追憶
フレヤとヘレナのお父さん
イルグ王の記憶です。
青年は若くして王となった。その特殊な歌声の力と
類まれなる美しい容姿を使ってありとあらゆる美しい令嬢たちを
虜にしてきた。青年は退屈していた。誰もかれもが彼の思い通りとなった。世界は彼のものだった。手に入らないものなど何もなかった。ある日のことだった。彼は森の中で狩りをしている時に、
美しい鹿を見つけた。その光り輝く美しさは、
珍しく青年を乗り気にさせた。その鹿を追いかけているうちに、
森の奥へと迷い込み、馬もろとも崖の下へと落ちてしまった。気づけば、真っ暗な中、
横たわっている自分がいた。はっとして横を見ると、
美しい顔立ちをした異民族の娘が傍にいることに気付いた。娘は、青年の傷だらけの体を
無言で手当てしているようだった。青年は言った。手当など無用だと。娘は、何も言わず
薬草をすりつぶす手を止めなかった。次の日も次の日も、娘はやってきて、傷の手当をし、
食べ物を手ずから食べさせてくれた。娘の紅茶色の肌はなめらかで、
伏せられた緑の瞳は神秘的な輝きを静かに宿していた。不思議な文様の入った民族衣装は、娘に良く似合っていた。二人はあまり話さなかった。しかし、穏やかな空気が
二人の間に流れるようになっていた。一か月ほどたったある日、青年は聞いた。何が目的だ。何が欲しい。金か、宝石か。娘は初めて答えた。なんて寂しい人。愛を知らぬ、悲しい人。青年は嗤った。愛などくだらぬ。この世で最も不必要な感情だ。娘は悲し気に微笑んだ。哀れな人だと。青年はその言葉に憤った。なんて無礼な娘だ。どうせこの娘も、
歌って己の虜にしてしまえば二度と生意気なことは言わないだろう。青年は歌った。甘くとろける虜の歌。この歌を聴けば、
どんな人間も青年のいいなりだ。歌い終わった青年は問うた。おれを愛しているかと。娘は悲し気に微笑んだ。ええ、寂しいあなたに恋をしているわ。青年は嗤った。偽りの感情による言葉であるのは
ほぼ間違いはなかった。数日後、娘が来る前に、
青年はその場を去った。緩やかに川の流れの様に、
時は流れていった。青年は久しぶりに遠い親戚である令嬢を王宮での舞踏会で目にすることとなった。彼女は婚約者をパートナーとして参加し、
花が咲くように笑っていた。昔から、何故か彼女には嫌われていた。青年の身から滲み出る退廃的な空気を
感じ取っていたのかもしれない。青年は笑みを浮かべた。そうだ。彼女に虜の歌を歌ったらどうなるのだろう。青年は微笑みながら彼女に近づいた。
歌の力を持たぬくせに
誰よりも人魚に近い容姿を持つ娘。
波打つ美しい青い髪は海を彷彿とさせ
輝く瞳はルビーをおもわせる。
忌々しい。
今すぐに、服従させてしまおう。
口ずさむのは甘くとろける虜の歌。
彼女がこちらを見た。
歌に気づいたのだ。
間違いなく聴こえている。
彼女は顔をしかめた。
おかしい。
歌は聴こえていたはずだ。
だというのに、彼女は青年への嫌悪感を
隠そうともしない。
青年は、彼女の側まで来ると問うた。
おれを愛しているか、と。
令嬢は答えた。
アンタなんか大嫌いよ。
雷に撃たれたような衝撃が
体全部にいきわたる。
それは、青年が生まれて初めて
恋に落ちた瞬間だった。
彼女に歌の力は少しも効かなかった。
青年の美しい容姿も、富も名声も地位も
彼女の前では何1つ価値がなかった。
彼女の紅玉の瞳が追うのは
婚約者の若者だった。
焼け付くような怒りと焦燥が胸をつく。
そこからの青年の行動は、はやかった。
まず、ありもしない罪をでっち上げ
婚約者の若者の家を潰した。
そして、若者は王命として
遠い北に新しい領地を与えて追いやった。
当然のごとく2人は
婚約を解消することになる。
すかさず、令嬢と半ば強制的に
婚約を結び、一月後には挙式をした。
彼女は泣いていた。
青年に笑顔を見せることなどなかった。
青年は自分がおかしくなっていることに
気づいていた。
だが止められなかった。
彼女が愛する全ての要素を排除し
徹底的に潰して回った。
だけど、恐ろしくて、彼女に
愛を問うことはどうしてもできなかった。
あれだけ簡単に言えた、
おれを愛しているか、という言葉は
答えが怖くて聞くことができなかった。
月日が流れた。
青年と令嬢の間に、娘が生まれた。
2人目の娘を生むと同時に
彼女は天国へと召されてしまった。
青年は荒れた。
唯一の人を失った痛みを忘れようと
政治を放り出し、娯楽にふけった。
しかし、新しい女にだけは
手を出せなかった。
青年は令嬢を忘れられなかったのだ。
永遠に失ってしまった愛しい人を
思い出すことすら、青年には
気が狂いそうなほどの痛みを伴った。
娘は育っていく。
下の娘は自分によく似た容姿だが、
上の娘は亡き妻にそっくりの
人魚そのものの容姿を持っていた。
それは、青年に、愛と痛みと悲しみ、
全てを思い起こさせた。
愛を知らぬ悲しい青年は、
それでも後悔していなかった。
どれだけ恨まれようとも
どれだけ憎まれようとも
彼女だけは、この手に収めなければ
それこそ気が狂っていたに違いない。
彼女が2人目の娘を生む直前に
青年は自分の精一杯の気持ちを込めて
巻貝を模した金のペンダントを贈った。
狂気じみているだろう。
だけど、あなたはおれの唯一。
手を離すくらいなら死んだほうがましだ。
だから、どうか、許して欲しい。
あなたを愛している。




