南の応接間
その後は、物資の供給や国民の避難について話し合った。
それに関しては、議論は滞りなく進んだ。
今まで虐げてきた者達に窮地を救われるのは
プライドに傷をつけることになっていただけで
国を守りたいのは誰もが同じ。
その内に秘めたる思惑は今は見えないふりをする。
全ての議論を終えて、軍議の間を出ると
フレヤ付きのメイドが扉から少し離れたところで控えていた。
フレヤが軍議の部屋から出てくるのを見ると、
すぐに近づいてきた。
「フレヤ陛下、アルハフ族ご一行が到着いたしました。
いかがいたしますか?」
「もちろん通してちょうだい。
そうね、南の広間がいいと思う」
「南の広間にございますか?
か、かしこまりました」
南の広間は、この城で最も広く、
よく日が当たる特別な広間だ。
そこに通すのは一等大切な客人のみ。
メイドが驚いた表情を見せたのもわかる。
フレヤはメイドが一礼し早足で去っていくのを見送ると
自室に向かって歩き出した。
「……私が言ったのではないけれど、ごめんなさい。
大臣たちの態度は助けてもらう側の者として
ふさわしいものではなかったわ」
「おまえが気にすることはない」
背後のチノの声は静かで優しく心を包み込んでくれるようだった。
張り詰めていた心が柔らかくほぐれていくのを感じる。
自室に入り、扉を閉めた途端、ふわりと
チノが背後から抱きしめてくれた。
鼓動が早くなり、頬が熱を帯びて熱くなる。
その腕にそっと触れて瞳を伏せる。
チノの存在が自分の中で大きくなっていて
もはやかけがのないものとなっている。
ずるずると落ちていく感覚。
どろりとした甘美なぬくもりと、ひやりとした焦燥が
胸を満たしていく。
チノという存在に向かって落ちるのは、
身体が破裂してしまいそうなほどうれしくてどきどきすると同時に
ひどくおそろしく、恐怖を感じざるを得ない。
この感情は、強さになると同時に弱さともなる。
自分が自分でなくなっていくようなそんな気持ちになる。
それが、きっとたまらなく恐ろしいのだ。
不意に小さく扉が叩かれた。
「フレヤ陛下、昼食をお持ちいたしました」
フレヤははじかれたように、チノの腕から抜け出して
部屋の扉を開けに行った。
外には数名のメイドが昼食を載せたワゴンとともに控えていた。
主であるフレヤが自ら扉を開けたことに驚き、
慌てて部屋の中のソファに座っているように促される。
そうだった。
城で暮らしていた頃は、身の回りのことは
メイド達がやってくれていたのだ。
この数か月は身の回りのことは自分でやらなければならなかった。
だから、今までは当たり前だった日常が
妙に新鮮味を帯びているように感じられる。
昼食は白パンにかぼちゃのスープだった。
「女王の食事にしてはずいぶんと質素だな?」
メイド達が下がった後に、チノがボソリと口を開いた。
どうやら、フレヤがすぐに腕の中から抜け出たことに
少し拗ねているらしい。
「私が、頼んだの。
できるだけ質素な生活ができるようにって」
「また、民のため、か?」
「ええ、そうよ。
ささやかだけど、できることは何でもやりたいの」
「おまえを裏切ったやつらだ」
静かだけど暗いものが混じる声にフレヤははっとした。
「おれは国のために奔走するおまえを隣で見てきた。
だが、やつらはそれを当たり前のものと受け止め
あまつさえ刃を向けた」
「あなたと同じことよ、チノ」
フレヤはチノに向き直った。
まっすぐに緑の瞳を見つめる。
「あなたは、あなたたちはこの国の民に虐げられてきた。
それでも手を貸してくれるのは、
変わろうとしているこの国の人々を信じたいと
思っているからではないの?
