爆発
マシューとエリッシュの見送りは、フレヤとカルト、チノの三人だけだった。
静かにひっそりと二人はアルハフ族を離れた。
小さく手を振ると、彼らも少し照れくさそうに振りかえしてくれた。
彼らがごま粒よりも小さくなって、
その姿が見えなくなるまで、フレヤは彼らを見つめ続けた。
「すごいよね。
あの頭硬そうな王宮兵どもを、コロッと意見変えさせるなんて」
「別に私がなにかしたわけではないわ」
もともと口下手なほうだし、説得とかそういうものには向いていない。
変えたのは、環境とアルハフ族の人たちだ。
見送りには来なかったが、ささやかながら食料と水を分け与えてから
自分たちの仕事に戻っていったのを知っている。
「で?」
カルトがこちらに向き直った。
フレヤも怪訝そうにそちらを見やる。
チノは黙っていた。
先を促しているらしい。
「あんたはどうするの?
あんたも出てく?
たしか兵たちが出ていくまでとか言っていたけど」
「カルト」
チノが不機嫌そうに遮った。
そうだった。
兵たちの心を少なからずとかせたことに浮かれて、
自分のことを忘れかけていた。
「そう、ね」
このまま、だらだらとアルハフ族にいるのはよくない。
足手まといであるフレヤを余裕で養っていけるほど
豊かな暮らしぶりではないのは、ここ数日でよく分かった。
彼らは、狩りと採集だけで、暮らしを成り立たせている。
季節ごとに暮らす土地を、渡り鳥の様に変える。
だけど、ここ数年は災害で土地の実りは豊かではなくなった。
狩りも採集もままならない生活。
ならばしばらくの間定住生活を、と望んだ所、
イルグ王に激しく拒まれた上に、退路をふさがれ
危うく皆殺しにされるところだったという。
「チノ、私は……!!」
「チョルノの言うとおりにしてやったら?」
カルトがこともなげにそう言った。
フレヤは目を見開いてぱっとそちらを見た。
カルトはいつもと変わらず飄々とした態度だ。
しかし、その目は笑っていなかった。
ぱちっとウインクされて目を白黒させてしまう。
なんだ、その、おれに話し合わせておけって、
とでもいうようなまなざしは。
「ほら、フレヤもわかったってさ」
(まだ何も言っていない!!)
チノはまだ何か言いたげだったが、
フレヤが何も言わないのを見てうなずいた。
「……わかったなら、いい。
行くぞ」
そう言うと、チノはすたすた先を行ってしまう。
足が長い分あっという間に距離が開いた。
「……あとでまた会いにいくわ」
カルトがまた一つウインクをよこすと
先を行ってしまった。
目を細めて二つの背中を見つめる。
ため息を一つつくと、フレヤも歩き出した。
今夜中に荷造りをしたほうがよさそうだ。
「ミクリ……?」
木の陰から視線を感じた。
ぴょこんと顔をのぞかせているのはミクリだった。
ばつが悪そうな顔をしながら、彼は木の陰から出てきた。
フレヤも足を止めて彼を待つ。
「どうしたの?」
「これ……」
おずおずと差し出されたのは、どこにでも咲いているような野花だった。
フレヤは目を丸くして差し出された花を見つめた。
そっと花を受け取る。
ミクリに握りしめられていたせいか、
花の茎がどこかくたっとして見える。
「私に……?」
そっとたずねると、顔を真っ赤にしながらミクリはうなずいた。
紅茶色の鼻の頭が、土で汚れていた。
一生懸命探してきてくれたのだろう。
ふわりと心が温かくなった。
「ありがとう」
「あの……あと、タル・ゴナが呼んでる」
聞きなれない言葉にフレヤは眉をひそめた。
アルハフ族の言葉だろうか。
「タル・ゴナ?」
「アルハフ族の呪術師。
話がしたいんだって」
ミクリに連れられて、アルハフ族の集落にある奥まった場所に案内された。
ここには足を踏み入れたことがない。
他の場所と違って、何やら派手な羽飾りやら、不思議な形のお面だとかが
所狭しと並べてあるテントに入るように促された。
テントにフレヤが入るのを見届けると、
ミクリは小さく手を振って歩き去ってしまった。
本当にフレヤを呼びに来ただけらしい。
「娘さん」
しわがれた声が聞こえてフレヤは肩をはねさせた。
はっとしてテントの奥を見つめる。
紫がかった煙の向こうに一人の老婆が座っていた。
だが、フレヤが想像していた呪術師とは少し違った。
