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マーメイドウィッチ  作者: いろはうた
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絶望という名の明日

誰に命令されたわけでもなく、攻撃がやんだ後、


騎士たちとアルハフ族のの戦士たちはは無言で


本陣へと戻ってきた。


圧倒的な力の差に呆然として言葉が出なくなっていたのだ。


フレヤは、戻ってきた彼らの姿をざっと確認した。


こめかみから血を流している者など、


小さな傷こそ目立つものの大きな外傷はなかった。


それどころか死傷者がいなかったのだ。


なんど彼らの人数を数えても、


誰一人として欠けている者がいなかった。


それは喜ぶべきことだ。


だが、フレヤにはわかったいた。


あの残忍なステファンのことだ。


今、わずかな希望を与えておいて


明日の夜にはすべての希望を完膚なきまで叩き潰すつもりなのだ。


目立った外傷がないのも、わざと配下の者には


攻撃を外すように命じたに違いない。


そうでなければ、信じられないほどの生還率だった。


どの者たちの表情は暗く、


悔しさと惨めさが顔に滲んでいた。


フレヤは彼らになんと言葉をかけたらいいのかわからなかった。



「勝利を御身に献上することができず、


 申し訳ございません」



あなたたちのせいではない、と咄嗟に言おうとしたのを


必死に抑えた。


彼らが今欲しいのはそんな言葉ではないはずだ。


口先だけのねぎらいや慰めの言葉など今一番聞きたくないだろう。



「私の剣たち、まだ折れていない?」



静かな言葉に騎士たちははっとした表情を見せた。


激しい疲労が見え隠れする中でも、


彼らの瞳の光はまだ消えていない。



「我ら、陛下の剣でございます。


 陛下がお手を離されない限り、


 永劫、折れることはありませぬ」



たとえこの命尽きようとも。


言外の思いを感じ取り、フレヤは表情を硬くした。


彼らは命を懸けることをためらわない。


大切なものを守れるならば仕方がないと


一種の諦観の念が感じられた。



「私も、手を放すつもりなどないわ」



違う。


こんなことが言いたいのではない。


こんな自殺行為を促すようなことが言いたいのではない。



「あと、メノウ殿には、すまないことを言った」



騎士団の副団長であるハリスが苦々しく呟いた。


メノウは少し驚いたように片眉を上げてみせた。



「我々の力を見くびっているのかと


 頭に血が上ってしまったが、


 貴女の言うとおり、我らは非力だ。


 ……貴方と陛下のお力がなかったら、


 我らは今息をしていなかっただろう」



反論の言葉はない。


それほどまでにダークエルフの力は驚異的だった。



「別に謝罪などは求めておりません。


 それよりも、明日をどうするかのほうが問題です。


 あなた達は、無理に体を使ったため


 明日は激痛でいつもの半分ほどしか動けないはず」



重苦しい空気が流れた。


ここにいる誰もが目をそらそうとしてきた事実。