もう一度だけ信じてみようって。
私も同じこと。
もう一度だけ信じてみたい」
「本当にどこまでも女王向きの娘だな」
チノがため息とともに呟いた。
チノは優しいから、どんな時でも
不器用に心配してくれる。
望めばきっと、攫って王宮から連れ出してすらくれるだろう。
それがひどく嬉しくて、心苦しい。
決してかなわないことだと分かっているから。
「さっさと食べたらどうだ。
スープが冷めてしまう」
「そうね。
食べたらすぐにアルハフ族のみんなに会いに行くわ」
南の応接間の扉をメイドに開けてもらうと
まぶしいほどの日光に目を射られ、目を細める。
部屋の中にいた者達は、既にこちらを見つめていた。
久方ぶりに見るアルハフ族の者達だった。
そういえば、王宮の地下牢から救出した時以来
顔を合わせていないのだった。
特に別れの挨拶もしないまま出て行ってしまったのだ。
若干気まずい思いをしながら、一人一人の顔を確認する。
見たところ、老人や子供たちは来ていないようだ。
きっと安全なところで待機させているに違いない。
アルハフ族の屈強な戦士の中には、
女性の戦士もいて、ルザの姿も見えた。
「どれだけ人を待たせたら気が済む女王陛下なのでしょうか」
刺々しいけれど、凛とした美しい声に
フレヤは視線を向けた。
アルハフ族の民族衣装を身に着けたメノウだった。
いつもの神官のような真っ白な衣を着ていないので
やけに新鮮に映る。
しかし、幾何学模様が入った緑色の民族衣装のほうが
メノウにはよく似合っているように思える。
あの民族衣装を着ていること言うことは
チノが言っていた通り多少なりとも
一族と歩み寄れたのだろう。
「ごめんなさい。
軍議が少し長引いてしまったの」
「……私の首でも差し出せば、
さっさと終わらせられるものでしょうに」
そっぽを向いて言うメノウに目を見張る。
メノウは、アルハフ族関係で軍議が長引いたことに気付いている。
おそらく、メノウだけではなくて、
ここにいるアルハフ族全てが気づいているのだろう。
「違う。
私は誰かの犠牲など望んでいない」
「またお得意の綺麗ごと。
だから、貴女は面倒ごとに巻き込まれる」
「面倒ごとじゃないわ。
この国が変わるために、必要な時間だった」
「その辺にしてやりな」
フレヤとメノウの間に入ってきたのはルザだった。
その意外な行動にフレヤは目を見張る。
ルザが止めに入ってくるとは思わなかったのだ。
「悪いね。
メノウは私の従姉妹なんだ。
こんなこと言ってるけど、
さっきまであんたのこと心配してたんだ」
「ルザ!!」
言われてみれば、このつんけんした強気な物言いや
凛とした声が似ている。
そうなの、と一言返すと、
顔をうっすら赤くしたメノウがこちらを勢いよく見た。
口を開きかけたメノウを遮るようにして
今度はカルトが割って入ってきた。
「あーはいはい。
落ち着けよメノウ」
「邪魔をしないでくださいカルト!!
私は落ち着いて、もがっ」
「あんたはちょっと後ろに下がってな」
ルザの手に口を覆われたメノウは、
引きずられるようにして連れていかれた。
それを横目で見ながらカルトに向き直る。
彼には言っておきたいことがある。
「カルト、あなた、ヘレナを連れてきたのよね?」
「え?
ああー。
ごめんな?
ヘレナの頼みだったから断れなくて」
全く悪びれない態度のカルトにもはや怒りすら覚えない。
フレヤは一つ息を吐いた。
「感謝するわ」
「はい?」
「あなたがヘレナを連れてきてくれなかったら
私はあのこと向き合おうとしなかった。
あなこを守るべき存在だと決めつけて
突き放すことになっていたと思う」
「ふうん?」
カルトは相変わらず飄々とした笑みを浮かべて
こちらを見つめているだけだ。
フレヤはカルトから、アルハフ族の戦士たち全員に向き直った。
「今日は、来てくれて本当にありがとう。
この国全ての国民を代表して礼を言います」
「我々は、長の決定に従い、
一族の恩人への借りを返すだけだ」
アルハフ族の中でも年長の者が静かにそう言い
他の者達も同意して頷いている。
静かな物言いはどこかチノに似ている。
けれどその端的な言葉にはどれだけのことを譲歩してくれたのか
言わずとも感じられた。
アルハフ族という戦闘向きの一族とは言えど、
ダークエルフという未知の種族との戦いに
身を投じることになるのだ。
それ相応の覚悟を持って、
彼らはこの場所に来ているはずだ。
それを、決して忘れてはならない。
「あなたたちには、今日から城に滞在してもらって
騎士団とともに行動を共にしてもらう。
……きっと、反発する人もいるから
嫌な思いを沢山させてしまうと思う」
「そんなやつら、一発殴ればいいだけの話じゃん。
あんたがそんな辛気臭い顔する必要はないよ」
あっけらかんと言うカルトにぽかんとした
間抜けな顔をさらしてしまった。
変な顔ー、不細工ーなどと、言って笑っているカルトに
声を上げる気にすらならない。
そんなに、楽観的でいいのかと
掴みかかりたくなったくらいだ。
「武を志す者には、なにより力がものをいう。
おまえがそう案ずることはない」
背後からチノが重ねるようにして静かに言った。
そう言われてみれば、チノがフレヤ付きの護衛になった時も
騎士団の者達は、チノの実力を見て何も言わなくなったのだった。
一抹の不安を消しきれないまま、
フレヤは頷くしかなかった。




