ストール
城の敷地内から出て、シウたちが待つ森へと戻るまで
本当に何一つ追手の気配はなかった。
無事にシウたちの姿を見つけたときは、
思わずため息が口から洩れてしまったくらいだ。
龍の姿のロンが森の上を低く滑空した際に、チノに抱きかかえられて
ひらりと地上に降り立つ。
チノのもう片方の腕には、いまだに意識の戻らないメノウの姿があった。
こちらに近づいてきたシウの視線が、メノウに一瞬向けられた。
「大事ないか」
「ヘレナを連れて帰ってきたわ。
みんな無事よ。
誰もけがをしていない」
チノの腕から離れて地面に降り立つと、
ちょうどほかの鴉天狗の青年たちも
上空から舞い降りてきたところだった。
たくさんの東洋の異形の者たちに囲まれて
ヘレナは純粋に驚いているようだった。
その顔に嫌悪などの色はなく、若干戸惑っているようにも見えた。
地面に降り立つなり、ヘレナはすぐにこちらに駆け寄ってきた。
「この娘だったか、王妃は」
「……シウ皇子殿下でいらっしゃいますか」
ヘレナが確かめるように、ゆっくりと言った。
結婚式の時に参列していたので、一応顔は覚えているのだろう。
人の顔を覚えるのは、王族が得意とすることの一つだ。
「覚えていただけていたようで光栄だ」
「っ、それよりも!!」
ぐるんっとヘレナはシウの方から体の向きを変えた。
キッと睨みつけているのはチノの方だった。
ヘレナは頭から湯気を出しそうなほど怒っていた。
「この、ふしだらな男は何ですかお姉さま!!」
「彼は、チノって言って、私の護衛をしてもらっていた……」
「今すぐこの男から離れてくださいませ、お姉さま!!
この男、おっ、お姉さまのくっ、くちび……!!」
ヘレナは怒りのあまり言葉もうまくつむげないようだった。
人の感情の機微を悟るのが苦手なフレヤには
ヘレナが何に対して怒っているのかは明確にわからない。
前に、父王の見舞いに来た時に、ヘレナは一度チノに会っているのだが
その時と違って、今の彼は狼の血が滾っている。
別人のように見えても仕方がないだろう。
「とにかく!!
私は、この男のことなど認めな……!?」
ヘレナの言葉が途中で止まった。
それは怒りからではなく驚きからだった。
チノを押しのけて、突然カルトが前に出てきたのだ。
視界いっぱいに、野性味あふれる若い男の顔が映り、
ヘレナはのけぞった。
「な、なに、あなたは」
「ヘレナ。
その人は、カルト。
私を何度も助けてくれた人よ」
その言葉を聞いて、ヘレナはさっと姿勢を正した。
姉の恩人と言うことで礼儀を尽くそうと思ったのだろう。
「ヘレナと申します」
いつものようにドレスの裾をつまんで、軽く礼をしようとしたヘレナは
自分のつまんでいるものがネグリジェだと気づいた。
ネグリジェは、肌着のようなものだ。
人に、ましてや殿方に見せるようなものではない。
軽く悲鳴を上げかけたヘレナの肩にふわりと柔らかいものがのった。
カルトのストールだった。
それを見て、フレヤは驚いた。
カルトが優しいのは基本的に同族か一族の恩人だ。
それ以外の者に対しては、なかなか心を開かないし
特別優しくもしない。
初対面であるヘレナに対して、いつものカルトからはおおよそ
予想のつかない行動だった。
その様子に戸惑いを覚えながらも、フレヤは
シウの方に向き直った。
「ロンとチノの増援ありがとう。
本当に助かったわ」
「何やらあの性根のねじ曲がった人間の王だけでなくが見えただけでなく
我と似た種類の魔力を感じたのでな」
それは、おそらくダークエルフたちのことだ。
シウたちに何があったのかを話さなければならない。
手短に、ステファンに言われたことを話すと
シウは顔色を変えた。
「……あやつも異形の末裔だと」
「そう、だと思う。
彼らは、私が小さいころ物語で読んだとおりの
