月光
結局、なんだか目がさえてしまって
なかなか寝付くことができなかった。
闇の中、目を瞬かせる。
眠ることをあきらめて、体を起こす。
少し夜風に当たれば眠くなるかもしれない。
そう思い、一枚だけもらっていた毛布を体に巻き付け
テントから出て歩き出す。
さすがに夜は更けているから、人の気配はほとんどなかった。
焚火は消され、月光のもと見える人影はおそらく見張りの男性たちだろう。
彼らは気配に鋭いから、すぐにこちらに気付いてしまうに違いない。
ふと闇の中動く小さな人影を見つけて、目を細めた。
フレヤは、静かに後を追うように歩き出した。
その人影は、村の裏口から出て、森に向かって歩き出す。
夜目のきかないフレヤは、
何度か木の根に引っかかって躓きそうになったり
木の枝を思いっきり踏みつけて音を出してしまったりしたが
小さな人影は気づく様子もなくどんどん進んでいく。
チノの言動からして、アルハフ族はルーガルーの末裔。
あの人影は、夜目もきくのだろう。
内心びくつきながらも、その小さな姿を見失わないようにする。
「……っ!!」
月光に照らされた横顔は、ミクリだった。
どうして深夜に、森の中にいるのか理由がとっさには思いつかなかった。
しかし、理由はすぐにわかった。
森が一気に開けた。
一面に広がる真っ白な花畑。
月光の光が雪となって降り積もったかのような幻想的な光景だった。
フレヤは息をのんだ。
こんなに美しい光景は見たことがなかった。
ミクリはためらいなく花畑の中に入っていき、身をかがめた。
花を摘んでいるようだった。
ルザのためだろうか。
心がふわりと温かくなる。
優しい子なのだろう。
フレヤは踵を返して元の道をたどって帰るために、花畑に背を向けた。
しかし、その足はすぐに止まることになった。
叫び声が背後から聞こえたのだ。
ミクリの声だった。
急いで背後を振り返る。
ミクリは花畑の中に立っていた。
しかし、その顔は歪んでいた。
手を誰かにつかまれている。
大きな人影が二人。
はっと目を見開く。
王宮近衛兵の制服。
月光に照らされた横顔には見覚えがある。
追ってきたのか、としびれた心がぎこちなく呟いた。
見れば、彼らはミクリの手を掴んで、
激しい調子で何かを問いただしているようだった。
対するミクリは、激しく抵抗し暴れている。
いくらアルハフ族の者でも、人間の大人には勝てない。
ミクリが暴れて抵抗することに、兵はいらだったように手を振り上げた。
フレヤは駆けだした。
「やめなさい!!」
よく通る声が花畑に響き渡った。
命令することに慣れたその声に、兵の二人はびくりと動きを止めた。
ぎこちない動きで二人がこちらを見る。
驚きがその顔に広がっていくのを、フレヤは悲しい思いで見ていた。
「フレヤ王女殿下」
すぐに二人は顔を伏せ、体を折り曲げて一礼した。
久しぶりに見る近衛兵の制服になつかしさすら覚えた。
だが、今は感傷に浸っている場合ではない。
「彼から手を放しなさい」
氷のように冷たく言い放つと、わずかにためらった後
兵はミクリから手を放した。
視線でミクリに逃げるように促す。
自分の予想が間違っていなければ、兵の目的は元王女たる自分だ。
なにも関係のない人間を巻き込むのだけは避けたい。
ミクリはいやいやをするように首を振ったが
フレヤはなおも強く促すと、泣き出しそうな表情で
森のほうに駆けだしていった。
「恐れ多くも、王女殿下。
なにゆえ、このような場所に……」
顔を上げるように促すと、視線は伏せたままで彼らは顔を上げた。
硬くこわばった表情だった。
フレヤは、表情を変えないように努めた。
「私を探しに来たの?」
「は、はっ。
ステファン殿下のご命令でして……」
スッと背筋が冷たくなるのが分かった。
ああやはり、と、心のどこかで冷静な自分が言っていた。
頭の芯がキンと冷える。
ステファンは気づいている。
フレヤが死んでいないことに。
やはり、不安分子はひとつ残らず潰す気だ。
しかし、同時に違和感も感じた。
王宮の統治者は、革命軍の長たるメノウの手に渡ったのではなかったのか。
なぜ、ステファンが……?
