約束の"きずな"(II)
何の話だっけ‥
そうそう、冬はまだしも、夏は此奴ら地球の"使い魔"達が
間引き計画を実行する ので
「今は草むら入っちゃ駄目っ!」と狗娘達を制止する。
ダニや蚊が媒介するシステムとしてのウィルスは、
淘汰や間引きのみならず、生物の進化にさえ多大に干渉してくるが、
今は凡夫の知る事能わざる実相なり‥などと、ばっくれとこうっと、
きっと全てを語り終えた時、僕の命は奪われるのだろうか‥
「えーあそこにテニスボールが落ちてるのにぃっ!」
リータは不満を言って僕は、それにいつも負ける‥
人は何時、死ぬのか解り難いけれど動物達は解り易いし、早死にだ‥
愛する人が十年しか生きられないとしたら、
その時から貴女なら、どのように振る舞い命と接して生きるだろうか‥
リータは植樹の中にガサガサと入って行き、ヒョイと出てきたと思ったら、
真新しいテニスボールを咥えて出てきます‥
僕がそれをコートに投げ入れる‥
誰にも感謝される事のない、二人のちょっぴりな善行遊び‥
リータはずっと続けたよ‥
「あたしは、いいわー遠慮する」ベールはボールも興味なしでしたからねー
林に囲まれた車一台分の狭い道路では、強い陽差しを避けた木漏れ日の揺れる場所
があって、僕たちは休憩するんだけど、とても気持ちのいい思い出のワンシーン
になる筈なのに‥
不快な蚊は「それっ!」とばかりに群れをなし僕達の血を求めてやってくる。
でもね、何時からだったろう‥
何処からともなく黒くて巨大なトンボがやってくるようになって、
数匹の蚊があっという間に捕らえられ、彼女の餌食になってからというもの、
その羽音が聞こえただけで蚊は現れなくなった。
僕達が林に入り抜け出るまで、黒いトンボは寄り添うように着いてきてくれた‥
それはシーズンが終わるまで毎年続いたんだよ‥
あのスパニエルに会いに行く手前での、ちょっぴり不思議な出来事だった‥
―――
ここは都会では無いけれど、割とインフラは充実しているし総合グランドも
あって、僕達の運動コースだった。
普通に手の合図だけで朝礼台の上に飛び乗ったり、指示に従って行動するベールと
リータを見てギャラリーは感心していたけれど、
犬の事を知らない以前に、端っから動物は人間よりも劣っているって
決め込んでいるんだと気づいたよ。
全ては愛と親和がなければ彼等の能力に出会う事はないので無理もないさ‥
今はアフリカのコンゴに住んでいるニヤンガ族の伝承にね‥
むかし、ルクバと云う犬が、人間との永遠なる友情の証として、神から火を盗み
人に与えたんだけど、
人間は次第に犬を利用するようになったので、意志の疎通が出来ない事を
装うようになり、言葉を話さないように、戒めるようになったんだってー
いわゆる神話だからねfantasyなんだけど‥
神話は何時だって示唆的だったよねー
-月光の揺籃-
内緒だよ!夜のゴルフ場に忍び込み、
三人で駆け回った事なんて……
月の光で照らされた僕たちは、
宝石のように輝いていたね
ても 君達はダニだらけになった
たった一度だけ、月の光が輝く
湘南の浜辺を、三人で
走った事を覚えているかい?
闇の中から聞こえる潮騒や、
穏やかな風の揺籃に包まれたように
僕たちは、寄せる波に、ふざけあい・
笑いながら 時を忘れた
まさにMOONLIGHT SERENADEな夜だった‥
(たのしいなーたのしいね! 父ちゃん!
連れてきてくれて、ありがとー)
走り戻ってきたベールは いつもそう言ってくれた‥
どんなに 他愛のない事にでも
僕こそ ありがとうだよ 犬の心を教えてくれて
いつも 支えてくれた 君たちにこそ‥
夢のように過ぎ去った
幻想的な日々があった事を‥
――― ――― ―――
僕達が運動公園での訓練を終えて帰り始めた早朝、今では駐車場になってしまった
小高い丘の方向から、二頭の雑種犬がこちらに向かって歩いてきた‥
他犬の接近を、絶対に容認する筈もないリータが、この時は何故か無言で犬二頭を
全ての事情を察しているかのように見詰めている‥
ベールが白い方の犬を見てから、僕を見上げて何かを言おうとしていた‥
「分かるよ僕にも‥」
一頭の白い雑種は皮膚病に罹っており、完治するとなれば、相当の時間と労力を
要するだろうと思われた。
二頭の様子から必ずしも健全な環境での飼育下には無かったのだろうとの思いが
よぎるけれど、二頭は理知的で明らかな意志を伝えようとしている。
(‥一緒に来てって言ってるよ)ベールもそう伝えてくる‥
二頭は振り返り 振り返り彼等が来た方角の二股の木の方向に私達を向かわせる。
誘われるままに着いて行くと、一㍍ほどの小木だったが二股に別れた幹の間に、
北海道犬種のような犬が腰を挟まれ動けなくなっていた。
三頭は仲間のようであり、ベールが言うには彼がリーダー的な立場にいるらしい、
それなら一番力があり追跡力もあるリーダー犬をこの木に繋げて、
飼育者は三頭を遺棄して去ったのだろう‥
リーダー犬は繋がれた運命に抗い、リードや木に咬みついて口は血だらけとなり、
暴れている内に、二股の枝に腰を挟まれ、身動きできずにグッタリとしていた。
他の二頭は繋がれておらず、自由だったはずなのに、
仲間の窮地を見捨てる事もなく、自分達にはできない事を‥
