裏切り
「どう、して……!?」
「あの程度の兵など、おれの相手にもならない。
少し眠ってもらっている」
とっさに短剣を取り戻そうと、手を伸ばしたが、
手の届かないほど高いところに短剣が掲げられてしまった。
銀行が鈍く目を射貫き目を細める。
「チノ!!
返して!!」
「返したら、お前は何をするつもりだ?」
鋭く聞き返され、言葉に詰まる。
震える手で膝に手をつくと、フレヤは無言でよろめきながら立ち上がった。
「王を殺すのか?」
無言は肯定の証だった。
短剣がほしい。
早く。
早く手に入れないと。
視界が狭くなる。
きらめく切っ先しか見えない。
「王を殺して、自分も死ぬつもりか?」
今度こそフレヤは動きを止めた。
乾くほど目を見開いて、チノを見つめる。
「どうして、それを……」
「やはりか」
うなるような声に、かまをかけられたのだと遅れて気づく。
かっと頬が熱くなった。
「返して!」
「お前も死んで、国はどうなる?
メノウが統治しても、状況は何も変わらない」
冷静に言い募るチノにいらだちがつのる。
彼は何も知らない。
そう自分に言い聞かせるが、理性が焼き切れそうだ。
どうしても声を荒げてしまう。
「そのためにステファン様に助けを求めた!
私の死後も決してメノウの独裁国家にはならないように、と!」
「そのために、なぜお前が死なねばならない」
「父上の行政を最も近くで見できた王族としての責任を……」
「ならば、おれが殺そう」
氷よりも鋭く冷たいまなざしに貫かれて、フレヤは言葉を失った。
チノが私を殺すのか、と頭の片隅で考える。
フレヤはひどく疲れていた。
考えることを放棄したかった。
チノの言葉がひどく甘美に思えてしまう。
まるで、あまく水の滴る果実を、乾いた砂漠で与えられたように。
「私を、殺すのね?」
「いいや、王をおれが殺す。
そして、お前が女王としてこの国に立つ」
ひどい乾きがフレヤを襲った。
淡々と言い募るチノに憎しみのようなものさえわいてくる。
どうして、彼はひたすら思い通りにはさせてくれないのか。
「私は!
女王になどなれない!!
短剣を返して!!
私が……!!」
「男……私を殺せ」
しわがれたこえに、フレヤは言葉を止めて息をのんだ。
地面が崩れ去るような思いがした。
「おとう……さま……?」
父がまっすぐチノのことだけを見つめていた。
いつから起きていたのか。
どこまで聞かれてしまったのか。
心に冷たいものだけが落ちる。
「私は……娘に親殺しの罪を着せたくは……ない。
どうか、人殺しの罪を……娘の代わりに……」
視界が明滅する。
父は気づいている。
フレヤが歌の力を使って、父をここまで衰弱させたことに。
最後の最後にチノによって殺されることで、
フレヤの行為をなかったことにしようとしている。
「無論そのつもりだ」
「チノやめて!!」
悲鳴のような声が漏れた。
必死に短剣を奪い返そうとするが、チノは決して渡そうとはしなかった。
涙が目の端から流れた。
「私が!!
私が全部やるから!!
私が全部背負うから!!」
指先が空をきる。
なにもつかめない。
ほしいものは指先をすり抜けていく。
「いい、ながめね」
鈴を転がしたような可憐な声。
フレヤは涙にぬれた顔で、後ろを振り返った。
メノウがそこに立っていた。
まるで幻のような立ち姿だったが、彼女は確かにそこにいた。
隣にいるチノの気配が一気に殺気立つ。
どうしてここにいるのか。
どうやってここにはいれたのか。
そうか。
見張りの兵たちは半分ほどチノに気絶させられてしまっている。
城の警備が薄くなっていたのだ。
「王女殿下。
あなたの、その、絶望に歪むその顔が、私見たかったんです」
夢見るように彼女は微笑む。
彼女が紡ぐ言葉が遅れて頭にしみこむ。
ヘレナそっくりのメノウを見て、イルグ王は言葉を失っていた。
その様子を見て、メノウは笑みに嘲りの色をにじませた。
「ご機嫌麗しゅうございます、殿下。
わたくしのことなど存じ上げないでしょうが」
緑の瞳が細められ、ぽってりとした唇が三日月の形に歪んだ。
彼女の声にわずかに憎悪のようなものが混じった。
「私は、この目が示す通り流浪の民、アルハフ族の娘。
私の母もアルハフ族の呪術師でございます。
アルハフ族はルー・ガ・ルーたる人狼の末裔。
あなた方王族の、人魚の魔性の声など効きませぬ。
若き頃のあなたは、どんなに美しい娘でもその歌の力で虜にできた。
私の母は、愛を知らぬ寂しいあなたに恋をした。
歌の力などではなく、全身全霊であなたに恋をした。
なのにあなたは、どうせ歌の力のせいだと決めつけ
母を弄んだ挙句、捨てた」
吐き捨てるような言葉だった。
聞いたことがある。
