第一葉 夜桜ザクロと練り歩く雛
四月三日。
桜が散っているように見える時期は終わりを告げ、今月に入り、桜が舞っているように見える時期を迎えた。
大きく変わる人間は、これから生きていく環境が丸ごと変わる。変化が小さなやつでも、学年やら所属やらが少なからず変わる。別にいまのあたしには関係ない、か。
一昨年、二十二歳の年も折り返そうとしていたあたし、夜桜ザクロは、ある事件に巻き込まれポックリと死に、神さまを名乗る"声"と契約し、【人々の心に愛の芽吹きと祈りの成就】を手伝う織姫として、この世に残ることになった魂。
一昨年、昨年と織姫の仕事をこなしてきたけど基本『愛』だとか『女の子』だとか『願い事』が関連するイベントには、問答無用で駆り出されるっぽい。
そして今年も、その手のイベントを魂としてサポートする目的で、ここ、日本の岐阜に呼び出されてる。というか喚び出されてる。
上位憑依体質個体の人間や、普通の憑依体質の人間を乗り換えて目的地までやってくるわけだけど、移動に際する乗り換えは自動的で、自由の利かない状態で公共交通機関を乗り継いでいる感覚と変わらないのよね。
今日は、旧暦合わせでこの地域特有の雛祭りが行われる。
内裏雛が最上段に座しているとか、その下に三人官女や五人囃子が並んでいるとか、そんな静かなものじゃない。内裏雛も三人官女も五人囃子も和風レッドカーペットに居座るだけに飽きたらず、外を出歩く。
別にあたしはファンタジーの話をしているわけじゃないから、勘違いしないでねっ。
本来の雛祭りで人形が務める役を、ぜんぶ生きた人間が務めることになってるこのイベントは、『生き雛祭り』と呼ばれてる。
露払いの"赤鬼"と"青鬼"、十二単を彷彿とさせる和服を身に纏った雛をはじめ、平安装束に身を包んだ人間が、神社の表参道から境内まで練り歩く。
大人だけじゃなく子どもの参加もあり、子どもたちは内裏雛の格好をして参加する。
もう、雛人形コスのキッズの可愛さたるや……、言葉に表すこともできない。
いや、"雛人形コス"なんて言ったら、地元の人に叱られかねないか。
なんにせよ大人から子どもまで楽しめるイベントで、子どものその姿を見るだけで目の保養になる、素晴らしい行事なの。
────……と、こんな話をしてる間に、表参道に二人の鬼の姿が見えてきた。
いよいよ始まったようだ。
鬼たちの後に続いて、子どもの雛たちがおぼつかない足どりで歩いてきた。
はぁ、もう、たまんない……。
そもそもあたしは生前から、かなりの子ども好きだった。
まぁ、あたしの死因も子ども絡みだったんだけど……、いまはあんな陰鬱なことは忘れて、目の前の子どもたちに集中しよ。
神さまとの契約で二度目の人生……ならぬ魂生をいま送れてることで、こうして、子どもたちを愛でることも叶っているのだ。
神さまにはもう感謝感激雨霰。もしあの世に逝く日が来て、あの世に送られても、あたしを織姫にしてくれた神さまからならどーんな御奉仕求められてもなーんだってしちゃってあげてもいいってくらい感謝してる。いや、ホントに。
ん?なんだろ、あれ。
あたしの視界には、生き雛キッズ前衛部隊三列目……、分かりやすく説明するなら、前から三番目の一人の雛が、常に上方向をチラチラと見やりながら、軽くフラフラとしながら歩く姿だった。
しかも見て分かるほどの明らかな困り顔を浮かべている。
どうやら被り物の冠の居所が悪いらしいようね……。見た感じ、顎の下のところで結んである紐が緩くなってるみたい。
んー、いまのあたしには、浮いたりすり抜けたりっていう、生きてる人間には到底できない芸当はできるけど、逆に物体干渉が食べ物以外できないからなぁ……。仕方ない、ちょっと訊いてみるか。
「ねぇ、か・み・さ・まーっ。どうせ見てるんでしょー?あの子助けてあげたいんだけど、どうしたらいいかなぁー?」
数秒後、神さまからのリアクションが届いた。
「────ザクロか。そなたほど我を気軽に呼び出す者は、他の契約者にもいないぞ。全く……、あのアタルやトモリ、カゲルたちでさえも、もう少し敬意を表すものなのだがな……。」
「アタル?トモリ?誰よそれ。あ、もしかして彦星様だったりして?あたしの運命の人?!きゃー、あたしを二人の彦星が取り合うなんて……っ。あたしのために争わないでーっ!」
神さまは、苦笑を浮かべていることが嫌でも伝わってくるような浅い嘆息を吐いた。