ダークエルフの特徴を備えていたわ。
……空想上の存在だと思っていたけど、まさか本当に存在するなんて」
「やつらダークエルフは、人間などに決して従いはしない。
あの王の命令に従ったということは、
本当にダークエルフの子孫なのだろう」
煩わしいことだ、とシウは顔をしかめている。
フレヤは、ステファンがダークエルフの血を引いているということより
戦争のことの方が気がかりだった。
ステファンはやると言ったらやる男だ。
もし戦争を起こされたら、いったい何人の人間が死ぬだろう。
仮に生き残れたとしても、待っているのは奴隷としての生活だ。
はっとする。
ステファンの国、オスロ国は豊かだ。
フレヤの国、コペンハヴン国と違って
奴隷や人身売買が合法とされている。
それが、奴隷という無償の労働力にが
オスロ国の繁栄を支えているのだと気づいたのだ。
ステファンは他のダークエルフと同じように
人間を支配するべき対象としか見ていないようだった。
民がどうなるのか、深く考えずともわかる。
「まさか」
顔を伏せて黙ってしまったフレヤを見て、
何を考えているのか悟ったらしい。
シウが声音を若干硬くした。
「汝、あの王の言葉を真に受けて、
国に帰って迎え撃つとでも言うのではあるまいな」
フレヤはとっさに返事ができなかった。
何も言葉にできず、ただ黙ってシウの顔を見つめた。
その眉間にぐっとしわが寄る。
何かを言おうとしたようだったが、その唇は閉ざされてしまった。
「あ―――……」
カルトが突如呻いた。
驚いて、そちらを見ると、彼はなぜか天を仰いでいた。
「チョルノ……今まで悪かったな」
そして突然の謝罪。
カルトは呻きながら、髪の毛をぐしゃぐしゃとかきまわしている。
「おまえの気持ちやっとわかったわ」
そして、ちらりとヘレナを一瞥し、また呻く。
その動作の意味がよくわからなくて、フレヤは困惑した。
そもそも、なぜチノに対して謝罪したのかも理解できない。
「番か?」
「……そう、みたいだ」
なぜか胸のあたりを押さえながら、
カルトはヘレナのほうに向きなおった。
しかし明らかに挙動不審である。
いつも飄々としているカルトはかけ離れた姿に
ただ驚きしか感じない。
「あんた、ヘレナだっけ?
さっきのクソ野郎は、あんたの旦那?」
「ステファン様のことですか……?
形式上は一応そうなりますね」
「別れて」
「……はい?」
「今すぐ別れて。
あんな男捨てて。
離縁して」
突然まくしたてられて、ヘレナは目を白黒させた。
しかし、なぜかカルトは必死だった。
「あんなクソ野郎よりかは、
おれのほうが何倍もマシだと思うけど、どう?
おれ、好きな子には優しくするし、全力で尽くしてあげるよ?
どこにも行かないで、ずっと傍で守ってあげる。
欲しいものは何でもとってくるし、嫌いな奴は殺してあげる」
「え、いや、あの……」
「その辺にしてやれ、カルト」
困惑の声を上げるヘレナを見かねたのか
背後で見守っていたチノがカルトの肩を掴んだ。
すごい形相でカルトがチノに詰め寄る。
「邪魔すんなよチョルノ」
「邪魔じゃねぇよ。
おまえの番が戸惑っている。
いきなり怯えさせたくはないだろうが」
カルトがちらりとヘレナを見やる。
ヘレナは初めて見る粗野な若者に、
戸惑っているように見えた。
その姿を見て、カルトの頭に上っていた血が冷えたようだった。
「……おまえの言うとおりかも」
「わかったならいい」
「おまえ……よくこの衝動我慢できるな」
「半年も経てば少しは慣れてくる。
特に今夜は満月だ。
気も荒くなる」
「そういうもんか……」
二人は何やらぼそぼそと話している。
やはりカルトの様子が少しおかしい。
胸に手を当てて頬を少し染める姿は乙女のようだが
やっているのは筋骨隆々の若者だ。
その姿を見て、ヘレナだけでなく、フレヤも一歩後退した。