何故、人間ならばできると思ったのだろう‥
非情な飼い主を追い求めるよりも、哀れな同胞と運命を共にするという、
犬で在りながら‥いや犬だからこそ健気な選択をしたという事になる‥
此の出来事も、僕にとって苛烈な思い出となった‥
彼が縛り付けられていた二股の桜が成長する早さと、重なって
年月の早さが非常な驚きとなって甦り‥言葉を失ってしまう‥
(‥父ちゃん? そいつ咬もうとしてるよ)
助けだそうとした僕に、リータが告げてくる「そうか、気が動転してるんだ‥」
このまま抱き上げたら咬まれるかも知れないと気づいた僕は、彼の背後に
周り、尻尾を掴んで持ち上げた。
彼にプライドがあったらズッタズタな光景だったが、首はリードで巻かれている
から、こうすれば、僕は咬みつかれる心配はない。
そうして彼が落ち着くのを待ってリードを外そうとしたが、相当に抗ったのだ
ろう、堅く結ばれてしまって解けないからナイフで切った‥
自由になった彼はベールとリータの波動を読んで、とりあえずは僕に従う事を
決めたようだった。
水を飲ませる為に、公園内にある子供遊水池に連れて行こうと首輪を紐で括り
歩くと、他の二頭もトコトコと着いて来て、そんな彼等が健気で、
哀れで、ならなかった。
リーダー犬と思われる彼は遊水池の水を、ずいぶんと長い間ガブ飲みしていたが、
それが良くなかったのだろう、しばらく頭を地に着けてグッタリとしていた。
他の二頭は取りあえず安堵したように落ち着いているが、彼等三頭には未来を予知
する事ができていただろうか‥人間と同じで、例え未来が予測できたって目前の
困難をひとつずつ乗り越えるしかなかったんだよね‥
そのうちに、僕達の異変を見留めた管理人が管理棟からやってくるのが見えた。
誰も助け出してくるとは思わなかったのだろう‥
彼が言うには、通報があって既に連絡済みだから、もうすぐ保健所の人達が
来る筈だと僕に告げた‥
その後の彼等の運命を推測する事もできたのに、僕の思考は停止したよ‥
分かっていたんだ‥今の僕は彼等の運命を変える事はできない‥
悲劇に見える結末の全ては"異常な時代の到来"を人に告げて警告する事だ‥
それが彼等の"試練"だったかも知れない。
朝の給餌を待っている他の狗達の為に、一端、僕は家に戻る事にした。
遺棄された三頭にフードをあげたいので戻ってくる迄、三頭を見ていて欲しいと
管理人に頼み急いで家に戻った。
フードを用意して公園に戻ると、保健所の野犬収容車と二人の捕獲員が彼等
三頭を連れて行ったあとだった‥
白い雑種犬はフィラリア症の末期で免疫力が低下して皮膚病が進行している。
それは僕にも分かったが、ベールが言うには茶色の雑種も病気で、
リーダーの北海道犬もフィラリアに冒されていると伝えている‥
茶色の彼は黄疸の症状があったから腹水が溜まっていたのかも知れない‥
つまり癌だよね‥
僕は彼等に言葉を、かけてあげる事もできなかった。
今度は僕と一緒に暮らそう……そう祈り念じる事しかできなかった‥
無力が悲しくて、力の無い正義は無意味だと言う言葉さえ肯定しかけた‥
それから十年ほどの歳月が過ぎ、僕の狗娘の一人が望まれて三頭の美しい
娘達を生んだ‥
僕は彼女達を一頭も手放す事もなく、その後も様々なアクシデントを
乗り越えて、仲良く一緒にくらした……
リーダー犬が繋がれていた二股の樹は十数㍍の巨木となり、あの時に縁を結んだ
リータが、その下で火葬車によって炎となり、
巨木に見送られるように夜空に昇って逝った……
溜まった腹水を一気に抜いてしまうという誤った医学知識を持った医者に、
運命のように出会ってしまったからだ‥
洗面器に満たされた腹水をみせて「こんなに採れました」と見せる彼を驚愕して
サイコかと疑った‥
権威と偏向の知識で一般常識と認識する錯誤が純真を育てれば悲劇は斯く在り‥
リータの容体は一夜にして危篤状態になり「もう‥駄目‥」最後に別れの声をあげ
命の証である輝きが、その瞳から失われて行くのを‥
その首を抱きしめ、崩れ逝くその体を腕に支えながら僕は見送った‥
(父ちゃん死んじゃって‥ごめんね) 病院に行く前に撮ったリータの写真が
何故か情けなさそうな顔をしていた事を、今更ながらに理解した‥
僕とベールの憔悴ぶりは酷かった‥仕事をしていても僕は機械のようだった‥
そのせいか僕はベールの気持ちを酌み取ってあげられなかったんだ‥
ベールは今まで仕事に行く僕を送り出してくれた事はない。
リーターが亡くなって丁度、三ヶ月目の朝、出勤しようとする僕が座って
靴を履いていた時、そっと背後に寄り添いながら肩に頬を乗せて
(父ちゃんごめんね)と視線を落とした‥
その日の午後にベールが亡くなったと知らされた‥
心臓発作だったけど(ひとりで逝っちゃうなんて‥)‥でもそれは違ってたよ‥
ベールの一生で、母親代わりになって育てた狗娘たちに看取られるように、
その身を横たえていたそうだ‥
リータが十三歳と六ヶ月、ベールが十四年と十ヶ月、僕達は死魔と闘った‥
……
今度はいつ? どんな風にして僕に逢いに来てくれるつもりなんだろう‥
僕はもう命の大切さを知っているよ‥貴女が何度も教えてくれたからね‥
それでも涙は枯れないんだ‥
ねぇ‥シスターマリアンヌ‥僕がそれを気づかないと思っていたの?‥