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マーメイドウィッチ  作者: いろはうた
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発露

フレヤはが目覚めたころには、日は既に高く上っていた。


あわてて跳び起きて、身支度を整える。


テントを転がるようにして飛び出すと、ぼすっと誰かにぶつかった。


倒れこみそうになるのをたくましい腕が素早く支えてくれた。


黒衣の民族衣装の端が目に映る。



「どうした」



落ち着いた声に心臓が強く脈打った。


チノだ。


声がひどく近い。


フレヤは彼の腕の中で固まった。


徐々に耳のあたりが熱くなってきたが、


何故だかピクリとも体を動かせない。



「……フレヤ?」



少しいぶかしげな調子の声にはっと我に返って、


慌てて彼の胸のあたりを押して距離を取ろうとする。


視線を上げたら、間近に緑の瞳があってまた固まってしまった。


意味もなく口を開閉するが、


ぁ、とか、ぅ、とか小さな意味もない声が出るだけで何も言えない。


チノは、いつもの漆黒の騎士服ではなく、


黒いアルハフ族の民族衣装を身に着けていた。


それがチノにとても似合っていて、


なんだか一気に彼との距離が開いてしまった気がした。


そうだった。


忘れかけていたが、もうすぐチノとはお別れだ。


フレヤは瞳を伏せて、チノから離れた。



「私、ここの長にもう二日間だけ滞在させてもらうことを


 言いに行かないと」


「長ならおれだ」



言われたことが咄嗟にわからなくて、フレヤは瞬きを繰り返した。


陽光がまぶしいのかチノはわずかに目を細めた。



「二日で出ていくというのはどういうことだ」


「もともと、アルハフ族の所に身を寄せるつもりはなかったわ。


 できるだけ早くここを出ていくつもりよ」


「おまえが一人で外の世界で生きていけるわけがない。


 ここにいればいい。


 一族すべてをもってお前を守る」



長の権利を濫用しているように思えるのは気のせいだろうか。


それよりも、一番最初に決めつけるように言われたことには


少し頭にきた。


まだやってもいないのに何がわかるというのだ。



「まぁ、確かにねー


 ありえないほどの不器用だったし。


 だって、木の実の殻と一緒に自分の指も切り落としそうになってたしな」



チノの背後から当たり前のように歩いてくるカルトの存在にも腹が立つ。


一応一晩中兵たちの傍にいて、彼らを見張っていたという点では


感謝しなければならないが。


切れ長の涼しげな眼の下には、うっすらとクマが見えた。



「兵を見張っていてくれたのね。


 ごめんなさい迷惑かけて。


 体は大丈夫?」


「あ?


 あーうん。


 今、別のやつに代わってもらったところ。


 ちょっと寝てくる」



カルトは変なものを見たかのように、フレヤを一瞥した後


すたすたと歩き去ってしまった。


礼を言われたことに対して驚いたのだろう。



「見張りは俺たちにとってただの役職だ。


 カルトは、礼を言われ慣れていないだけだから気にするな」



まるでフレヤの考えを読んだかのようにチノがそう言った。


そういうものなのだろうかとフレヤは首を傾げた。


その役職を休んでいるということは、


フレヤに対しての見張りはなくなったのか


はたまたチノが見張り役となったのかはわからない。



「それよりも先ほどの話の続きだ」


「えっと……そうね。


 とにかく、私は兵たちにわかってもらえたらすぐにでも……」


「もともとメノウたちは、おれがお前をそそのかして


 王を殺させたという筋書きにしている。


 どちらにしろ、アルハフ族が狙われるのはわかっている。」



ぐっと言葉に詰まった。


正論だった。


もうすでに、彼らを巻き込んでいる。



「それなら私が囮となって、ひきつけて、


 その間にアルハフ族のみんなには隣国へ移ってもらうのはどうかしら」


「関所ならメノウたちの命令ですでに閉ざされているはずだ。


 特に異民族の出入りに厳しくなっているだろう」



唇をかみしめた。


まるで自分が追い立てられたウサギになってしまったような錯覚を覚える。


逃げ場がどこにもない。


狩られるのを待っているだけの弱い存在。


ぐいっと手を引かれてはっとする。


いらだったようなチノの表情が間近にあった。



「どうしてわからない」


「な、なにが?」


「傍にいろと言っている」



フレヤは思わず


拗ねているようなチノの顔を真正面から間近で見つめてしまった。


目はそらされていた。


嘘を、言われているのだろうか。


いつもはあんなにまっすぐに人の目を見つめる人なのに。


フレヤを慰めるために思ってもいないことを口にしている?


