捜索
フレヤたちの姿が崖下に消えて数秒、誰も動けなかった。
冷たい風があたりを吹き抜ける音だけが響いた。
「見てきなさい」
ステファンの一声に、やっと兵たちが慌てて動き出した。
兵の一人がそっと崖から身を乗り出して海のほうをのぞき込む。
はるか遠くに波打つ海が見えた。
荒々しい波が絶えず崖下に向かって押し寄せている。
むき出しの岩もごつごつとしていて、直撃したらひとたまりもない。
もし自分がここから落ちたら、と考えるだけで兵たちの体に震えが走った。
どんなに目を凝らしても、人影は見えない。
ただ白波が押し寄せては、岩にぶつかり砕けるだけ。
ここから落ちて助かる人はそういまい。
そう考えた部隊長は、さっと向き直ると、
ステファン王のもとに駆け寄った。
「おそれながら、人影は見当たりません」
「彼らの体を探しなさい」
「で、ですが王、ここから落ちて助かるものはそうそう……」
「私が言ったことが聞こえなかったのか?」
ステファンが笑みを絶やさないまま、部隊長に向かって穏やかに問いかける。
それだけで、屈強な体つきの部隊長に震えが走った。
「もっ、申し訳ございません!!
すぐに配下の者に探させますゆえ!!」
泡を食って部隊長がほかの兵に指示を出すのを
ステファンは変わらず笑顔で見つめている。
彼に、そっとメノウが馬を寄せた。
「ずいぶんと疑い深くていらっしゃる」
柔らかなたしなめに、彼は苦く笑った。
だがその目はちらりとも笑っていなかった。
「疑り深くなどないよ。
私は可能性という可能性をつぶして回りたいだけだ。
そのほうが合理的だろう」
ふっとステファンが瞳をかげらせた。
一瞬そのかんばせから笑みが消える。
「……あの人魚の娘が、海に落ちてそう簡単に死ぬわけがない」
ステファンのつぶやきはあまりにも低くて、
誰の耳にも届くことはなかった。
派手な水音は一瞬で掻き消えた。
体に衝撃が走るとともに、ごぽぽと耳元で泡のはじける音が聞こえた。
深く深く海に沈んでいく。
フレヤははっと目を見開いた。
とっさに息は止めていた。
だが、いつまでたっても苦しくならない。
息をいくら吐いても、肺がちぎれてしまいそうな苦しさはなかった。
固く抱きしめてくれていた腕がずるりと離れるのを感じた。
チノの目は固く閉ざされていた。
意識がない。
あわてて彼の頬に手を当てると、ほのかなぬくもりと鼓動が感じられた。
気絶しているだけだ。
落下の際の衝撃をほとんどひとりで受けたためだろう。
唇から泡が漏れた。
フレヤは人魚の血を引いているからきっと水の中でも苦しくないのだろう。
だがチノは違う。
急いで空気を吸わせないと死んでしまう。
しかし、水面に浮きあがったら、まだ生きていることがばれてしまう。
この高さから落ちたのだ。
相手は、フレヤたちの生死もよくわからないはず。
しかし、先ほどからのメノウとステファンを見る限り、
そう簡単にあきらめてはこないだろう。
フレヤは一瞬ためらったのちに、そっとチノの唇に自分のものを触れさせた。
その気道にまでいきわたるように、強く息を吹き込む。
合わせた唇の隙間からごぽりと泡がこぼれた。
これでなんとかもつと考えるしかない。
チノの腕をしっかりとつかむと、フレヤは泳ぎだした。
あてもなく暗い海中をさまよう。
おどろくほど手足は自由に動き、思うがままに進めた。
これが人魚の力なのだろうかと半分驚きながらも波をかき分けて進む。
チノの唇からまたごぽりと泡がこぼれた。
限界だろう。
一度水面に上がって空気を吸わせなければ。
強く水を蹴って、光り輝く水面に向かって泳ぐ。
まるで物語の人魚姫のようだとフレヤは苦く笑った。
王子を助けて、恋をして、最後は哀れな末路を迎える人魚姫。
なんだか、自分と重なるところが多いような気がする。
自嘲気味に笑うと、フレヤは水面から顔をわずかに出して、周囲を確認した。
落ちた崖は見当たらなかった。
驚くほど遠くまでこの短時間の間に来たことを知る。
チノの体を水面上まで何とか持ち上げる。
彼の唇は紫色に変わっていた。
そうか。
自分の体質が異常だから気づかなかったが、
ある一定時間寒い海にいると体が冷え切ってしまう。
その可能性を一切考慮しなかった己の浅慮さが悔やまれる。
フレヤは唇をかみしめながら、
少し離れたところにある陸を目指して泳ぎだした。




