないから‥」
「うちは、全然関係ないから‥」
「大変な事でしたねぇ‥お力になりたいけど‥
うちの子は何も見てないって言ってるし‥ごめんなさいねぇ‥」
それが君達の言う現実なんだろ…
わかっているさ‥
体良く追い返されたと言う父親は男泣きを隠さなかった‥
それぞれが受験・進学という重要な課題を抱えていた時期の事ではある。
―――