昏い微笑
フレヤはシウの軍とともに、東へと進んだ。
アルハフ族のみんなには、心からの謝罪をささげたが、
別におまえのせいではない、と首を横に振られた。
別れ際にルザの弟ミクリに野花を髪にさしてもらい、
またいつか会おうと手を振って別れた。
ルザは最後までチノだけを見つめていた。
一方のチノとカルトの中は険悪になっていた。
二人とも、お互いのことをまるでいない者のように扱い、
話しかけもしないし、見向きもしない。
その二人をまるごと無視して、
フレヤの傍に寄り添っているのがカインだった。
カインはもともとアルハフ族に対して差別的な様子は見せてこなかった。
だが、チノには思うところがあるらしく毛嫌いしている。
「なぜ、私がいる場所が分かったの?」
隣を歩くカインに尋ねる。
カインが小首をかしげてこちらを見つめる。
さらりとした前髪がグレーの瞳を覆った。
「なぜ、とは」
「私は、異形の者たちと行動を共にしていたわ。
彼らは痕跡を一切残さずここまで来たはずよ」
「それは簡単なことです。
あなたさまはアルハフ族とともに行動なさっているという情報は
手に入れておりました。
アルハフ族の救出ののち、どこで誰と合流するのか
想像するのはたやすい」
淡々とした口調だった。
それが不安をあおる。
ステファンだってとらえたのはアルハフ族の男性のみだということに
気づいていたはず。
フレヤが万が一、アルハフ族救出に成功し、王宮を抜け出した際に
残りのアルハフ族と合流することはわかっていたはずだ。
だというのに、待ち伏せも追手もなかった。
「私は、あなたさまを信じておりました。
王殺しをするはずなどない、そう簡単に亡くなるはずがない、と。
そして、必ずお優しいあなたさまはアルハフ族を救い、
この王宮を抜け出すと」
「ずいぶんと私を信頼しているのね。
私が捕らえられたらどうするつもりだったの」
「命を懸けてお守りするまでのことです」
一切の迷いがなかった。
まるで当然のことのように自分の命を懸けるカインが悲しい。
本気で、自分の命を何とも思っていないのがわかる。
「あなたがその考えを改めるまで、
私はあなたを傍に置くつもりはないわ、カイン。
ついてきたければ勝手にしなさい」
悲しみが荒い口調となって口からほとばしる。
だけど、カインは何事もなかったかのように、はい、とうなずいた。
いっそ罠なのかと思うほど、道中は何も起こらなかった。
追手の気配もないし、問題ごともない。
ただ、ぎくしゃくとした空気のまま一行は進んでいく。
フレヤは、カインから離れるようにして歩みを速めた。
空を飛ぶ能力を持つ、鴉天狗の一族の者と、龍族の者は
先に隣国へと渡り、情報収集を行う予定だ。
ちらりと背後にいるチノを見た。
チノと話をしておきたかった。
ちゃんと会話をしなくて、もう十日ほど経っている。
最後に、きちんと会話をできなかったのが胸の中で
とげの様に引っかかっていたのだ。
今度はゆっくりと歩みを緩めて、チノのほうに向かう。
「どうした」
すぐにチノがこちらに気付いた。
緑の瞳にまっすぐに見つめられ、心臓が変に跳ね上がる。
頬に熱が集まるのを感じながらなんでもない振りをする。
「話を、したくて」
いつも通りふるまえているだろうか。
汗ばんだ手でぎこちなく髪をかき上げる。
「前は感情的になってしまったから」
自分らしく振舞えない。
足にうまく力が入らなくなって、よろけたところを支えられた。
真っ赤になりながら、もごもごと小さく礼を言う。
だが、大きな手はなかなか離れなかった。
「話すことなら、前、おれは話したつもりだ」
そう言われて、最後に話した会話の内容を思い出す。
まだ鮮明に覚えている。
チノが見たことのないほどに強い感情に全身を支配されていて、
マグマのようなどろどろとした熱いものがにじむ言葉を
何度もぶつけてきた。
どうしたらいいのかわからなくて、
フレヤはただ茫然としているだけだった。
「私は、チノを捨てたかったわけではない。
チノはもともと私の騎士でも何でもないわ。
元いた場所に帰そうと思って」
「だから、それが気に入らないと言っている」
のどの奥でうなるようにチノが言った。
足が止まる。
チノも足を止めてこちらを見つめた。
「どうして?」
「おれがおまえの傍にいたいと言っているのに、
おまえはおれを無理やり引き離そうとする」
どんどんみんなの列から離れていってしまう。
だけど、今はチノに集中すべきだと分かった。
今、聞かなければならない話なのだ。
「どうして?
