鉄鎖の闘犬
シスターマリアンヌの面影‥僕は今になっても、
その不可思議だった放射力を的確な言葉に置き換える事ができない‥
「何時も、貴男の傍にいますよ‥忘れないでね‥」
横浜に帰る僕に児童養護施設の庭で僅か十歳の心細さに打ち拉がれた
肩を抱いてシスターは微笑んだ‥
「暗いところで本を読みすぎたわ‥」そう呟く彼女は、
かも鹿のように優雅に立ち上がり、僕に歩み寄った‥
その時の記憶か‥書物を紐解く女性に見取れてしまうのだ‥
黒い修道服にクロスペンダント、透き通るような白い手には
ロザリオが握られている‥
(なんで十字架のこんな残酷な姿が信仰の象徴なんだろ、趣味わりぃ)
と思ったかどうだか定かではないが‥
眼鏡を掛けて微笑むシスターを見上げながら、
僕はそんな事を考えていた‥
でもね、数多のアクシデントや振り回される理不尽な運命の違い、
贖罪なんて説教で納得する事はなかったけど‥
慈悲深い神様は、そこんところどう折り合いつけてくれんだろ‥
いつも、そんなふうに思う不遜に過ぎる僕だったけど‥
マリアンヌは大好きだった‥
―――
命は時を超えるもの‥
同じ時 同じ場所で また会いましょう
私の光を あなたは きっと見つける
そうして幾千の昼も、幾万の夜も、彼方と私は創造し
轍になりましょう そうして"詩術"を受け継ぎ
"詩術"を語りなさい
‥そうですね‥そうして僕は、この後も続けます
遙かなる風の中に 舞い踊り‥
遙かなる時をも超えた丘の上で 一期一会の肉身を放れ
微笑みながら 僕を待つだろう‥ 歓喜こそは融合にあり
愛し子達よ 願わくば我が命に融け込み 永遠に
我が輪廻とともにあれ
調和するもの みずからを律するもの
動物達が心許すもの 彼等の遺伝子さえ この世に充ちるならば
時は緩やかに 刻み始めるだろう
心を常に乱すもの 諍いを生み出すもの 他を蔑み
侮るものは 自他を選ぶ事なく
苦海へと誘い ただ虚しく時のEnergieに溶かされる‥
「そうです‥その通りです」シスターマリアンヌは首肯して慈愛の瞳を閉じ、
再び暗闇に包まれていく……
歓喜して僕は夢から目覚めた…だがなんて不道徳な夢だ‥
夢中のシスターマリアンヌは修道服も身につけずロザリオも持って居なかった。
全裸じゃないけど、言うなれば煌めく光の衣を纏っていただけだ‥
彼女の肉体の輪郭は、人が描写しうる女神そのものだった。
あれで眼鏡を掛けていたら、僕的にはうけたんだけど‥
着衣のスリットから垣間見えた白い足‥僕は性に目覚めていたのだろうか?
いや、それももう定かじゃない‥
何しろ夢から覚めた瞬間から、忘却は始まるんだよね‥
痛みのある現実さえ、過ぎ去れば夢のように、そして忘れ去って行くんだ‥
―――
風に揺れるカーテンの隙間から差し込む、揺れる虹彩に目蓋を刺激されて、
片眼だけを薄く開いてみる‥そうして心地よく僕は目覚めた‥
レム覚醒? ノンレム覚醒? どっちだっけ‥
けど‥それは夢の中で見ていた夢のひとつから目覚めただけだった‥
テレビのニュース報道で、2011年の三月十九日シロクマのクヌートが
水死したという事を知った僕は、特異な命が去る時の偶然を疑った。
プールがなければ、彼が命を失う事はなかっただろう‥
死期って‥悪魔との契約が満了したように突然現れるんだね‥
申し合わせたように水は"そこ"にあり、てんかん症状を起こした
クヌートは倒れ込むようにして水没し、溺死してしまった……
デルフライン氏と出会った頃のクヌートの写真はどれも幸せそうに見えたが、
氏が去った後のクヌートは成獣になっても、寂しそうな表情に見えた‥
何時も何かをずっと待っているようなシロクマの表情は、
大正期の東京に実在した"秋田犬のハチ"と重なった。
九年の間‥犬の一生の全部だね‥