誰も打開策を口にできない。


胸に広がる絶望から目をそらすことで必死だからだ。



「ステファン様……いいえ、ステファン王は


 もしかすると、他のダークエルフと違って


 空を飛べないのかもしれない」



フレヤにたくさんの視線が突き刺さった。



「どういうことだ」



まさか奴と会ったのか、と険しい表情になる


チノから視線を逸らす。


チノには嘘が通用しない。


顔を見られでもしたらすぐに嘘を見破られる。


チノを見ないようにしながら、ステファンと会ったことは伏せ、


戦闘の最前線から離れたところから観察していた


ということにし、さらに言葉をつづける。



「ダークエルフたちは当然の様に空を飛び、


 上空からの攻撃しかしてこなかったわ。


「空を飛ぶことができない私たちなど


 ウサギの様に非力に映ったのでしょうね」



吐き捨てるようにメノウがつぶやいた。


アルハフ族の戦士たちは表情こそ変えていないが、


空気は重く張り詰めている。



「でも、ステファン王だけは、空を飛んでいなかった」


「恐れながらも仕上げます。


 それは、ステファン王が


 司令塔、だからなのではないでしょうか」



おそるおそる、という風にカインが口を開いた。


フレヤは首を振った。



「いいえ、司令塔の役割を果たすのなら


 安全な上空でも構わないはずよ。


 それでも地上にいた。


 ……地上にしかいられなかったのだとしたら?」


「大方、おまえを攫おうと


 虎視眈々と機会を伺っていたんじゃないか?」



チノの胡乱気なまなざしはいまだにフレヤに突き刺さっている。


フレヤはそれを毅然として受けてみせた。



「あの人は、私を絶望させたがっている。


 そう簡単に攫ったりしない。


 ……今までのことで分かっているでしょう」



そう言われてチノは口をつぐんだ。


今までの、しつこいほどの裏切りといくつもの窮地を


思い出したのだろう。



「……勝機は完全にないわけではない。


 ステファン王は地上から動けないかもしれない。


 それなら、そこを狙えばいい」



もはや希望観測にすら等しい言葉だった。


だが、もはやそれに縋らずにはいられないほど


彼らは追い詰められていた。


そのあとはどう行動していたのかはよく覚えていない。


気づけば、昨夜訪れた川に来ていた。



「陛下」



控えめに声を掛けられ、フレヤはびくりとして振り返った。


月光を浴びて輝く金髪にはっと後ずさる。



「カインにございます」



ほっと胸をなでおろした。


同じ金髪のせいで、カインが一瞬ステファンに見えた。


どれだけ彼を恐れているのかと


己の脆弱さに笑ってしまう。



「どうしたの、カイン」



ここなら一人になれると思ったのだが、


今日はそうもいかないらしい。


かすかに苦笑を浮かべてカインを見やる。


しかし、すぐにフレヤは無言になった。


貼り付けたような微笑。


血の気のない顔。


ひどい既視感を覚える。


あれは、ステファンのほほえみと似ている。


フレヤは、無言で一歩後ろに下がった。



「姫様、散歩に行きませんか?