肌は磨かれた木のようにつややかで、その奥にある緑の瞳には
深い知性が宿っていた。
髪をきちんと背中で束ねていて、背筋はピンと伸びていた。
年を取っていても、見る人に美しいと感じさせる人だった。
誰かに似ている気がしたが、どうしても誰なのかがわからない。
「怖がらなくてもいい。
あんたに何かするつもりはない。
話をしようと思って、ミクリにおつかいを頼んだんだよ。
私は、トンガというんだ。
ああ、そこに座っておくれ」
静かな声だった。
フレヤは居住まいを正して、絨毯の上にそっとこしかけた。
鼻を衝くハーブの匂いはすっと心を落ち着けてくれた。
「私にどういうご用件で」
「まずは謝罪を。
私の孫、メノウが、あんたにすまないことをした」
フレヤははっと顔をこわばらせた。
メノウの話を思い出す。
彼女の母もアルハフ族の呪術師で、
フレヤの父であるイルグ王に弄ばれた、と。
彼女は、メノウの祖母だというのか。
だとすれば、憎いはずだ。
イルグ王の娘であるフレヤが。
自分の娘を弄んだ男の娘なのだから。
「許してくれとは言わない。
あのこは、道を外したのだから。
悪霊に心をとらわれている」
謝罪されると思わなかったフレヤは戸惑った。
トンガの目にはどろりとした憎しみの色は見えなかった。
湖の水面の様に澄み切って静かだった。
「悪霊……?」
「復讐だよ。」
フレヤは目を伏せた。
メノウの表情を思い出す。
人形のような表情なのに、目だけはギラギラと憎しみで輝いていた。
「最初は、あのこも、ただ一族のことだけを考えて動こうとしていた。
チョルノと同じように、アルハフ族をこの国の民の一部にしようと、
王族と政権を変えようと奔走していた。
だけど、あのこは、あんたたちと同じ人魚の声の力だけじゃなくて
呪術師とアルハフ族としての力も持っている。
人を惹きつける力を持っているんだ。
それゆえ、力をあまりにも急速に強大につけすぎて
道を外れた外道に成り下がってしまったんだよ」
トンガの握りしめたこぶしが震えているのが見えた。
彼女も大切なものを失ってしまったのだと悟った。
純粋で無邪気な孫娘を、失ってしまったのだ。
「チョルノは曲がらなかったね。
あれだけ先祖に近い強い力を持っているのに
メノウの様に力や復讐にとらわれることもなかった。
チョルノが王につかまったのも捕らえられそうになった仲間を
逃がす囮になったからさ」
羨望の気持ちを吐き出すように、トンガは息を吐いた。
そうか。
そうやってチノは父王に捕まり、自分と出会うことになったのだ。
「だけどね、全部が全部あのこが悪いわけじゃない。
あのこをそそのかした悪霊がいる。
かの国の王子だ。
太陽の光のような容姿をして、闇に染まり切った心根。」
ステファンのことを言っているのがすぐにわかった。
じりりと焦りが胸を焦がす。
ヘレナはどうしているだろうか。
城のメイドや近衛兵たちはどうなったんだろう。
しかし、トンガの言葉にフレヤは言葉を失うことになった。
「あのこを許さなくていい。
だけど、婆からの願いだ。
あのこを救ってくれ。
あんたにしかできないことなんだ」
この人は何を言っているのだろう。
もう今の自分は王女ではない。
力など何もない。
地位も栄誉も権力もない。
何もかも失った。
何かを変えるための力も気力も何もないのだ。
「あんたは、もうすぐここを出るつもりだろう。
ああ、驚かなくていいよ。
私の呪術にかかればそのくらい予知するのはたやすい。
出るなら急ぎな。
……嵐が来そうだからね。
つかまりたくなかったら、できるだけ早くここを出るんだね」
外がオレンジ色に染まって行くのを感じながら、
フレヤは荷造りを終えた。
とはいっても、自分が寝ていた寝具の乱れをきちんと直し
水とわずかながらの食料と、衣類をまとめただけだった。
ばさりと断りもなく、テントが開かれた。
この気配の消し方とこのタイミングは彼だろう。
「カルト、入るときは一声かけてから……」
そちらを見ようと顔を上げる。
入ってきた人物を見て言葉を失った。
「なにを、している」
かすれた声でチノがそういった。
フレヤは驚きのあまり一声も発せなかった。
チノが気づかぬうちに、そっとここを離れるつもりだった。
それがいったいこれはどういうことだろう。
