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マーメイドウィッチ  作者: いろはうた
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言葉不足

ヘレナが部屋を去ってからしばらくしても、


フレヤは椅子に座って、考え込んでいた。


今までのこと、これからのこと。


人に頼る、ということには慣れない。


己の心を預けるという行為に慣れていないからだ。


だが、まっすぐに向けられたヘレナの気持ちが嬉しかった。


いつもはあまり緩むことのない口元が


自分でも穏やかに弧を描いているのがわかる。


フレヤは小さくくしゃみをした。


なんだか肌寒い。


ああ、メイドが窓を閉め忘れたのかと


闇が広がる窓の外を眺める。


椅子から立ち上がり、窓を閉めようと歩き出す。


ふわりと旋風が巻き起こった。


次の瞬間には、黒くて、力強くて、温かいものに包まれていた。



「……会いたかった」



耳朶を打つ低い声。


身体から力が抜けていく。


抱きしめ返したいのに、指にすらうまく力が入らない。


わけもなく涙が出そうになる。


チノだ。


そうしてここにいるのか。


どうやって窓から入ってきたのか。


なんで来てくれたのか。


聞きたいことがたくさんあるのに


全部頭から抜け出てしまう。


こめかみに柔らかくて温かいものが


押し当てられて、はっとした。


違う。


この人は、他の女性のだ。


こんな軽々しく触れていい存在じゃない。


震える手で、なんとか彼の胸板を押して


距離をとろうとする。



「は、離れてチノ。


 窓を閉めないと」



途端にチノは不服そうに、眉根を寄せた。


こちらの腰を抱く手にぐっと力がこもった。


無言の抵抗に戸惑う。


咄嗟にどう反応したらいいのかわからず


眉根を寄せると、何故かチノが顔を近づけてきた。


あまりの距離の近さに


思わず手のひらでチノの顔を押しとどめると


チノが不満気に喉の奥でうなった。


指に柔らかな感触が走りぎょっとする。


見ればチノに柔らかく指を食まれているところだった。


それだけでなく、ぺろりと軽く指をなめた後に


何故か目を細めてこちらを見てくる。


捕食される動物ような心地だ。


しとどに流れる色気に膝から崩れ落ちそうになると


ぐっと抱えなおされた。


筋肉質なしなやかな腕はフレヤの体を支えていても


少しも揺るがない。



「おまえは、会いたくなかったのか?」



指先にチノの吐息が当たって温かい。


緑の瞳を見つめてると


深い森に迷い込んだような心地になる。


その目に囚われてしまう前に、


フレヤはぎゅっと目を瞑った。



「そ、んなこと、考えてないわ。


 それより、どうしてここに」


「おまえに会いたかったからに決まっているだろう」



自分の心を泥を覆いつくしていくような気持ちで嘘をついたのに


チノはしれっとそう言ってのけた。


いや、憮然とした表情だ。


こちらの反応が気に入らないのか、


中々腰に回った腕を外してくれない。



「フレヤ、おれの目を見ろ」


「いやよ」



目を見たら、なんだかおかしな気持ちになる。


チノの目は嘘を許さない。


全て見通してしまう。


そんな気がするから。



「おまえのきれいな目が見たい。


 炎のような美しい目だ」



囁くような声に誘われてフレヤは目を開けた。


驚くほど間近に緑の目があった。


理知的で野性的。


どこまでも美しいケダモノの瞳。


フレヤは顔をゆがめた。


決して誰のものにもならないケダモノ。


手に入らないと分かっているからこそ


欲しいと望んでしまうのだろうか。


苦しい。


息が上手くできない。


理性がきかない。


荒れ狂う感情を制御できない。


こんなどろどろした醜い感情を抱いてしまうのは


チノに対してだけだ。


チノにだけは、綺麗なままでいたいのに


誰よりも醜くなってしまう。


この人が、欲しい。


ぽたりと涙が目の端から零れ落ちた。


チノが目を見開く。


ああ。


自分は今きっと顔をくしゃくしゃにして泣いている。


どんなに情けない顔なのだろうか。



「何故泣く」



少しうろたえたような上ずった声すらも愛おしくて


フレヤは奥歯を噛みしめた。


言ってはいけない。


これは言ってはいけない感情だ。


決して伝えてはいけない。


伝えたらすべてが壊れてしまう。



「フレヤ」



だけど、その声で名前を呼ばれてしまった。


奥歯を噛みしめて、嗚咽が漏れないようにした。



「……あなたが、私のだったらいいのにって、


 思ってしまっただけよ」



小さな小さな声でつぶやいた後、


フレヤはそっとチノの腕から抜け出した。


しかし、突如腕を強く引かれて


またチノの腕の中に引きも戻されてしまった。


温かい。


安心する。


ずっとここにいたい。


だけど、同時に胸を引き裂かれてしまいそうなほど苦しい。


フレヤはチノの腕から逃れようともがいた。


しかし、ますますチノの腕がかたく抱きしめてくる。



「離して!!」