「…………いずれ紹介するから、いまは少し落ち着くのだ。あやつらの話は、そなたのいまの困り事を解消してからが良かろう?」
興奮度マックスになってしまっていたあたしの頭は神さまの言葉で冷やされる。
「あ、そうだった。あの子、頭に被ってる、冠みたいなのが落ちそうで、気が気じゃなさそうなの。どうにかしてあげられない?というか、あたしがどうにかしたいんだけど。」
ふむ、と小さく声をあげ、神さまは簡単な答えを示す。
「そなたは織姫であろう?その、肩にかかったベールのようなもので、冠と顎を固定し直してやればよかろう。それならば、そなたにも触れることができる上に、人間には見えぬからな。」
あたしは無意識にがってんポーズをとりながら、
「さっすが神さま!!」
と叫んでいた。
いやぁ、よかった。いまのあたしが霊体で。
もし仮に、あたしが人間のように肉体を持っていて、その声帯から発していたら、最悪、あたしの美声をこだまさせちゃってたかもしれないからねっ♪
神さまに教えられた通り、肩のベールを外し、雛の子どもの上まで移動した。
そして結びにかかる。
──……んだけど、これ、難しいよ!
だって生き雛だから子どもは歩き続けてるんだもん。しかも子どもの歩幅でちょっとずつ地味に動くから、精密作業には最も不向き。
あーもーここまで来たら、郷に入っては郷に従えってやつだ。言葉の遣い方間違えてるかもしれないけど、この際気にしてられるか。
似たようなことやるのよ、いまから!
とてつもない罪悪感と羞恥心とその他諸々の感情に苛まれながら、例の子どもに肩車してもらう形をとった。神さまにしか見られてないとしても、恥ずかしい……。
透過能力があるとはいえ、物体に触れている感触そのものがないわけじゃない。
つまり、少しバランスをとるくらいのことならできるのだ。
──とはいっても、その分この子には、幽霊に憑依されたときのような肩の重さを与えることになるんだけど。
様々な理由はあるが、肩車されている時間を短くしなければならないことは確かだ。
あたしは冠の上からベールを被せ、顎のところで結びつける。
一連の作業が終わった直後、あたしは子どもから離れようとした。
……が、離れられなかった。
────え……っ?離れられない?
────…………離れられないッ?!
衝撃が大きすぎて、事柄へのリアクションがタイムラグを挟んで訪れてしまった。
どうにもあたしの体は、ベールから離れられないようだ。……というかこの羽織は、あたしの"装束"のなかで、欠いてはならないものらしく、衣服そのものがベールと離れようとしない。
簡単にいえば、サンタクロースのあの貯えられた"白い髭"に類する代物みたい。
白い髭を生やすことなくサンタの服装を身に纏っているのは、ただのサンタコスをしているおっさんと変わらないらしい。
……────いや、どんな法則!?
あたしのベールって、あの髭と同一視されてんの……っ?
なんか……、複雑なんだけど。
とはいえ、冠が頭の上で安定し、ようやく持て囃されることを受け入れることができたこの子の安心感を奪うなんて、あたしにはできない……!
結局、生き雛の行列が神社の境内に入り、子どものベールをほどいてよくなるまで、肩車してもらっていた。
途中から、恥ずかしさよりも、誰にも座れない"特等席"を手に入れたような妙な優越感を感じ始め、最後は、肩車から解放してあげることに少し寂しさを覚えるほどあたし自身楽しんでしまった。
例の子どもからベールを外し、自由を手に入れたあたしは、ついでに生き雛たちの餅投げにも参加した。──欲張りかもしれないけど、神さまの分も、と思って二つ取った。神さまならどうにか調理して食べるだろうし、今回は神さまの知恵も借りたし、このくらいはしないとね。
数時間後、神社の中にあたしを招き入れ、餅を食べるために目の前に現れた神さまが、おもむろに懐からスマートフォンを取り出した。
境内に入ってしまえば、神さまも姿を晒せるみたいね……。
────……ていうかこの神さま、スマホなんか持ってんの……??
……────などという、百年の恋が冷めきってしまうような失望の念も軽く吹き飛ぶほどの巨大な幻滅材料が、神さまの手にするスマホ画面には映し出されていた。
そこには、子どもに肩車された状態ではしゃぐあたしの写真が……────ッ!!