生きるため
朝になってしまった。
昨日倒れるようにして乾草の山の上で眠ってしまったのだ。
メノウによる革命とステファンによる裏切りが昨日起きたことなのだと
まるで人ごとのように考えた。
いまだに実感がわかない。
そういえば昨日一睡もしなかったのだと妙にすっきりした頭で思い出した後、
フレヤは瞬きをくりかえしてから目を開けた。
ぼやけた視界の中に、緑の瞳が飛び込んできた。
一気に意識が鮮明になる。
「っ、チノ!?」
フレヤはがばりと身起こした。
とたんに上半身が傾いてぐらつく。
しかし、いつものように支える腕はなかった。
「あー、チョルノじゃなくてごめんね王女サマ?」
心のこもっていない謝罪。
フレヤは顔をあげて自分の枕もとにしゃがみこんでいる人物を見た。
チノじゃなかった
カルトだった。
「おはよ」
「……おはよう、ございます。
チノ……は?」
「まだ寝てる。
だいぶ良くなってるから安心しな」
「よかった……」
声がかすれて、フレヤは顔をしかめた。
手を持ち上げてのどをさする。
「はい、水。
あ、毒は入ってないから」
この男はいちいち一言多い気がする。
フレヤはわずかに眉をひそめながら礼を言うと、
木をくりぬいてつくったボウルに口を付けた。
冷たい。
体に染み渡るようだ。
生きているのだと、今更ながらに思った。
ステファンは、メノウは、
自分がまだこうしてのうのうと生きていることを知らない。
……いや、メノウと……ステファンのことだ。
彼の美しいアイスブルーの瞳を思い出す。
何もない無機質な冷徹な瞳。
彼が、獲物をそのまま逃すわけがない。
獲物をしとめ息の根を止めるその瞬間まで
決して気を抜かないだろう。
「飲み終わった?」
ん、と手が差し出され、木の器をカルトに返す。
フレヤはカルトの瞳を見つめた。
ステファンのことだ。
追手をかけているに違いない。
だとすると、ここにあまり長く滞在するのはよくない。
これ以上自分のせいで人が傷つくのは見たくなかった。
「カルト」
「なに?」
「私、追われているの。
今日、ここを出ていくわ」
フレヤは瞳を伏せた。
死んでしまえたらいいのかもしれない。
けれど、一度死の淵を覗いたせいで、死がどうしようもなく怖い。
生きたい。
死にたくなどなかった。
ならば、逃げるしかないのだ。
「追われてるってどういうこと?
あんた、王女サマだよね?」
「詳しく話すことはできない」
深く関われば関わるほど命に危機が迫るだろう。
余計な犠牲は増やしたくない。
フレヤのかたくなな態度にカルトはあっさり、あっそと呟いた。
「好きにすれば?
もともとあんたのこと大歓迎ってやつ、ウチにはいないし。
特にルザがうるさい」
「ルザ?」
「ああ、チョルノの番、許嫁」
つがい、と言葉を口の中で転がす。
やはり、彼女はチノの恋人だったのだ。
頭は冷静に事実を受け止めている。
もともと、チノに大切な人がいることくらいわかっていた。
だというのに、なんだろうこの感情は。
ざりっとした砂で直接心を擦り付けたような痛み。
フレヤはかすかに唇をゆがめた。
チノのことになると、うまく感情をコントロールできない。
「そういや、あんた、チョルノのなんなの?
チョルノを囲ってたわけ?」
「か、かこっ……!?」
「あいつ、見た目はいいから、恋人の真似事でもさせてた?
かっと頬に血が上った。
爆発するすんでのところで感情を殺す。
ぎりりとこぶしを握り締める。
「チノは、そんなのじゃない」
思っていたよりも低く押し殺された声が出た。
カルトは意外そうに肩眉をあげた。
「へぇ?
貴族サマっていうのは
綺麗な人間侍らせるものだと思ってたんだけどなぁ」
「私は、そんな目的でチノの隣にいたわけではないわ」
感情を殺しきれず、視線が険しくなってしまう。
睨みつけられたというのに、カルトは楽しそうだ。
この男、嗜虐趣味でもあるのだろうか。
「いいねぇその顔。
プライドをバキバキに折って、服従させたくなる」
……逆だ。
加虐趣味のようだ。
「まぁ、あんた、たしかにお高くとまっている貴族サマのお仲間にしては
なんか変わってるっつーか……。
髪もぼさぼさで服も汚かったし、干し草の上でも寝られるし、
その髪と目の色がなかったら、王女サマってわかんなかっただろうなぁ」
なかなか失礼なことを言われてむっとしてしまうが、
さりげなく髪に手をやってしまう。
そんなにひどいのだろうか。
テントの外に出て、改めて周りを見渡してみる。
昨夜は夜の闇に包まれてまた違う印象を受けたが、
集落は、思っていたよりも静かだった。
子供たちはせっせと川から汲んできた水を、家の中に運び込み、
女性たちは洗濯をしたり、昼ご飯の準備を行っていた。
フレヤはカルトの顔を見上げた。
太陽がまぶしい。
「男の方たちは?」
「みんな狩りに出てるよ」
なるほど。
遊牧民族というより狩猟民族に近いようだ。
見渡しても、牛やヤギなどはあまり見当たらず、
代わりに馬が数頭残っていた。
「あなたは狩りに行かなくてもいいの?」
「おれは、今日は留守番だねぇ」
彼の温度のないまなざしにはっとする。
そうか。
カルトは監視のためにここに残っているのだ。
フレヤが一族の人たちに危害を加えたりしないかを見張っているのだ。
「……私になにかできることはないかしら?」
気持ちが沈んだせいで声が自然と低くなった。
カルトはフレヤが何を言ったのかわからないというように
目を丸くした。
「は?
なに、あんた、媚でも売ろうっていうの?」
「違うわ。
そんなつもりはない」
「なら、おとなしくしとけばいいじゃん。
王女サマでしょ?
世話なら俺らがするよ?
あんたはただ座っていればいい」
「……私、そういう家畜のような生活が嫌いなのよ」
フレヤは吐き捨てるように言った。
感情を吐露してしまったことに気付き、あわてて無表情を取り繕う。
しまったと思いつつ、カルトのほうを見ると、
感情の読めない目でフレヤを見つめていた。
「なにも裏がないと言ったらうそになるわ。
私はもうすぐここを出ていく。
そうしたら、一人で生きていかないといけない。
身の回りのことくらい、自分でやりたいの。
だから、教えてほしい」
カルトはしばらく黙っていた。
フレヤは唇をかみしめて返事を待った。
握りしめた掌に、じわりと汗がにじむ。
「いいよ」
あっさりした答えだった。
拍子抜けしてしまう。
驚いてカルトの目を真正面から見てしまう。
「まぁ、変なことしたら殺すけど?」
カルトは楽しそうににっこりと笑った。
フレヤはわずかに口元をひきつらせた。




