第一灯 星灯トモリとミツ餅
八月十五日。
太陽からの熱光線で肌が焼けそう……。いや実際は、いまのウチに焼ける肌なんてものはそもそもないんだけど。
ここ数年、地球温暖化のせいで平均気温がぐんぐん上がってってる気がするよ?実際。
空中に浮いてるから余計に感じるのかな。
普段から頭に乗せてる魔女っ娘風の帽子をパタパタさせることで、うちわ似の涼しさを手に入れようと思ったんだけど、所詮帽子は帽子か。全っ然気持ちよくない。
自分が腰かけている、これまた魔女風の箒を使って、空中から自然の風を得ようと試みた。
けど実際、魂の存在でしかないウチには、"自然の風"なんて感じることはできず、結局帽子で扇ぐ現状に至っている。
ん?なんでこんな真夏に、ジャック・オー・ランタンのウチが喚び出されてるんだっけ?……暑さに頭をやられたらしい。少々記憶が吹っ飛んでいらっしゃる──。
────去年の冬、ちょうどクリスマスの日に、ウチ、星灯トモリは死にました。はい。
安上がりでお腹にたまる主食『餅』をスーパーで発見した当時一人暮らしの苦学生だった大学三年のウチは、それを大量買いし、クリスマスの日も、
「実際、お餅だって英語にすれば、『ライスケーキ』なわけだし、甘くしちゃえば、クリスマスケーキとも呼べるよね?」
と一人でクリスマスケーキを買えない言い訳を作り真っ白なケーキにかぶりついた。
そうしたら、あろうことか喉にそのライスケーキを詰まらせ、そのまま哀れにも、窒息死を遂げてしまったのでした。
それを見ていた神さまさんに同情されて、魂になったウチは、役目を担うことで、この世に残る契約を神さまさんと交わすことになったんだけど、ぶっちゃけ女子には、織姫の枠しか用意されてなくて、神さまさんも、
「トモリに織姫は向いていない。」
なんて言い出す始末……。だから、もう開き直って、
「役目が全然見当つかないけど、空きがあるならジャック・オー・ランタンにだってなってやりますよ!」
って言ったら、本当にそれで契約成立しちゃったのでした。てへっ。
けど、実際なってみたら、神さまから魔女っ娘コスチュームも貰えたし、空中に浮かんで移動もできる魔法の箒も扱えるようになったから結果オーライ。
不満を挙げるなら、常に右手にランタンを持ってないといけないから、それが少し邪魔なくらい。
あー、日付からちょっとずつ思い出してきた。
今日って世間一般でいうとこの終戦記念日じゃんか。
だからー、えっとー。あ、そうそう、この時期、戦争ものの番組が放送されまくっちゃって、死ぬのを恐れるあまり自分の生き方まで見失う人が増えちゃうから、ウチがそういう人たちに道標を授けるんだった。
────……やばいなー、ホントに忘れてた。
……もう全部、手荷物多い上、本来なら夜行性のジャック・オー・ランタンに、『真夏の昼間』の任務をやらせてる神さまのせいにしとこう。ウチの心の中では。
くぅーっ、南半球は今頃寒いんだろうなぁー。季節が日本とは真逆ってよく聴くし。
────……げ、もうランタンが点滅し始めた。
近くに迷える子羊がいるってことかねぇー。……こんな真っ昼間なのに?
どう考えても早すぎるでしょーよ。
ていうか、もうこのどっかのヒーローの胸元にある"タイマー"みたく点滅してる『ランタン』が本体で良くない?ウチが来る意味ある?これ。
まぁ、『これ』を持てるのは、ジャック・オー・ランタンのウチだけだし、持ってなかったら役職が消えた"魂"だけの存在になって、結果としては自動的にあの世行きになるわけだし────。
────そうなるくらいなら、たかが持ち物につべこべ言わずこの世を観てた方が多分ましだ。
んで、その子羊はどこに……?