「王女殿下」
兵の声で現実に引き戻される。
瞳からは感情の色も一切消した。
彼らは、もうあの時自分たち王族を守ってくれた存在ではない。
敵だ。
隙を見て歌わなければ。
しかし、ここで心に迷いが生じた。
ステファンがこうして追っ手をかけているということは、
フレヤは生きているだろう、という予測を持っているからに過ぎない。
ならば、このまま死んでしまったことにするのが得策だ。
しかし、ステファンの傍にはメノウがいる。
同族は術の痕跡を見て取れる。
ステファンはただの人間だから気づかないだろうが、
メノウなら、歌の力を使って記憶を改ざんされた兵に気付いてしまうだろう。
「イルグ王をご乱心なさり、
自らの手で殺めた、とのお話は本当なのですか……?」
驚いて素の表情で兵の顔を真正面から見てしまう。
人のよさそうな顔には苦し気なものが浮かんでいた。
信じられない、信じたくないという顔だった。
メノウがそのような噂を流したのだろうか。
だが、たしかに、メノウに言われたとはいえ、
父をあそこまで追い詰めたのは……
「……ええ、そうよ」
胸に小石をいっぱい詰め込んだようだ。
すうっと兵たちから表情がなくなった。
「フレヤ様。
王宮までともに来ていただきます」
はっとした。
もう王女として彼らはフレヤを扱わない。
彼らにとってただの罪人なのだ。
なぜか、動けなくなってしまって、
彼らが自分に向かって手を伸ばしてくるのを凍り付いたように見ていた。
「あ、どーも」
場違いなまでに軽い声が聞こえて、フレヤは目を見開いた。
はっとして振り向くより早く、兵士の腕をつかむ手があった。
じゃらっとしたバングルやブレスレットが月光を反射して光る。
「カルト……?」
「なんだ、貴様は……!!」
兵士が顔を真っ赤にして腕を振りほどこうとするが
まるでびくともしなかった。
一歩のカルトは暗くてよく見えないが、涼しい表情を浮かべているようだ。
その様子を見て、さっともうひとりの兵士が腰の剣に手をかけた。
「この見た目……おまえ、アルハフ族か!?」
「それがなに?」
「けだものの蛮族が触れるな!!」
はっきりとした拒絶の言葉にフレヤはびくりと震えた。
知らなかった。
自分は本当にあまりにも無知だった。
アルハフ族が自国の民として認めていなかったイルグ王の考えが
ここまで下の者にも浸透しているとは。
じわじわとマグマのような熱い感情がわいてくる。
「フレヤ様、まさかこの蛮族の者のもとに……」
「……口を慎みなさい。
私の恩人です」
低く押し殺した声が出た。
怒りが混じった声に、びり、と空気が震える。
兵士がわずかにたじろぐ。
その一瞬のスキを見逃さず、カルトは兵士たちの首に手刀を叩き込んだ。
地面に崩れ落ちる兵士たちをカルトがどんな顔で見ているのかは、
暗くてよく見えない。
そのカルトがくるりと振り返った。
「あんた、馬鹿なの?」
「は、はい?」
「なんで抵抗しなかった。
おれがいなかったら連れていかれていたと思うんだけど」
突然の言葉に、目を瞬かせる。
じわじわと言葉の意味が頭に浸透していった。
「ミクリを逃がすので、精いっぱいだったのよ」
「知ってる。
見てたから」
「はぁ!?」
口から素っ頓狂な声がでた。
頭がじわじわと状況を理解していく。
つまり、フレヤの監視役でもあるカルトは、
深夜に出歩くフレヤのあとをつけていたのだ。
ギリギリまで出てこなかったのは、状況を見ていたのもあるだろう。
しかし。
「……私を、試したのね」
「怒るなよ」
「……別に怒ってないわ」
「怒ってるじゃん」
否定しないということは、つまりそういうことだ。
そういうカルトもこれっぽちも悪気のない顔である。
そんな様子にもいらついてしまう。
「礼を言うよ、フレヤ」
「え?」
ふいに落ちた真剣な声に、真正面からカルトを見る。
初めて名を呼ばれたことにも驚く。
いつもの軽薄そうな表情はない。
月光をはじく緑の目が今は金色に見えた。
「あんたは、おれらの一族のやつを助けた」
「ミクリのこと?
あたりまえでしょう」
この兵たちは、フレヤを探していた。
ミクリを逃がし、自分が盾となるのは当然のことである。
不思議そうな表情の彼女にカルトは笑った。
「おれらは、ルーガルーの末裔、さすらいの民アルハフ族だ。
おれらを蔑み、蛮族だと揶揄し、あまつさえ皆殺しにしようとした
イルグ王が何より憎い。
そして、その娘であるあんたに何も思わないほどお人よしでもない」
重い言葉だった。
改めて告げられた本心に、ぎゅっとこぶしをにぎる。
フレヤは退かなかった。
まっすぐに事実を受け止める。
「だが、あんたは、おれらの一族の者を救った。
見捨てようと思えば見捨てられる状況だった。
でもあんたは、ミクリ身を挺してかばった」
カルトが笑った。
唇の端を曲げた仕方なさそうな力のない笑み。
いつもの軽薄そうな笑みではない。
複雑な感情が瞳の奥で渦巻いているのが分かった。
「おれは、あんたを認め、受け入れるよ、フレヤ」
ふはっと空気が抜けたようにカルトが笑った。
ぱちぱちと目を瞬かせる。
いまだに状況をよく呑み込めていないフレヤを見て、カルトはまた笑った。
「たとえ、憎い奴の娘でも、恩人に報いないやつは
ただの畜生以下だからな」




