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マーメイドウィッチ  作者: いろはうた
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抱擁

民への話がすみ、隣国との戦が始まる前に非難を提示した後、


フレヤはバルコニーを去った。


久しぶりの自室の前まで来ると、メイド達が


わっと押し寄せてきて、部屋に押し込まれてしまった。


ここを去った時から何も変わらない部屋。


まるで時が止まっているかのようだった。


しかし、それはメイド達がきちんと掃除をし


部屋の手入れをしていてくれたからだ。


いつフレヤが戻ってきてもいいようにと。


かわき、しぼんでしまった心が少しだけ


温かいものに満たされほぐれる。


ぼろぼろになってしまった乗馬服をはぎとられ、


温かい湯船に突き落とされるようにして沈められた。


メイド四人がかりでごしごしと全身くまなく洗われ


動物にでもなったような気分だ。


風呂から出てきたら、


今度は櫛と髪油をもったメイドが待ち構えていた。


ふわふわと四方八方に奔放に散る青い髪の対処は


彼女たちが誰よりも心得ている。


手にも香油を塗ろうと、メイドの一人に手を取られた。


フレヤの手は、長旅の間に黒ずみ、ひび割れ、


ガサガサになっていた。


とても元王女の手とは思えない。


メイドは痛ましいものでも見るかのように眉根を寄せた。


しかし、彼女は何も言わず


丁寧に香油を塗り続けた。


薔薇の香りが鼻孔をくすぐる。


薔薇の香りを嗅いだのだなんていつぶりだろう。


優雅な香りは、失われた日々を思い出させる。



「ありがとう」



身支度を整えてもらい、数か月ぶりにさっぱりとした心地になる。


ぼさぼさに乱れていた青い髪をリボンで結ってもらった所で


こんこんと控えめなノックの音が聞こえた。



「カインにございます」



カインの控えめな低い声が扉越しに聞こえた。


メイドが視線で、いかがなさいますか、とたずねる。


夜分遅くに女性の、しかも主の部屋を訪れるのは


失礼に値する。


それを騎士であるカインは重々承知のはずだ。


それでも訪ねてきたということは、


何かあるのかもしれない。



「通してちょうだい」


「かしこまりました」



メイドによって扉を開けてもらったカインは


変装のための村人の格好ではなく、


いつもの騎士服に戻っていた。


夜着に上着を羽織った状態のフレヤをちらりと見た後


カインは礼儀正しく目をそらして膝をついた。



「夜分遅くに申し訳ありません」


「かまわないわ。


 話があるのでしょう?」


「おそれながら、さようでございます」


フレヤは目くばせをして、メイド達を下がらせた。


静かに頭を下げると、彼女たちは揃って部屋を出ていく。


カインは昔からフレヤ付きの騎士だったから信頼も厚い。


だから、フレヤと二人きりにしても問題ないと判断したのだろう。


ぱたん、と木製の扉がかすかな音を立ててしまった。



「単刀直入にお聞き申し上げます。


 姫は、いえ、陛下は、アルハフ族の者たちを


 わが軍に引き入れようとお考えでいらっしゃいますか」



また呼び方が変わった。


フレヤは顔をしかめた。


しかし、今はそれどころではない。



「ええ、そのとおりよ」


「おやめくださいませ」



切り捨てるように言われて、かすかに目を見開く。


カインは顔を伏せたままなので、


どんな表情で言ったのかはわからない。


この数週間、カインはアルハフ族の者たちと


行動を共にしてきた。


彼らが、ただの野蛮な異民族などではないということを


十分肌で感じられたはずだ。



「なぜ、そんなことを言うの。


 わが軍と共に働く勇姿を見れば、


 民だってきっと意識を変えてくれるはず」


「いいえ。


 陛下の道の妨げにしかなりません」



まるで未来でも見通しているかのように


ゆるぎない口調でカインはそう言い切った。



「陛下がお考えになっていらっしゃるよりも、


 民の中での異民族への差別意識は強いのです。


 それをすべて抹消するのは簡単なことではありません。


 陛下の寵愛が民ではなく、アルハフ族により注がれていると


 民が感じでもすれば、


 次なる革命や戦争が起こる可能性があるのです」



重い言葉だった。


その可能性を考えなかったわけではない。



「それでも、私はアルハフ族を使うわ」



静寂を打つようにしてフレヤは呟いた。


かすかにカインの肩が震えた。



「私は、陛下のためを思い、


 無礼を承知で申し上げております」


「カイン。


 私は女王になどなる気はないし、


 なれるような存在ではないの」


「貴女様よりも王にふさわしい方は他におりません」



だめだ。


話が平行線に進んでいて、交わる気がしない。


カインはかたくなだ。


だが、それはこちらも同じことだ。



「……あの男のせいですか」


「え……?」



低く押し殺された声に違和感を覚える。


カインはもっと歯切れのよい話し方をする人だったのではないか。


こんな、感情を押し殺したような


話し方をするような人だっただろうか。



「……あの男が現れてから、貴女様は私を遠ざけ


 私の言葉には耳を貸さなくなったしまわれ


 ……変わってしまわれた」



耳鳴りがする。


動機がいやに大きくなる。


焦りが胸を突いた。


なにか大事なものが指をすり抜けてしまっている。


そんな感覚だ。


何か言おうと唇を開く。


その途端、コンコン、とくぐもったノックの音が響いた。



「お姉さま、ヘレナです」



はっとした。


そうだ。


危険な目に遭わせぬようにと置いてきたはずのヘレナが


何故かここにまでついてきたのだった。


大方、ヘレナにメロメロのカルトあたりが


連れてきてあげたのだろう。



「……失礼いたします」



扉を開けようと立ち上がったら、


カインは口早に呟くとヘレナと入れ替わるようにして


部屋を出て行ってしまった。


若干荒っぽく歩き去るカインを見て、


ヘレナは目を丸くしている。



「カインとお話をされていたのですか?」


「ええ。


 ……私は話をするのが下手だから、


 少し怒らせてしまったみたい」


「カインが怒ったのですか?


