第三夜 陽当アタルと聖夜の奇蹟 前編
おれがサンタとして目覚めたとき最初に見た色は、サンタ衣装の赤ではなく、道路の真ん中でぶっ倒れている人間から流れて出ている血の赤だった。
おれは二十四歳のその年のクリスマスは人生で一番幸せだった。
父親と別れて間もない時期に母親の腹に宿ったおれの命は、母親の命と引き換えに、この世に誕生した。
生まれてすぐに施設に預けられたおれは、血の繋がった身内は誰一人おらず、十八歳を迎えるまでは施設でクリスマスを祝っていたが、それ以降はバイトを掛け持ちしながら惰性的に続く日々の応酬。
クリスマスだって毎年ワンルームの部屋で、独りで祝っていた。
「メリクリ」
と毎年独り言の様に呟き、「クリスマスだけは。」と思い、賑やかな特大ケーキをワンホール買ってきては、独りで食べた。
────二十四歳の秋も下旬。十一月二十四日。
おれは、生まれて初めて女性に告白された。
元々愛情がどんなものかを知らずに育ったこともあって、おれは他人に愛情を向けることはなかったし、他人からど直球に愛の言葉を伝えられることなど尚更なかった。
おれは、一人の女性と"恋人関係になる"ということに現実味を帯びないまま、その告白を受け入れた。──最初はただまめに連絡を取り合う異性としか思えなかった。
ときどき、二人の都合の合う日にショッピングモールにウィンドウショッピングをしに行ったり、映画を観に行ったりしているだけだった。
シンプルな服装を好む彼女は、薄茶色のローブコートに、タイトなジーンズ。そのコートの下にはクリーム色のセーターを、まるで一張羅のように着こなしていた。
隣を歩く彼女は、そんな、装いの飾り気のなさとは裏腹に、いつも笑顔で、なのにおれと目が合う度に頬を紅潮させトテトテと小走りでおれの先を歩いていってしまうような、可愛らしい彼女だった。
そして彼女は、この上ないと思わされるほどの子ども好きだった。
ショッピングモールや大通りを歩く度、彼女は満面の笑みですれ違う子どもたちを一人一人眺めていた。ときには手を振ったり声をかけたりもしていた。
隣を歩くおれとしては恥ずかしさもあったが、そんな、"子どもに夢中な彼女"が微笑ましく、咎めることはしなかった。そのうち、おれも子ども好きになっていった。
迷子の子どもが居れば一緒に親御さんを探してあげたし、風船が木に引っ掛かって泣いてる子どもが居れば彼女を肩車してでも取ってあげた。
おれはまるで、自分が子ども時代に注がれなかった分の愛情を、いまを生きている子どもたちに注いであげているような気分になっていた。
彼女と赴く先々で出逢う子どもたちに"笑顔"があることがなによりも嬉しかった。
────そのときは、自分自身がどれほど幸せか、気付けてなどいなかった。
そして、おれは十二月二十四日を迎えた。
────数日前のデートの際、クリスマスのことや互いの過去について話していた。
彼女は一ヶ月記念とクリスマスイブが重なっていることにテンションを上げていた。
そして、顔を伏せながら、
「アタルと、クリスマス、一緒に過ごしたい……っ」
と言ってきた。
そして、クリスマスをおれの部屋で迎えたい、と彼女は付け加える。
──おれは、彼女からのその言葉たちに、正直頭をついていかせられずにいた……。
──毎年、クリスマスといえば『独り』だった──。
『独り』が当たり前で、『二人』という事態は、全く想定できなかった。
彼女からの願いには反射的に頷いていたし、彼女もホッとしていたが、おれ自身は、頭の中がごちゃごちゃになっていた。
彼女とショッピングモールで別れてから、数日後に差し迫るクリスマスについて、部屋で独り、考え込んだ。
『クリスマス』……、『彼女と過ごす時間』……、どう接すれば"正解"なのか、どんな顔を浮かべていればいいのか、おれには皆目分からなかった。
毎日毎日考えたが、結論が出ることはなく、いつの間にかその日がやってきた。
おれは自分の思考回路に呆れつつ、結局、毎年恒例となっているクリスマスケーキワンホール買いをして、それをとりあえず二人で食べようと思った。
しかし、この年は妙だった。
毎年クリスマスケーキを買っている店はいつの間にか閉店しており、隣に小さな洋菓子店が建っていた。
【洋菓子店 ☆God Bless☆】。
そう銘打たれた店のそのショーケースには、ワンホールのケーキしか置いておらず、しかも残り一つだったのだ。
──……待ち合わせの時間的にもそれを買う以外の選択肢はなかった。
店員を呼ぶと、初老の男性が出てきた。……本来、こういう店の売り子は、"若くきらびやかな女性"と相場は決まっていように。
しかし、そんなことが頭をよぎったのは一瞬で、ショーケースの中のそれを指し、「これください。」とだけ告げた。
すると、その初老の男性は穏やかで緩やかな動きでケーキを箱に入れながら、
「きっといい出逢いがあったんでしょう。今年のクリスマスはこれまでとは違うときを過ごせるでしょうね。」
と呟いた。……なぜ彼がそんなことを言ったのか、疑問符を頭に浮かばせながら、ケーキの入った箱を受け取り、お金を渡し、店を出た。
────彼が『上位憑依体質個体』だったなんて事実を当時のおれは知る由もない。
今年のクリスマスは"ザ・ホワイトクリスマス"と言わんばかりに街には雪化粧が施されていた。
大通りはカップルがごった返していて、みんな、やたらと赤や緑や白がふんだんに盛り込まれた服を身に纏っている。
そのカップルたちを見ておれはようやく、朝から……否、彼女から「クリスマスを一緒に過ごしたい。」と言われた日から頭の中にあったモヤモヤの正体に気付いた。
おれはいま、"幸せ"なのだ。
生まれてから感じたことのなかったこの感情に、おれの心は一瞬で染められた。
この手に抱えているワンホールのケーキを、いままで『独り』で食べてきたこれを、『二人』で共有することができるのだ。
同じ"幸せ"を────、『二人』で感じることができるのだ。
おれは、彼女の待つ、自宅への道を若干早歩きで帰っていた。
早く、早くこの幸せを彼女と共有したい。
その一心で歩き続けていた。
帰路の途中で、一つの赤信号に引っ掛かった。
苛立ちを覚えながら青に変わる時を待ち、変わったと同時におれは再び歩を進める。
斜め後ろから聞き慣れない摩擦音が聞こえてきた────。
────ふと振り返ったその瞬間。
────確かにそこにあったおれの身体は、|無様に後方に吹っ飛んだ《・・・・・・・・・・・》──────。
痛みを感じる暇などなく、おれの人生の続きはそのときを以て奪われた。
己の身体が道路に横たわっている光景を、おれは少しずれたところから眺めていた。
魂の存在など信じてもいなかったが、このときばかりは信じざるをえなかった。
身体は妙に軽く、いわゆる幽体離脱状態にあることは数瞬とかからず察しがついた。
「……──そうか。おれは……、死んだのか。」
────……そう、言葉を呟くと、頬を雫が滑り落ちていく感覚に気付くと同時に、視界がぼやけていった。
皮肉なことに、これが"陽当アタル"という人間の、初めての涙だった。