発熱
カルトにまず案内されたのは、女性たちが洗濯をしている川だった。
色とりどりの布が清流に広がり、美しい光景だった。
川の水に手を浸し、震える。
氷のように冷たかった。
女性たちはひざ下まで水につかって、
平気な顔で洗濯をしているのが信じがたかった。
「じゃ、まずは洗濯ね。
なぁ、誰か王女サマに洗濯の仕方、教えてやってくれないー?」
大きな声で言われ、羞恥のあまり頬に血が上る。
自分は無知だ。
幼子に戻ってしまったような感覚に陥る。
しかし、女性たちはまるでカルトの声が聞こえなかったかのように
洗濯を続けていた。
あれだけ大きな声で言ったのだから、全員聞こえたはずなのに。
あからさまな拒絶に、フレヤは瞳を伏せた。
もとより受け入れられるとは思っていない。
だが、胸に泥を詰め込まれたような気分になる。
「……教えてもいいよ」
ぽつりと一人の女性がつぶやいた。
はっとして声のしたほうを向く。
フレヤに衣服を渡してくれた女性だ。
彼女は洗濯物のたくさん詰まったかごを河原に置くと
ちらりとこちらを向いた。
「あり、がとう……!!」
思わず大きな声で礼を言うと、
女性はパッと視線をそらした。
なんだか小動物みたいでかわいいとすら思える。
彼女は、静かな声でぽつぽつと丁寧に教えてくれた。
フレヤが不器用で、なかなかうまく布を絞れなくても
上手に洗えなくても、根気よく教えてくれた。
彼女のおかげで、すべての洗濯物を洗い終えるころには
なんとか様になるようになった。
「じゃあ、次は、水汲みね」
カルトに引きずられるようにして、
川から連れていかれる。
何度もお礼を言いながら振り返ると、
女性は困ったような顔をしながらも、
小さく手を振ってくれた。
胸に温かな灯が灯ったような気がした。
腰の骨が軋む。
掌はじんじんと熱をもち、真っ赤になっていた。
「水、汲み終えたわ」
わずかにふらつきながら、カルトに向かって言う。
意外そうに彼は片眉を上げた。
「へぇ。
さっさと音をあげるかと思ったんだけど、以外と根性あるねぇ」
「……」
フレヤは言葉をとっさに返せなくなるほどに疲弊していた。
もともと肉体労働などほとんどしてこなかったのだから
当然と言えば当然である。
しかし、このぐらいをこなさなければ、
王宮の外では暮らせないだろう。
もはや王女としての自分は死んだ。
これからは、ただの人間として生きていかなければならないのだ。
「次は、なに?」
「まだやる気?
もう休んだほうがいいんじゃないの?」
「洗濯や水くみができた程度じゃ、外の世界では生き残れないわ」
そう言い返すと、まぁそうだねぇと気の抜けたような返事が返ってきた。
後頭部に手を当てると、カルトは考え込むようなそぶりを見せた。
均整の取れた体つき。
引き締まった体は色とりどりの布と
たくさんのアクセサリーで飾られている。
おそらく、カルトはこの集落の中では洒落者なのだろう。
「じゃぁ、次は、木の実の皮むき」
なんて地味な作業なんだ、と言いそうになったが考え直す。
木の実だって立派な食糧。
食料の調理法を知るのは大事なことだ。
内心そう自分に言い聞かせる。
しかし、木の実の皮むきは、フレヤが想像していたよりも
ずっとずっと難しかった。
木の実は硬い殻に覆われていて、小刀で中身を取り出さないといけない。
今まで小刀など触ったこともないフレヤは、
何度も自分の指を切り付けそうになった。
指は、すでに木の実のとげであちこちから血が噴き出していた。
そのたびに作業を中断して、指に布を巻き付けて血止めを
しなければならない。
他の娘たちに交じって木の実の殻剥きをしていたフレヤは
人一倍遅れていた。
ようやく20個を向き終えるころには、ほかの娘たちの前には
木の実の山と殻の山ができていた。
震える指を叱咤して、作業を続ける。
「っ……!!」
木の実が一瞬で赤くなった。
慌てて手を止めて、布を巻こうとする。
「もういいわ。
迷惑なのよアンタ」
きつい言葉にフレヤは顔を上げた。
カルトがルザと呼んでいた少女が、こちらを睨んでくる。
たしか、チノの許嫁。
チノをしばらくの間返してやれなかったことに
余計にフレヤに対していい感情を抱いていないのかもしれない。
「だいたいなんなの?
出ていくまで大人しくしていたらいいものを……」
ルザの言葉が尻すぼみに消えていった。
その瞳はフレヤの背後に向けられている。
驚愕のまなざしだった。
「チョルノ……」
思わず漏れたという風なつぶやきに、
フレヤは急いで振り返った。
彼の衣は既にいつもの騎士服ではない。
アルハフ族の民族衣装に身を包むその人。
「チノ……?」
久方ぶりに見る彼は、少しやせたような気がした。
チノは皆の視線を体に浴びながら無言で近づいてくると、
突然ガッとフレヤの手をつかんだ。
包帯まみれの汚い指。
それを突然掲げられて、羞恥のあまりカッとほほが熱くなる。
「……誰が、こんなことをさせた」
地を這うような低い声だった。
チノが怒っている。
それだけはわかった。
「チョルノ、まだ体が……」
ルザがまなざしから険しいものを一瞬で隠して
心配そうな光を瞳に浮かべた。
本気の目だった。
「別に、平気だ」
ルザからチノが視線を逸らす。
ふと掴まれている手がひどく熱いことに気付いた。
違う。
チノの手が熱いのだ。
「チノ!!
まだ熱が……!!」
「お前は黙っていろ」
うなるように言われて言葉を失う。
まだ熱があるのにどうして出てきたのだとなじりたい。
よく見れば、彼の顔色もあまりよくなかった。
「これはおれらが強制してやらせているわけでじゃない。
そこの王女サマがすすんでやってんの」
「おまえが……?」
カルトのどうでもよさそうな声に促されるようにして
いぶかしげにチノがこちらを見る。
久しぶりに正面から視線が合った。
徐々にその瞳が何かを悟ったような色を宿すとともに
怒りが緑の瞳を染め上げた。
「やはり、おまえ、一人で……」
「はいはい、病人は本調子じゃないんだから帰った帰った」
軽く腕をつかむと、
カルトはチノを引きずるようにしてその場から連れ出す。
フレヤは、どうしてチノがあそこまで怒っているのか
さっぱり理解できないままで、その場で呆然としていた。
「……はなせ、カルト。
おれはまだ言いたいことを何も……」
「はいはい、もうすぐまた会えるからなー」
適当に流すカルトの声を最後に、何も聞こえなくなり
二人の姿はテントの向こうに消えた。
その場には少女たちとフレヤが残される。
みんなから奇異の目で見られ、フレヤは体を縮こまらせた。




