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マーメイドウィッチ  作者: いろはうた
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コンコンと控えめに叩かれる扉の音で


フレヤははっと我にかえった。


辺りを見渡すとそこは宿の部屋が


闇に包まれているだけだった。


今のは、幻だったのか。


いや、それにしてはあまりに生々しい。


青年の記憶を追体験しているかのようだった。


あの青年は父の記憶に違いなかった。


異民族の娘はメノウとそっくりの目をしていたし


王妃となった令嬢は


絵姿で見た母とそっくり同じだった。


いや、考えるのは後にしよう。


そう思いながら立ち上がる。


自分から歩いて行って扉を開けると


思った通りチノが立っていた。


廊下のランプの光を背に立っているために


表情がよく見えなかった。


今夜も彼と同室なのだったと思い出し


チノが入れるだけのスペースを明け渡す。


彼は無言で部屋の中に足を踏み入れた。



「メノウのことをどうするか決めた?」



とりあえず何かを話さなくてはならない気がして


フレヤはなんでもないふりを装って聞いた。


窓に向かって歩いていたチノが


くるりと振り返ってこちらを見る。



「……殺さない」



端的な言葉に言葉にならない思いを感じ取り


フレヤは瞳を伏せた。


メノウのことは許せない。


だけど先ほどメノウの母親であろう娘を目にした。


彼女は、メノウの言う通り


父の歌の力に惑わされたのではなく


愛を知らない父に恋をしたのだ。


それを信じられず全て歌の力によるものだと


勝手に決めつけたのは父だ。


ふと我にかえると、


チノが無言でこちらを見ている気配があった。


部屋の中は明かりを灯していないから


暗くて彼の表情が見えない。


ランプに明かりを灯そうと動いたフレヤの腕を


チノが俊敏な動きで掴んだ。


突然触れられたため、反射的に振り払おうとしたが


その手は少しも揺るがなかった。


痛いくらいに握り締められて顔をしかめる。



「ち……」


「おれから勝手に離れた挙句、あの王子の手を取ろうとするとは……


 おれの言ったことを、いともたやすく忘れてくれたようだな」



平坦な声だった。


それに戸惑いを隠せないまま、フレヤは瞬きを繰り返す。


チノから硬く、荒々しい気配を感じる。


しかし、暗くてどのような表情なのかを見ることができない。



「もう忘れているようだが、もう一度言う。


 おまえがおれから離れようとすれば、


 おれは自らの命すら絶ってみせると言った」



ぐっと強く腕を引かれて、チノの体に倒れこんでしまう。


咄嗟に彼の固い胸板を押して離れようとしたが


素早く腰に回った力強い腕がそれを許さない。



「ば、馬鹿なこと言わないで……!!」


「本気だ」



ぐっと顔を近づけられる。


お互いの吐息すら感じるほどの距離に目を見開く。


月光を反射するチノの瞳しか見えない。


その目にはおびえたように目を見開いた自分の姿が反射していた。



「今、おまえの目の前で、心の臓をついてみせようか」


「や、やめて!!」



離れかけたチノの手を素早く掴み、握りしめる。


このままだと、本当に腰にさしてある短刀に手を伸ばす気だ。


指先が氷のように冷え切っていることに


熱いチノの手首に触れて知る。



「やめて、ほしいか……?」



ささやくようにチノが言った。


とろりとした甘さがにじんだ声音だった。



「やめて……お願いだから……」


「……おれの願いを一つ聞いたら、今日は許そう」



願い?


フレヤはただただチノの瞳を見返すしかない。


炎を薄い氷で覆い隠したようなまなざし。


今にも氷の壁を突き破って爆発してしまいそうな危うさすら感じた。


チノの瞳に宿る感情が強すぎて、よくわからない。



「心配するな。


 簡単なことだ。


 ……おまえから、おれに口づけを」



頭が真っ白になった。


次の瞬間に頭に浮かんだのは、チノの許嫁である娘の姿だった。


ルザが悲しむ顔が目に浮かぶ。



「……でき、ないわ」



胸の奥から声を絞り出すようにして言った。


チノの発する空気が重いものに変わった。



「……なぜだ。


 簡単なことだろう」



ぼろぼろと自分の意志とは関係なく涙はこぼれ続けた。


フレヤは強く首を横に振り続けた。


苦しい。


この人は、ルザがいるのに、どうしてこんなことを望むのか。


なにか勘違いをしてしまいそうになる。


胸が軋む。


心が悲鳴を上げる。


ああ、そうか。


チノの瞳が涙にぼやけていくのが見える。


強い感情を宿す瞳。


あの目に宿る強い感情は、憎しみなのか。


そうに違いない。


今まで数えきれないほどチノと彼が大切に思うものを傷つけてしまった。


憎まれて当然なのだ。


だた、想っている人に憎まれるのが


これほどまでに苦痛を伴うとは思っていなかったのだ。


泣き続けるフレヤを見て、チノはひそやかに吐息を漏らした。



「どこまでも思い通りにならない娘だ。


 ……いっそのこと、殺めてしまいたい」



涙をぬぐうように触れてくる唇とは正反対の


荒々しさがにじむ声音が耳に吹き込まれた。



「……そうすれば、これほどまで苦しまずに済むものを」



小さなつぶやきはフレヤの耳には届かなかった。

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