「かわいい」



耳に落とされた囁きに目を見開く。


チノはどこかで悪いものでも食べてきたのだろうか。


ぐしゃぐしゃの泣き顔で喚き散らす女のどこが可愛いというのだ。



「ずいぶんと馬鹿なことを言う」



その次には馬鹿ときた。


フレヤはだんだん腹が立ってきた。


何も自分の思い通りにはならないし、


何故か罵られた。


何か言い返そうと顔を上げてはっとする。


チノが笑みを浮かべていたのだ。


目に宿る熱がとろけてしまいそうな熱を含んでいる。


フレヤはそのまなざしに見覚えがあった。


カルトがヘレナを見つめるときのによく似ているものだった。



「おれはもうずっと前からお前のものだというのに」



チノの砂糖と蜂蜜を混ぜてさらに濃縮させたような


どろどろに甘い視線を真正面から受けてめてしまった。


強い酒を飲んだ時の様にカッと体が熱くなる。



「るるるルザさんがいる人が


 ななな何を言っているの!!」


「ルザ……?


 ああ……。


 だいぶ前に婚約なら解消したが」


「かっ……」



先ほどから目まぐるしく色々なことが起こりすぎて


上手く話すことができない。


何故かまたチノがふわりと笑みを深めた。



「なんだ。


 悋気でも起こしくれたのか?」


「そそそ、そんな嫉妬だとか、


 ばばば馬鹿なこと言わないで!!」



図星を突かれて、どんどんうまく話せなくなっていく。


こちらはこんなにもみっともない姿をさらしているというのに


何故かチノは嬉しくて仕方がないとでもいうように


笑い声すら上げた。



「本当にお前は可愛い」


「っ!!」



またやわらかくこめかみに口づけられて


固まってしまう。


おかしい。


チノの様子がおかしすぎる。


あわてて窓の外を確認したが月は見えない。


今日が新月だからだ。


月の影響を受けていないのならこれは一体どういうことなのだろう。


こんな顔、見たことがない。


いつもは無表情だから、こんな顔されたら


破壊力がありすぎて、どうしたらいいのかわからない。


これではまるで。


まるでチノに愛されているようではないか。


そんな馬鹿な錯覚すら覚えてしまうほどに


チノのまなざしはとろりと甘く熱をはらんでいる。



「……やめて」



かすれた声でつぶやく。


勘違いなどしたくない。


惨めな思いをするのは自分だからだ。



「もう、やめて。


 もう、私に優しくしなくていい」


「おれはおれのしたいようにしているだけだ」



チノの手が、フレヤの手首から離れ


髪をすっとすく。


ごつごつした、男の人の手。



「したいようにするって」


「今は、好いた娘を愛でたい。


 それだけだ」



今度こそフレヤは言葉を失った。


今、チノは何と言った。


固まってしまったフレヤを見て、


チノは片眉を上げた。



「なんだその顔は」


「だ、だって!!」


「まさか、これだけわかりやすく示してきたというのに


 おれの気持ちに気付いていなかったとでも


 言うんじゃないだろうな」



沈黙が落ちた。


がっと両肩を掴まれる。



「嘘だろう!?」



鬼気迫る表情に思わずのけぞってしまいながらも


首を横に振る。



「し、知らない。


 いつも何を考えているんだろうって思っていたわ」


「首を噛んだだろう!!」


「なに、それ?」


「アルハフ族で異性の体を噛むのは、所有の証。


 首を噛むのは求愛の行動だ」


「きゅっ!?」



そういえば何度か首を甘噛みされたことがあるような気がする。


しかし、そんなことを言われても


フレヤの知っている常識とは違うのでわかるわけがない。



「でも、言葉にしないとわからないわ。


 ……私、人より人の感情の機微には疎いの」


「自分でもかなりわかりやすい態度だったと思うが」


「何も言わないから、


 チノはルザさんのことが好きなのだと思っていたわ」


「……ない」


「え……?」



チノの声が小さすぎてうまく聞き取れず、問い返す。


スッと緑の目が細められた。



「好き、だなどという簡単な言葉程度では


 この感情は表しきれない。


 だから、言う必要などないと思っていた」



あまりにも直球すぎる言葉に顔から火を噴きそうになった。


身体の震えが止まらない。


胸からあふれ出る感情は何と名付ければいいのか。



「……傍に、いてくれるの?」


「次におれを引き離そうとしたら自害すると言ったはずだが」


「もう!!」



思わず振り上げた手は柔らかく受け止められ、


そのまま強く引き寄せられる。


ふわりと唇に温かく柔らかいものが重なった。


驚いて固まったら、小さく笑われて


角度を変えて再び唇を重ねあわされた。


悔しい。


悔しいくらいにこの人が愛おしい。


もうどうしようもないところまでこの人に囚われ


堕ちてしまっている。



「おまえが愛おしい。


 ……殺してしまいたいほどに」



どこまでもケダモノの様に物騒な愛の告白に


最後の涙が零れ落ちた。

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