 お姉さまに?」



信じられないという風に首を振るヘレナに


何も言えなくなる。


カインはもともと穏やかな人柄だ。


あんな風に強い感情の片鱗を見せるのは


本当に珍しいことだ。


いや、それも表面的なことなのかもしれない。


主たるフレヤの前だから、穏やかにふるまうように


しているだけで、本当のカインは違うのかもしれない。


今思えば、長い付き合いになるというのに


カインのことはあまり深くは知らないことに気付く。


それだけ、人とのかかわりに興味がないといえばそうなるが


なぜだか少し寂しくなってしまう。



「また、話をしておくわ。


 そこの椅子にでもかけてちょうだい」



ヘレナは怪訝そうな顔をしながらも、


フレヤの言葉に従って椅子に座った。


それを確認してから、フレヤも椅子に座る。


ヘレナから華やかな花の香りが漂ってくる。


同じく湯あみを終えてから来たのだろう。


しっとりとした金髪が緩やかに肩にかかっている。


ネグリジェもフリルなどがついた愛らしいもので


ああ、やはり妹は可愛らしいとかすかに目を細めた。



「カルトに手伝ってもらったのでしょう?」


「置いていくだなんてひどいにもほどがありますわお姉さま!!」



たしなめるつもりで、低く問いただしたのだが、


逆に噛みつかれるように言い返され、フレヤは目を丸くした。


ぶわっと毛が逆立ったような気さえする。



「ヘレナ」


「私、ようやくお姉さまに心を開いていただけたのかと


 すごく嬉しかったのです!!


 それが置き去りにされたとわかった時、


 私がどのような気持ちだったとお思いですか!!」


「そ、それは申し訳なかったと思って……」


「いいえ!!


 お姉さまは何一つお分かりになっていらっしゃいません!!」



きっぱりと言い切られてしまい、フレヤは口をつぐんだ。


何を言っても言い負かされるような気しかしない。


ただ怒っていても妹は可愛いのだなぁという


間抜けな感想しか出てこなかった。


カルトがヘレナにぞっこんなのもわかる気がする。


今まで妹に感じていたコンプレックスのようなわだかまりが


溶けてなくなっているのを感じる。


それはひどく喜ばしいことのように思えた。



「では聞くわ。


 あなたに何ができるの」



淡々とした口調を心がける。


怒るでも悲しむでもなく、ただ問うだけだ。


人魚としての力を受け継いだわけでも


第一子としての重圧も何も知らずに育ったヘレナだ。



「お姉さまを、一人にはしません」



青い目にまっすぐ見つめられた。


海の底をのぞき込んでいるような心地になる。



「私は、幼いころから国を変え支えようと


 一人で駆け続けるお姉さまをずっと見てきました。


 私も、お供したかったのですけど、


 お姉さまはなんというか、孤高の存在で


 幼い私には近寄りがたさを感じさせました。


 でも、今ならわかります。


 お姉さまは、ずっとお一人だった。


 お一人で走り続けていました。


 苦しい時も悲しい時も、お一人で耐えていらっしゃった。


 今度は私もおそばにおります。


 たとえ、手を振り払われようとも


 私はまた、その手を取りに行きます」


「危険な道よ。


 死んでしまうかもしれない」


「全て覚悟の上です」



目の端にこみあげた熱いものを


こぼさないようにするので精いっぱいだった。


苦しかった。


悲しかった。


つらかった。


切なかった。


だけど、それを分け合える人は誰一人いないのだと思ってきた。


心の奥底にしまい込んだ。


だけど、その感情を殺しきることもできなかった。


心の奥底でケダモノの様に暴れまわる感情が、


ヘレナの言葉で大人しくなったのを感じる。


ぽたっ、と握りしめた手の甲に熱い雫が落ちた。


あっと思った時には、パタパタ、と次々に雫が落ちていく。



「今まで守ってくださって、ありがとうございます。


 お姉さま」



それはこちらのセリフだ。


ステファンの本性を誰よりも早く見抜き、


姉から守ろうと自らステファンに進んで近づいた。


姉の婚約者を横から奪い取った第二王女だと陰口をたたかれながら


なれない隣国での暮らしを強いられた。


守られていたのはこちらのほうだ。


そう言いたいのに言葉が出ない。


代わりに唇から洩れたのは嗚咽だ。



「ゆっくりでいいのです。


 すべて話してほしいとは望みません。


 欠片でいいから、お姉さまの心を預けてほしいのです」



ふわりと花の香りに抱きしめられる。


妹に触れたのはいつぶりだろう。


花の妖精のような子だと思った。


可憐で、清らかで、守らねばならない存在だと


そうずっと思い込んでいた。


ヘレナは、妹は、もうずっと昔から姉を守り続けてくれていたのだ。


ろうそくの明かりが穏やかに部屋を照らす中、


姉妹はしばらくの間だまって寄り添い続けていた。

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