アルハフ族
ついていっていいのか少し迷った後に、
フレヤはカルトについていくことにした。
チノの体はカルトのもとにあるので、フレヤにはどうしようもなかった。
フレヤは立ち上がると、さっさと歩き出すカルトの背を追った。
足の長さの差を全く考えないで歩かれるので、
フレヤは小走りでないとカルトの背を見失ってしまいそうだった。
彼の足は、まるでこの森を熟知しているかのようによどみなく動いた。
森を歩くことに慣れているのだろう。
どんどん薄暗くなり足元もよく見えない中、
カルトの背を追って走ること数分。
闇の中、ぽつりとオレンジの光が小さく見えた。
それは小さな集落のようだった。
簡素なテントがいくつも張られており、
それらの中央には大きな火が焚かれていた。
集落にいる人が、まるでこちらの気配に気づいたかのように
一斉にこちらを見た。
「よっ、帰った。
土産付きだ」
カルトがひどく軽い調子で何でもないことの様に言った。
歩を進めるほどに徐々に人々の顔がよく見えてくる。
どの人たちもチノと同じように紅茶色の肌に緑の瞳を持っていた。
カルトの服と同じような刺繍が入った民族衣装に包まれた体は
どれも細身でしなやかな獣を想起させた。
緑の瞳が一斉にカルトの背にいる人物に向けられる。
「おさ!?」
「まさか、チョルノなのか!?」
どの人たちの顔も純粋な驚きに染まっていた。
その中から、一人の少女が駆けだしてチノのもとに行く。
フレヤはそれを少し後ろからぼんやりと眺めていた。
ここは、おそらくアルハフ族の集落で間違いないだろう。
あの少女はチノの許嫁だろうか。
そんな気がする。
美しい少女だ。
まさに花開いたばかりの初々しさを残した顔は
目鼻立ちがはっきりしているし、
ほっそりとしていながら女性的な丸みを帯びた体つきは
女のフレヤから見ても魅力的だった。
緑の瞳には、純粋にチノのことを心配している色しか見えなかった。
ふとその視線がカルトの背後にいるフレヤに向けられた。
一瞬でその顔が歪み、まなざしが険しいものに変わる。
むき出しの敵意を向けられ、フレヤはたじろいで一歩後退した。
ほかの人々のまなざしも友好的なものとは言えなかった。
ここにフレヤの居場所はなかった。
「チョルノは傷ついている。
手当を頼むな。
この王女サマは、このチョルノがこんなになってまで守った奴だ。
一応寝床ぐらいは与えてやってくれ」
カルトの言葉にはじかれたように人々が動き出す。
チノの姿は人ごみにのまれてすぐに見えなくなってしまった。
年配の女性が無言で近づいてきて、衣を突き出してきた。
初めて自分の衣が濡れてまだ肌に張り付いたままだと気づいた。
「あり、がとう」
つっかえながらもお礼を言うと、一瞬驚いたように女性は目を丸くしたが
すぐに無表情に戻ってしまった。
手でついてこいと促されて、フレヤはおとなしく女性の後をついていった。
連れてこられたのは、簡素な造りの小さなテントの前だった。
中で着替えろということらしい。
「ありがとう」
今度こそ女性は驚いた表情を隠さなかったが、何も言わなかった。
フレヤは恐る恐るテントの中へ体をかがめて入った。
干し草のにおいが鼻を突いた。
薄暗いテントの中は、ランプの光が頼りなく照らしていた。
濡れた乗馬服を脱ぎすて、渡された衣に袖を通す。
襟の部分に細かな刺繍が施されたそれは、
今まで着た服のなかでも一番ごわついた感触がしたが、
厚手で丈夫なものだとわかった。
着替え終わりそっとテントから顔を出すと、女性が無言で手を突き出してきた。
乗馬服を渡せということらしい。
フレヤはまたもおとなしく従った。
フレヤは目を細めた。
焚火の近くに人が集まってきている。
女性にまたもついてこいと手で促され、彼女の背中についていく。
すぐに人々はフレヤの気配に気づき一斉に振り向いた。
好奇の視線にさらされ、フレヤはわずかに身をすくませた。
この一族はどうも気配に聡いようだ。
ひときわきつい視線を感じた。
先ほどチノに駆け寄っていた少女だった。
涼やかな目元は歪められ、憎しみが全身から立ち上るようだった。
フレヤはすっと視線をそらした。
「フレヤ・アクア・コペンハヴン第一王女」
久しく呼ばれていなかったフルネームを呼ばれて、フレヤは顔を素早く上げた。
いつ間にやら、目の前に老人が立っていた。
つややかな紅茶色の肌は年季を帯びて、しわがあるもののハリがあり
年齢を感じさせない。
深い緑の瞳は、知性を感じさせた。
フレヤよりも背の低い彼に、あらゆる面でフレヤは勝てる気がしなかった。
「私は、アルハフ族のもと族長」
「お初にお目にかかります。
フレヤと申します」
フレヤはすっと腰を曲げると淑女の礼をした。
しかし、頭は冷静に状況を分析していた。
この人は、チノがいない間アルハフ族をまとめていた人だろう。
人々からこの老人を敬う気配がする。
彼が自分の今後を大きく左右するのだろう。
「先ほど、我々でおまえさんをどうするのか話し合っていた」
フレヤは表情を変えずにうなずいてみせた。
淡々とした話し方はどこかチノに似ている気がした。
「我らは、おまえさんの父親に迫害されていた。
奴は、我らを野蛮人だと蔑み、移民として入国することを拒み、
我らを追い出すのみならず、殺そうとまでした」
重い言葉だった。
人々がまったく歓迎するそぶりを見せない理由が分かった。
憎い相手の娘だ。
しかも、王宮でぜいたくな暮らしをしていた王女だ。
もしフレヤが彼らの立場に立ったら、歓迎などできない。
「皆の中でもいろいろな意見があったが、
チョルノが目覚めるまではここに置こうということになった」
フレヤは瞬きを繰り返した。
今すぐ追い出されても仕方がないと考えていたフレヤは意外だった。
チノが命懸けで守ってくれた、というのが大きいのだろう。
「よかったね王女サマ」
カルトが馬鹿にしたように笑う。
彼の服装はほかのアルハフ族の男性に比べると派手で
じゃらじゃらとたくさんのアクセサリーつけていた。
それが余計にカルトを軽薄そうに見せている。
しかし、フレヤはカルトの全く笑っていない目に気付いていた。
その気になればいつでもフレヤを追いだせる、
みんなに何かをすれば殺す、と視線が脅してきていた。