 あの頃の様に、お供いたします」



カインがうやうやしく手を差し出して、一歩近づいてくる。


それは、チノが来るまでずっと姫を守り続けてきた


騎士そのものの仕草だった。


しかし、この時はなぜか胸を突くようななつかしさよりも、


胸にインクの様に広がる恐怖のほうが勝った。


どうしてだろう。


いつも傍にいたカインじゃないか。


何故彼を恐れなければならない。


そう自分に言い聞かせるのに、体がこわばって動けない。



「姫様?」



第一王女付きの騎士だった時の呼称でフレヤを呼ぶと、


カインはその場で膝をつき、フレヤの顔を見上げた。


グレーの瞳の中に言葉にできない仄暗さを見つけて


心の中の恐怖が一気に膨れ上がった。



「いい、わ。


 今日は気分がすぐれないの」



踵を返してその場を去ろうとしたら、


柔らかく手首をつかまれた。


素早く立ち上がったカインに見下ろされ、


フレヤは目を見開いた。



「手を放して、カイン」



主の命令は絶対だ。


特に騎士の中でも騎士らしいカインなら


すぐに手を放してくれるはず。


しかし、彼はフレヤの手を握りなおしただけだった。


その丁寧な仕草が余計に恐怖心をあおる。



「少し風に当たるだけですよ。


 獣なら、私が殺してさし上げますので、ご安心を」



さらりとカインの前髪がグレーの瞳を覆った。


カインの様子がおかしい。


カインは、主たるフレヤの前では決して物騒なことや


血なまぐさいことは言わない人だ。


優しく、だがしっかりとリードして


カインが歩き出そうとする。



「カイン!!」



カインは大げさなほどゆっくりと振り返った。


ことり、とわずかに首を傾げられる。


さらり、と金髪が揺れた。


胸に沸き起こる恐怖心を押し殺し、


つばを飲み込んでから口を開く。



「なにが、あったの」


「なにが、とは?」


「様子がおかしいわ」


「なにもおかしくなど」



カインは昏く笑って、


片手で綺麗な金髪をぐしゃりとかきまぜた。


薄くて形の良い唇が震え、ぎりりと噛みしめられるのが


月明かりの中でも見えた。



「貴女様は変わってしまわれた」



押し殺された声でささやくように言われ


フレヤは口を閉じた。


それはもう何度も聞いた。


カインだけでなく、色々な人に言われたが


自分では何も自覚できていない。



「フレヤ様、私はあなたの剣なのでしょうか」


「何を言っているの」


「私は死ぬまで貴女を守る剣となることを誓いましたが、


 貴女は一向に私という剣を握ってはくださらない」


「そんなことはないわ」


「いいえ。


 現に、貴女様は私の言葉も願いも何一つお聞きにならない」



カインは泣き笑いのような表情になると、


その場に素早く膝をついた。


強く手を握り締められ、


あまりの痛みにフレヤは眉をひそめた。


しかし、カインはそれにすら気づけなかったようだった。



「アルハフ族を利用すべきでないと申し上げた時、


 メノウの力を使うべきでないと申し上げた時など、


 もう数えきれないほど無礼を承知で


 進言してまいりました。


 ですが、貴女は何一つ、私のことなど気にかけず


 耳を傾けてはくださらない」



はっとした。


脳裏に今までの出来事がめぐる。


効率を優先して、カインの感情を考えず


彼の意見をはねのけ続けた。



「では、私という剣は何のために存在しているのでしょうか。


 主に握ってももらえず、ただ錆びついて腐敗していくのを


 待っているしかないのでしょうか」



カインの目に宿っている仄暗さは、


もうずっと前から知っていた。


知っていたのに見ないふりをしていた。


カインのやさしさに甘えていた。


それが今この状況を招いている。


後悔と自己嫌悪で胸が焼き切れてしまいそうだった。



「ごめん、なさい、カイン」


「ちが、う。違う。


 私は……私は、謝罪が欲しいのではない!!」


「ごめんなさい」


「違う!!