ランタンがその現場の方角にウチの腕を引っ張るから、両手を使うために仕方なく帽子を被り、箒の向きを変えて、ランタンが示す所に飛んでいく。
────そこは、墓地だった。
しかもウチが一番見慣れている墓地。
そもそも、肝試しに墓地に来る子どもたちがいるから不謹慎と分かってはいつつも、夜はよくこういうとこに来て灯を照らしては子どもたちと戯れてるんだけど……──、そういう意味で見慣れてるんじゃない。
──……この墓地には、ウチのお墓があるんだ。でも、死に方もざっくり言えば孤独死の類だったし、ウチ自身、家族の反対を押し切って勘当を喰らってまで、都会での一人暮らしにこだわった人間。
だから、ウチの死体が見つかったときにはもう蝿が集るほど腐りきってた。いまはお墓も、入口から一番遠い所に小さくポツンと名前が掘られた墓石が置かれてるだけ。
ここは広すぎて、お墓の場所を知ってる人以外が気軽に入り込むと迷子になってしまうほど、野晒しの墓石がひたすらどこまでも並んでいる。
墓地の通路を歩いているのは、年老いた男性ただ一人。
年齢は恐らく七十歳は優に超えているだろう。左腕を曲げその手には決して大きくはない白い花束を持ち、肘にはお供え物が入っているであろう紙袋を提げ、どちらもしっかり抱えている。しかしその容姿は、直角に近いレベルにまで腰が曲がり尽くしていて、歩くことさえ、右手に握られた杖をつくことでやっと、といったところだ。
……ということは戦死した家族か友人の墓参り、辺りかな。
「けーどなんであの歳で生き方に迷うかねぇ?老い先短い人生なんだから、趣味に没頭してみたり、子どもや孫とのんびり遊んでたりしてればいいと思うんだけど。」
「────よく見ておれ、トモリ。彼の向かう先は、そなたの思っているところではないかもしれぬぞ?」
──────あっぶない……ッ!
箒から落ちるとこだった。
「急に声かけてこないでくださいよ、神さまさん。」
基本的に声だけの存在でしかない神さまさんからの言葉に、箒に乗せてたウチの身体の重心が揺らぐ。バランス整え直すのけっこうコツ要るからね、これ。
「……"さま"と"さん"は併用すると敬称の二重表現になってしまうぞ。まぁ……、そなたは最初から我をそう呼ぶ故、慣れてはいるがな。」
「慣れてるなら毎度ツッコミかます必要性もないですよ……。」
相変わらず曲がったことは正さないと気が済まない性分みたいだ。
さすが神さまさん。
「────それで?ウチとしてもランタンが反応してる以上観ておくしかないからそうしてますけど、ウチの予想と違うかもしれないってどういうことです?」
「……──黙って見ておれ。……恐らく、すぐに分かる。」
「はーい。」
軽く生返事をしてから、虚空に向けられていた視線を、眼下の老人に戻す。
墓地の通路を、足取りは悪くとも、彼は躊躇うことなく進み続けている。
ちょうど墓地の中間地点に戦死者の慰霊碑がある。
そこに記された名前の人物に宛てて花を添えるのだろう。
しかし、彼はその慰霊碑には浅く一礼しただけで、歩みを止めることはなかった。
真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ、両脇の墓石には目もくれず更に墓地の先へと進み続ける。
「……────ねぇ、神さまさん。」
「どうした?」
「多分、ウチの考えてることくらい、分かっちゃってるんですよね……?さっきも、ウチの予想が外れているかもしれない、みたいなこと言ってましたし。」
「────もちろんだ。」
「……もう少し、あのおじいさんに近付いてもみてもいいですか?──ちゃんと、顔を見ておきたいので。」
ウチが考えてることは、ウチと神さまさんの間でのみ共有できている。なら、これ以上の言葉は必要ない。
「……よかろう。事此処まで及んでしまった以上、我もそなたを止めはしない。」
深く息を吸ったあと、小さくて短い息を吐き、少しだけ箒の柄を傾けた。
墓地全体が観える上空から、多くの墓石たちが両脇に並ぶ通路近くまで降りてみる。
当然、彼は気付いていない。
けど、ウチの予感は的中していた。
「お……、じい、ちゃん……。」
彼は、家族から勘当を喰らい、一人、誰にも気付かれることなく勝手に哀れ死んだウチ、星灯トモリの────実の祖父だった。
つまり、彼の……いや、おじいちゃんが向かっていたお墓は、最初から、戦死した家族のものでも、友人のものでも、仲間のものでもない。
────たった一人の孫の墓。
既に誰からも忘れ去られていると思っていたウチのちっぽけな墓石だったわけだ。
うぅ……っ、なんなんだよ……。
迷える人に道を示すジャック・オー・ランタンのウチ自身の視界が霞んでどうする……?!