チノが陽光を背に背負っているために、表情がよく見えない。
「……いや、言わなくてもいい。
何をしているのかはわかっている。」
押し殺された声だった。
マグマのようなどろどろとした熱いものを
氷で覆いつくしたような声音にフレヤはびくっと震えた。
日がわずかに陰って、一瞬チノの表情が見えた。
はっとする。
ひどく傷ついた表情だった。
「やはり、おれを捨てるのか」
言われている意味がよくわからなくて、眉を顰める。
次の瞬間、とても強い力で手首をつかまれた。
振りほどこうにも振りほどけない。
ぎりりと骨が軋むような感触がして、低くうめいた。
だけど、チノはフレヤが痛みを感じているのわかったうえで
力加減を一切していないようだった。
これが、嵐、なのだろうか。
混乱した頭がそれだけをぼんやりと考えた。
何が起こっているのか思考が追い付かない。
「……行かせない」
地を這うような声に、呼吸が止まりそうになる。
彼が何に怒っているのかがわからない。
思い当たるものがない。
「捨てるって、なに」
かすれて震えた声だった。
自分が情けなかった。
チノがぐっと顔を近づけてくる。
緑の瞳におびえた表情をした自分の顔が映っていた。
いつもの氷の無表情はどこかへいってしまった。
チノがすっと目を細めた。
獣じみた仕草。
だけど、今はまだ満月じゃないはずだ。
怖い。
よく知っている人のはずなのに、まるで別人のように見えた。
こんなに強い衝動に全身を支配されているチノを見るのは初めてだった。
「おまえは、おれを捨ててカルトとここを出ていくつもりなのだろう」
「捨てるだなんて……!!
チノは族長で、私は……」
「族長ならやめる。
カルトのやつにでもやらせたらいい。
お前とともには行かせない。
残念だったな」
押し殺された声でせわしなく言われ、混乱する。
チノは、アルハフ族の族長だ。
こんなに簡単にやめるだとか言って、辞められるようなものではない。
それに、誰よりも一族のことを大事に思ってきたのはチノだ。
そのチノが、族長の地位を捨てる……?
「馬鹿なこと言わないで」
「おれはこれ以上なく本気だ」
「どうかしてるわ」
「ああ、自分でもどうかしていると思う」
ぎりりと手首を握る力が強くなった。
かすれた悲鳴が唇から洩れる。
おびえるフレヤを見てチノは暗く笑った。
「泣けばいい。
今泣けば、おれが傷つけたのだと強く思える」
目じりに滲みかけたしずくを意志の力で、こぼさないようにする。
目を見開いて、泣くものかとチノを睨みつけた。
さらりとチノの長い前髪が額に触れた。
「おれにすがって、泣いて、助けを乞えばいい。
おれがいないと、おれでなくては駄目だと」
吐き捨てるように言われた言葉なのに、耳の中で甘く響いた。
緑の瞳がひどく近い。
気配が、体温が、とても近い。
胸いっぱいにチノの匂いを吸い込んでしまい、
頭がくらくらする。
だけど。
「ルザ、は」
名前を呼んだだけで、胸を焦がす痛みが強くなった。
視界が明滅する。
美しく、凛々しく、聡明な少女。
脳裏をよぎる二人の仲睦まじそうな姿。
どろりと胸の中でどす黒い感情が渦巻いた。
「あなたには、ルザがいるじゃない」
自分が吐き出した言葉でやけどをしそうだった。
頭の中がキンっと白くなる感覚。
ばくばくと心臓が異常な速さで脈打っている。
自分で自分の言っていることがわからなかった。
なんだこれは。
これではまるで。
まるで、ルザに嫉妬しているみたいな。
カッと耳が熱くなった。
あわてて気持ちにふたをしようとしたが遅かった。
今まで必死に抑えてきたものが、濁流のように押し寄せて
止まらなかった。
「私のことばかり好き放題言って!!
あなたはどうなのよ!!
あなただってルザと……!!」
ふっと、手首をつかむ力が緩んだ。
チノが戸惑っているような表情を浮かべていた。
その様子がさらにフレヤの衝動に油を注ぐことになった。
しかし、口を開こうとした瞬間、チノの顔が苦悶に歪んだ。
「チノ……!?」
どさりと、チノの体が前のめりに倒れてきて、
正面にいたフレヤは慌てて彼の体を支えた。
とんでもなく重い。
気絶しているようだ。
はっとしてテントの入り口を見ると、
カルトが手を手刀の形にしたままこちらを見ていた。