あなたは……」
あなたには、一族も婚約者もいるというのに。
そう言おうとして、言葉に詰まった。
違う。
なんだか、こういうことを言いたいのではない気がしてきた。
では、いったい何が言いたいのだろう。
「……おまえはどこまでも王女なのだな」
フレヤが何を言おうとしたのか悟ったらしく
チノが唇の端を歪めるようにして笑った。
胸が軋む。
違う。
そんな顔をさせたかったわけではない・
「おれは、王女としての、
上に立つものとしての言葉が聞きたいわけではない」
じりっとチノが一歩近づいてきた。
それに気おされて、一歩後ろに下がる。
チノがこちらに向かって手を伸ばしてきた。
ちらりとその目がシウたちのほうにむけられたあと、
彼はさらにこちらへの距離を詰めてきた。
あわててフレヤも後ろに下がったが、
足の長さが全然違うのですぐに追い詰められてしまった。
とん、と背中に木の幹が当たった。
はっと気づけば、頭のすぐ上に、チノが両手を置いていた。
腕に囲われるようにして、顔をのぞき込まれる。
一切のごまかしや言い逃れは許されない空気だった。
「おれは、おまえにだけは己の醜い部分を見せたくはなかったが
そうもいかないらしい」
チノが暗く笑った。
いつもの穏やかな表情と全然違った。
端正な顔を感情のままに惜しげもなくゆがめている。
こんな顔をさせているのは、自分なのだろうか。
仄昏い喜びが胸に沸き起こった。
今、この瞬間のチノの表情は私のものなのだ。
他の誰でもなく、ただ一人私だけのもの。
「チノは、自分のことを醜いとか言うけど、
私のほうがよほど醜いわ。
……目をそむけたくなるほどに」
彼はわずかに虚を突かれたような表情を見せたが、
すぐにそれは掻き消えてしまった。
どうしてだろう。
いくら言葉を重ねても、チノの心には届かないような
もどかしい気持ちが消えない。
「……いっそ、おまえの体を縛り付けてしまいたい。
そうすればおまえは、どこにも行かなくなるのに」
憎々し気にチノが耳にささやいた。
突然の言葉にフレヤは瞬きを繰り返した。
耳がとけおちてしまいそうな感覚だった。
「……もう我慢の限界だ。
我慢をしすぎて気が狂いそうだ」
細められた瞳がわずかに金色を帯びていて、はっとする。
そういえば、もうすぐ満月だ。
チノは今正常な状態ではない。
狼の血が騒いでいるからこんな風になっているのだ。
今の彼の言葉は、本能からの、本心の言葉だ。
一瞬チノが目を伏せた後、またこちらを見た。
不自然なまでに凪いだ目だった。
嵐の前の静けさのような。
「次におまえが、おれをおまえから引き離そうとしたら」
すっとチノの手が伸びてきて頬に触れた。
こんな風に触れられることは初めてだったので、
驚いて動けなくなってしまう。
指先は顎のラインをなぞった後、するりと首におりた。
「おれは、この短剣で、自分の心の臓を貫く」
わずかにチノの指が首の皮膚に食い込んだ。
呼吸が一瞬止まった。
頭が真っ白になる。
言葉が咄嗟にうまく出なかった。
「言っておくがこれ以上ないくらいに、正気で本気だ。
おれはやると言ったら、やる」
「ばっ、馬鹿なことを言わないで!!」
「おまえは優しいからな。
見知った者の命を見捨てることなどできない」
「やめて」
いやいやをするように首を強く横に振ったが、
チノは仄暗い笑みを浮かべるだけだった。
その手はフレヤの首からゆっくりと離れると、
チノの腰へと向かった。
そこにあるのは、チノの短剣。
「なんなら、今、実演してもかまわないが」
「やめて!!」
思わず感情的に叫んだ。
手が震える。
チノを失う?
目の前で?
できない。
許せるわけがない。
「おまえのために、やめてほしいか?
おまえのためなら、やめてやってもいい」
「チノ!!
お願いだから!!」
「おまえのために?」
チノは怖いくらいに落ち着いていて、
同じ言葉を繰り返す。
チノの手が腰の短剣をするりと抜いたのが見えた。
「……私の、ために」
ふうっと、チノの緑の瞳に昏い色が溶けて混ざった。
短剣が腰の鞘に戻された。
すっとチノの体がフレヤから一歩離れる。
途端に、その場に崩れ落ちてしまいそうな脱力感が
フレヤを襲った。
どっと冷汗が体中に吹き出る。
「……今は、これでいい」
チノの目は伏せられていた。
その瞳には仄暗い喜びと、薄く広がる悲しみのようなものが見て取れて
フレヤは目を細めた。
感情的な会話がしたかったわけではない。
彼の心に少しだけ触れたかっただけなのに、
触れたかったものは指の隙間をすり抜けていったような感覚だった。