(1924年)大正十三年十一月の中旬頃 秋田県 大館市の庄屋宅にて
四匹生まれたうちの一頭で、十一年間生存し、過酷な野良犬生活による老衰と
フィラリア感染により病死したとの記録がありますね。
急逝した飼い主の姿を求めて、定刻になると渋谷駅に姿を現したという
有名な物語ですが、"情"に対しても嘲笑できる"バカちん"がいて驚いた‥
「恩などの感情を犬が持つ訳ないから酔客が気まぐれに与える
"焼き鳥"が目当てだっただけさ」と宣う‥
確かにハチの行動は慕情であって恩では無い‥
ハチの死後、その胃からは焼き鳥の串も確認されたと言うが‥それなら
(1935年)昭和十年三月八日に、ハチは夭折した飼い主を慕い続け
故・上野博士の眠る青山墓地に向かう途中の、渋谷駅よりだいぶ離れた、
"青山通り"で、その健気な一生を閉じた事実を、
どう受け止めるのだろうか‥人間で云えば六十五歳の一生だった‥
純粋な慕情を(国の)"恩"を忘れるなどとして、ここでも戦意高揚に利用した
軍政の、真っ黒けな思惑もあったんだよ‥
だけど‥串って竹だよね‥
痛むんだよ‥心も体も、犬だってね‥
(ここで待っていれば絶対、逢える‥)だから生きる! 生きていればこそ‥
そのくらい考えられるんだよ‥"野良犬"だってさ‥
―――
2006年12月ベルリン動物園で生まれた小熊は、正常な繁殖機能を持たない
母体から、遺伝的な脳障害を受け継いだと思われる為に育児放棄になった。
勿論、その時点で理由が判明した訳ではなく、営利企業が結果に対して
現実的な対応策を取らざるを得なかっただけの話だ。
野生では淘汰される運命でも、人工保育と献身的なトーマス・デルフライン
飼育員の努力は実って、ぬいぐるみのような小熊が
デルフライン氏を追い慕い歩く姿に、世界中が微笑みを送った。
デルフライン飼育員が2008年の九月に心筋梗塞により四十四歳という若さで、
急逝してしまうと‥
残されたクヌートは年上の雌熊達のいる飼育場に移され、様々な困難が予想された
通り、雌熊の三頭から攻撃された様子があったと言う‥
彼はデルフライン氏が姿を見せなくなった成獣になってからも、
頻繁に土遊びをしていたようだ‥
小熊の頃 土に まみれ遊び 一番幸せだった時間
クヌートには 決して短くはなかった事だろう
生きている間 そうすれば 同じようにしていれば きっときてくれる
きっと 扉を開けて にこにこ笑顔で 現れて
体を綺麗にしてくれる‥ そんな気がしていたのだろうか
約束された二人なら 言葉を使わずとも
こんなに 悲しい伝え方も あるのにね‥
そう思うと 僕は涙が滲んだ‥
白熊に限らず地球では、しばしば育児放棄や、いじめ殺し・共食い
などが起こる事が、研究者の間で報告されていましたよ‥
苛烈な運命と自然摂理の見せる非情は、本当に無秩序なものなのだろうか、
脳欠陥などを、どのように察知するのか、 目の鋭さとか優しすぎるとか、
嗅覚が鋭敏な事から、あるいは匂いが異なるのかも知れませんね。
所謂、肉体という宝器には相性がありましてな‥(老師風)
遺伝子も選択されるようです。
宝器とは仏教解釈に依る肉身を俯瞰して語る用語で、
すなわち人体を頂点として、ここでは各層・各次元の動物達にも適用して
それぞれの能力の有無・浅深・可能性を述べています。
例えば人の手は、不可思議で御座いましょ。
繊細な物を創造し、我が子など愛するものの痛みを除きますね。
新約のキリストのように‥だから生命と冥合して宝器といいますんです‥
特別な事ではなく向こう臑など嫌と言うほど、ぶっつけた時にする行為‥
のあれです。
犬達は"悪性"と"善性"の匂いを識別する能力で警察犬やってますが、
出会う縁次第で、そのどちらにも荷担してしまい、
一緒に運命を共にしてしまいますけどね‥