なんだか、目の前が真っ暗になっていくような気がした。


どうしてこんなに悲しいと思っているのだろう。



「私は……」



そんな言葉が欲しいんじゃない。


そう言いかけてはっとする。


じゃあ、何と言ってほしかったのか。


こんなうその言葉が欲しいわけではなかった。



「ずっとここにいればいい」



毒のような言葉だった。


甘い毒の様に体に、脳髄にじわじわとしみこんでいく。


その言葉にすがってしまいとさえ思った。


その甘えを意思の力でねじ伏せる。



「だめよ」


「フレヤ」



チノの声はいらだっていて、そして悲しそうだった。


思い通りにならないフレヤに戸惑っているようにも思える。


フレヤは目を伏せた。


チノの手から手を引き抜く。


こんな会話がしたかったのではなかった。


チノにこんな嘘をつかせて、こんな顔をさせたかったわけではなかった。



「ちゃんと、ここの前の長の方に話をさせて」


「既におれが話をつけている」


「私からしないと礼儀に反するでしょう」


「フレヤ。


 おれには、気を張らなくていい」



突然話題が変わって、フレヤは眉をひそめた。


今は、そういうことを話しているのではない。


そういう些細なことすらチリっと気に障った。


また手を掴まれた。


フレヤは顔をゆがめて、手を振り払おうとした。


今、ここで折れたらだめだ。


ここはチノの場所。


最後の最後までお守りをしてもらうつもりはない。


そこまで落ちぶれたつもりはなかった。


だけど、突然あらがえないほど強い力で抱き寄せられた。


目を見開く。



「はなし……っ!!」


「おれは、おまえの敵じゃない」



スパイスの匂いが鼻をかすめた。


知らない匂い。


思わず、チノの体を突飛ばそうともがく。


しかし、その中に、いつものチノの乾草の乾いた匂いがした。


アルハフ族の集落という異空間にいて


知らないうちに張っていた気が一瞬緩むのが分かった。


熱いものがじわりと目じりに(にじ)んだ。


わけがわからなかった。


自分でも自分のことがわからない。



「私が、何をしたというの!!」



熱いものがのどからほとばしった。


この数日、いや、メノウに脅されたあの日から


ずっと我慢していた怨嗟の声だった。


呪いの様にずっと胸に巣くっていた存在が、爆発した。


ただ、感情のままにめちゃくちゃに暴れた。


王女だとか、立場だとか、そんなものは全部意識の外に飛んで行った。


だが、どんなにもがいてもチノから離れられなかった。


しずくが目から零れ落ちた。



「どうして私ばかりがこんな目に合わなきゃいけないの!!


 こんな力、こんな見た目、こんな身分、


 欲しくて生まれてきたわけじゃない!!」



どうしても離れてくれない硬い胸に向かって


力任せにこぶしを振り下ろす。


何度も何度も、自分のこぶしが痛んでもたたきつけた。


チノは何も言わない。


離れてもくれない。


嫌がるそぶりすら見せない。


それが怒りをさらに助長する。



「放してよ!!


 どうせあなたもどっかにいくわ!!


 みんな私を嫌う!!


 みんな私を捨てる!!


 私が何をしたの!!


 ただ、人間として生きていたそれの何が悪いのよ!!」



髪を振り乱して叫ぶ。


王女としての尊厳はもうどこにもなかった。


自分の中の固い何かが完全に折れたのがわかった。


涙がとめどなくあふれて前が見えなくなる。


全部失った。


日常も、恋人も、家族も、すべて奪われた。


理不尽な略奪だった。


何もかもを失って、それでもあさましく生きながらえている。


チリチリとした怒りと悲しみと悔しさで視界が真っ赤に染まった。



「私は……ただ!!


 民を……みんなを守ろうと……!!」



それが、今では王殺しの濡れ衣を着せられ、王宮を追われる有様。


つかまれば間違えなく与えられるのは死。


この濡れ衣を、誰も疑わない。


民は皆おまえが殺したのだろうと決めつけ、


差し伸べた救いの手をはねのけてくる。


ずるりとこぶしから力が抜けた。


なら、この手をどこにやればいい。


この気持ちは。


民のために走り回った日々は何だったのか。


少しでも民の心を知ろうと国中を馬で駆けまわった日々は何だったのか。


何故、殺されるような目に遭わなければならない。


何故。


どうして。


悔しい。


苦しい。


嗚咽が漏れた。



「おれが知っている」



穏やかな声が不意に落ちた。


耳に心地よい低い声。


今はもう聞きなれてしまって、離れがたい声。



「おれが、おまえが民を思い、国を駆けずり回ったことを知っている。


 他の誰がお前を何と言おうと、おまえは立派な王女だった。


 この国の誰よりも民を思っていた。


 王族であることの責任を最後まで果たそうと奔走していた。


 一度だって民を救うことを諦めていなかった。


 おれはおまえほど気高き娘を知らない」



お世辞でもなんでもなくて、本心からの飾り気のない言葉だった。


瞳から新しい涙がこぼれた。


苦しかった。


守りたかった。


悔しかった。


救いたかった。


でも、何もできなかった。


やれることは全てやりつくしたけれど、それでも足りなかった。


あまりにも自分はちっぽけで無力な存在だった。


闇に閉じ込められた矢先に差し込んだ一筋の光のような言葉。


まぶしくて、尊くて、目を細めて


それでも求めて、見つめずにはいられない。


見てくれる人がいる。


認めてくれる人がいる。


それで、十分だ。



「少し落ち着いたか」



いつもと変わらない静かな声に、フレヤは黙ってこくりとうなずいた。


まだ指先は興奮でぶるぶる震えているし、


足腰もがくがくする。


こんなに泣き叫んだことなんてなかったから


のどもひどく痛んだ。


だけど、ひどくすっきりしている自分がいた。


大きな手のひらがなだめるように頭を撫でてくれるのがわかる。



「傍にいなくてすまなかった」



瞬きをしたら、最後の涙がばしゃりと落ちた。


小さく首を振った。


ぎゅっと軽く頭を押さえつけられて、


チノの胸板に顔を押し付けることになる。


温かい。


どくどくと心臓の音が聞こえた。


命の音。


大丈夫だ。


まだやれる。


この人がいる限り、私はまだ進まなければならない。


まだ、折れたりなんかしない。


最後まで、あがいてみせる。

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