 謝るな!!」



ホウセンカのような感情の発露に


思考がうまくついていかない。


手を強く振り払われよろめいた。


振り払ったのはカインなのに、


彼はひどく傷ついた表情を浮かべていた。


カインの叫びは痛切で、


一言一言が胸に深く突き刺さるようだった。



「私のことなど忘れてしまわれたのか」


「そんなことない。


 カインはずっと、私の大切な騎士よ」


「私のことなどいらぬのでしょう。


 いっそのこと出憎んでしまえたら楽なのに、


 貴女様はそのたびに甘い言葉を囁いて、私を、苦しめる」



憎しみすら滲んだ声音。


前髪の隙間からのぞくグレーの瞳には


強い感情が宿っていた。


もう何を言い募っても聞いてくれない空気だ。


このような思いをカインもずっとしていたのだろうか。


ガラス玉のような目がきゅっと細められる。



「私はやはり貴女様には、王族としての生活を、


 送っていただきたい。


 もう、泥にまみれ、地を這いずり回り


 心砕けるような思いをしていただきたくないのです」


「何をする気?」


「貴女をステファン王の所にお連れします」



瞬時に頭の中で記憶の欠片がピタリとはまっていく。


何故、ステファンが昨夜、ここに来たのか。


ただフレヤに会いに来ただけではない。


心に闇をもつ者に近づき、


裏切り者に仕立て上げるためだ。


奥歯を噛みしめた。


灯台下暗しとはまさにこのことだ。


近くにいる人のことほど、見えなくなる。



「目を覚ましてカイン」


「ステファン王は、貴女様のことを、大切にするのだと。


 裏切ったりは決してしないのだと。


 我が国の民は勝手だ。


 あさましくも貴女様を裏切り、


 国の救世主となるのだとわかればすぐにしっぽを振る」


「それは違うわ。


 彼らは彼らの生活を守るので必死だっただけよ。


 その現状を改善できなかった私たち王族に責任がある」



うわごとのようにそれでは駄目だ、と


カインは小さく呟き続ける。


まるでフレヤの言葉を聞いていない。


その姿は痛々しくて、フレヤは顔をゆがめた。


このまじめで優しい人を、こんなにも傷つけ悩ませてしまった。


カインに向かって手を伸ばそうとしたとき、


さっと黒い背中が二人の間に割って入ってきた。


カインは目を見開くと、腰に差していた剣を抜いた。



「哀れだな。


 見境なく、主にすら噛みつくようになるとは」



チノだった。


みるみるうちにカインの表情が険しいものへと変わっていく。



「……貴様に、何がわかる」


「何もわからない。


 当たり前だろう、他人なのだから」



うなるような言葉にチノは鼻で笑って返答した。


ぎりり、とカインが奥歯を噛みしめる音が聞こえた。



「どうしてここに……?」


「その話はあとだ」



チノは油断なく腰の短剣に手をかけていた。


爆発してしまいそうな殺気が空間に満ちる。


次の瞬間には、チノの体はカインを地面に押し付け、


上にのしかかるようにして首に抜身の短剣を突き付けていた。


月光を反射して刃が銀に光る。



「チノ、やめて!!」


「静かにしていろ、フレヤ」



カインは不自然に凪いだ顔だった。


短剣を突き付けられているというのに、


その顔にはなんの感情も浮かんでいない。



「殺すなら殺せ、ケダモノ。


 私は、もう、疲れた」



乾いた声に言葉を失う。


人形のような表情はどこかかつての自分を思い起こさせた。


胸が引きちぎれてしまいそうなほど痛む。


一体自分はどこで間違えてしまったというのだろう。



「去れ。


 お前の場所はもうここにはない」



チノがナイフを引き、上体を起こして、カインから退いた。


カインは無言で立ち上がると、静かに川を渡り始めた。


その姿は闇に紛れて見えなくなっていく。



「……カイン」



小さく名を呼んだが、騎士は一度も振り返らなかった。


彼の姿はステファンの時と同じように


闇に紛れてすぐに見えなくなってしまった。


チノも追うそぶりを見せない。


フレヤも、彼を追うことはいったん諦めて、


チノに向き直った。



「……どうして、ここにいるとわかったの」


「鼻はきく方だ。


 おまえがここ数日、なんどかあの王と会っているのも


 匂いで分かっている」



フレヤは無言になった。


やはりチノにはごまかしが通用しないようだ。


静かな空間の中、虫の音のみがその場に響く。


そのかすかな音は平和そのもので


明日、みなを死なせてしまうかもしれないという


未来など、まるでないもののようだった。


しかし、そんなことは己の願望だと痛いほどよくわかっている。


ステファンはやると言ったらやる男だ。


今までの経験で痛いほどよくわかっている。


彼は、殺すと言ったらすべて殺す人だ。


もはや、なすすべがなかった。


こんな自分だからこそ、カインも愛想を尽かして


ステファンの側についたに違いない。


そう考えてしまうほど心は弱っていた。



「そう、案ずるな。


 おまえのせいではない」


「……慰めなくてもいいわ」


「違う。


 あいつの心が弱いだけだ。


 おまえのことを信じ切れず、


 己自身も信じ切れていない。


 ……だから、あんなことになる」



静かだが重みのある言葉。


チノがまぎれもなく族長なのだと思い知る。


彼は、きっと今までこのような言葉で


皆を導いてきたのだろう。


そう思わせるような重みがあった。


かえろう。


そう音もなく唇だけ動かすと、チノは歩き出した。



「おまえが、あの王と何を話していたのかは知らないが、


 おれはあの男とは違う。


 お前を信じている」



ふわりと心が温かくなるようだった。


フレヤも彼を追って歩き出した。


絶望という名の明日に向かって。

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