魔女っ娘コスチュームの袖が長いことが幸いした。
遠慮なく目元を擦ることができる。
おじいちゃんが手にしている花が白いのはきっとウチの好物がお餅だっていまでも覚えてるからだろうな……。それに、紙袋に印字されているお店の名前も【洋菓子店 ☆God Bless☆】。ウチがおじいちゃんとよく一緒に行っていたお店だ。
あそこは本来洋菓子店なのに、なぜか、中に餡蜜の入ったお餅も、華やかなケーキたちに紛れるようにショーケースの中に並んでいて、ウチはそのお餅が大好きだった。
あのお店を営んでる人は、それなりに歳を重ねていたおじいさんだった気がするし、元々は和菓子屋だったのかもしれない。
けど、あのお店以外のお餅はウチにとっては安上がりの主食でしかなくて、おじいちゃんはきっとそれを分かった上で、あのお店オリジナルの餡蜜餅をウチの墓前に供えに来てくれたんだろう。
────あぁ、感傷に浸っていて、すっかり忘れてしまっていた。
「けど、なにに迷ってるんだろう……?ランタンが点滅してるってことは、なにか事情があって人生に迷いがあるってことだろうし。」
ジャック・オー・ランタンとしての本来の役目は【迷える人に道を示す】手伝いをすること。
ならまずは、おじいちゃんがなにに迷っているのか知る必要がある。
日付に囚われすぎて、生き方の迷いばかりを考えてしまっていた。
おじいちゃんはウチの墓石に辿り着き、花と餅を供え、線香に灯を点けると、手を合わせ墓石に語り聴かせ始めた。
「トモリよ。ワシは、もう、長くないようじゃ……。いま通っておるお医者さまでは治せん病気に、罹ってしまってるようでの……。お医者さまを変えれば治せる病気らしいんじゃが、こんな老い耄れに大金出してまでお医者さまの手を煩わせるくらいなら、いっそこのまま楽になった方がいいんじゃないかと思うてなぁ……。だから、もう少しの間──、そっちで、一人で待っておいてくれ。近いうちに、また一緒に、あんまいお餅、食べようなぁ。今日こいつだけ先に持ってきたのは、待たせてしまった詫びじゃ……。それじゃあ────、またの……」
語り終えるとおじいちゃんは杖に腕を掛け立ち上がりまた手を合わせて頭を下げた。
そしてウチのお墓から墓地の入口へ足を向けフラフラしながらも必死に歩いていく。
──その後ろ姿は、己が死を悟ってもなお、自らの足で測り歩み続け、日本地図を作り遂げんとした偉人────伊能忠敬のそれを彷彿とさせた。
けどランタンの点滅は止まらない。つまりはおじいちゃんの中にはまだ『生きたい』という思いがあるということ。
"死人に口なし"とはよくいうけど、墓石に向けてまで、隠し事はなしだよ……?おじいちゃん。
もしかしたら自分自身を決心させるためにウチの墓前に来たのかもしれないけど……。
ごめんね、おじいちゃん。ウチ、まだおじいちゃんには生きててほしいんだ────。
「……ねぇ、神さまさん。ウチは、おじいちゃんにもっと生きてもらうためには、どうしたらいいですか?」
「そなたなら……、もう分かっているのだろう?その問いを解く方法くらいは。」
「────……はい。ジャック・オー・ランタンのウチに使うことができるのは『これ』しかないですからね────っ。いままで、ありがとうございました!」
どこからウチを見ているか分かんないけど、ウチは神さまさんに向けて微笑んだ。
「"淋しくなる"なぁ……。」
神さまさんがそう小さく呟いたような気がした。
*****
────翌朝、星灯トモリの実家付近の小さな診療所で、ぼや騒ぎが起きていた。
火災の規模は小さいながらも、診療所は全焼。
死傷者は奇跡的に一人も出なかったが、かかりつけ病院にしていた患者が多数おり、その患者たちは全員もれなく大学病院に転院することとなった。
最初は放火事件として見られていたが、事件当夜、犯人の姿を目撃した人物は一人として現れず、更には熱源となった物や場所も判明しなかった。
ただ、黒く焼け焦げてしまった"小さな餅菓子"と、指紋も検出されない奇妙な"箒"が、診療所の玄関前道路に、まるで並べられたように転がっているだけだった。
結論として、偶発的に起きた事故ということで、その診療所の火事は処理されるに至るのであった。