父は王妃ソフィナと出会うまでは、女遊びが激しかったと。
その歌の力で美女たちを虜にしてきたと。
もともと愛する婚約者がいて、頑として歌の力になびかなかったソフィナを
無理やり婚約者から引き離して、王妃にしたのだと。
父の寂しげな横顔を思い出す。
これは単なるうわさだとおもっていた。
しかし、メノウの話のせいでどんどん真実味を帯びてくる。
愛とは狂気。
そう言っていた父の言葉が脳裏によみがえる。
これは、たぶん、事実だ。
失望のようなものとともに、そう認めざるを得なかった。
「おまえ……」
チノから荒々しい気配は消えなかった。
だというのに、それを歯牙にもかけないで、メノウが少しだけこちらに歩み寄る。
父が苦しそうにせきこみ、鋭い呼吸音があたりに響く。
どうしよう。
どうすればいい。
思考がぐちゃぐちゃになる。
糸のようにからまってほどくことができない。
焦れば焦るほど、もつれて結び目が固くなっていく。
「ふふふ」
メノウが笑った。
それはもう嬉しそうに。
花開くように。
それは艶やかな毒花のほほえみだった。
「あなたがたの幸せなど地に落ちて朽ちてしまえばいい」
それは、祈りのように紡がれる呪詛の言葉だった。
びりりと空気が震える。
力ある声。
彼女が人魚の血を引いているのだと、否が応でも知らされる響きだった。
「母は、愚かでした。
決して帰ってこない人の帰りを死ぬまで信じて待っておりました。
でも、私は違う。
私は無力だから、と行動を起こさないでなどいない。
殿下。
あなたが、私の母にそうしたように、
貴女の幸せを完膚なきまで壊して差し上げましょう」
ぎいっと重厚な扉が開いた。
陽光を背に、背の高い人物が部屋にはいってくる。
「あら、遅かったのですね」
メノウがゆっくりと振り返った。
金髪。
アイスブルーの瞳。
ミルクに赤いインクを一滴たらしたかのような白磁のような肌。
声が出ない。
恋い焦がれた。
何よりも恋い焦がれた。
夢中になって追いかけて握りしめたつもりだったのに
指の隙間からすり抜けていった。
「ステファン、様……?」
先ほどあったばかりの彼がこちらを見てほほ笑んだ。
視界が一瞬かすんだ。
瞬きを何度も繰り返す。
だが、彼の姿は消えなかった。
まだ、体が抱きしめてもらった感触を覚えている。
あれが最後だと思っていた。
もう会うことはないと思っていたのに。
「フレヤ様」
彼は、微笑んだ。
いつもと変わらない笑み。
それが、この状況ではいびつに見えた。
瞬きをした表紙に最後の涙がボロリと落ちた。
「驚きました。
私はもとより、メノウから話を聞いていたので
まさか、貴女本人からこの国を頼むと頼まれるとは」
頭の中で、どんどん記憶の欠片が舞う。
一番最初に、革命軍のことを示唆した人物。
それも一度ならずも二度。
一瞬、見せた冷酷な表情。
「もとより、この国は私のものにするつもりでした。
そのために手っ取り早いと思ったのは、この国の王女と結婚すること。
あなたはすぐに私の容姿に夢中になってはくれましたが、あなたは賢すぎた。
いつかは私の考えていることに気付いてしまう。
そのために、貴女の妹姫に近づきました」
その点あなたの、妹姫は簡単だった、とステファンは笑った。
天使のような微笑みだった。
目の前が暗くなるような感覚だった。
ステファンがまるで知らない男のようだった。
誰だろうあれは。
天使の皮をかぶった悪魔なのではないか。
じわじわと実感がわいてくる。
ステファンに裏切られたのだ。
そもそも、出会いから、すべて、仕組まれたものだったのだ。
なんて、なんて滑稽で惨めな話だろう。
もう、涙すら出てこなかった。
不意に、ぐっと手に何か冷たいものを押し付けられた。
これは、金属の冷たさだ。
わずかにチャリっと音がした。
細い鎖の感触。
この形状。
母、ソフィナの形見のペンダントだ。
骨ばった手がそっと離れていく。
振り返らないように、メノウたちにも気づかれないようにそれを握りしめた。
父がこれを誰にも気づかれないようにフレヤに渡したということは、
これになにか大切な意味があるかもしれない。
「それで、私をどうする気……?
その感じだと、ただでは解放してくれないでしょう?」
かすれた声でそう問う。
音がならないように、そっと鎖を手首に巻き付ける。
「王女殿下には、ご乱心なさりお父上を殺害なさったあげく自害という
筋書にはしております」
なんてことないようにメノウが言う。
最初からこうするつもりだったのだ。
唯一の救いの道だと思ったステファンはメノウの仲間だった。
「フレヤ、逃げなさい」
ハッとするほど強い声だった。
フレヤは振り返って父を見つめた。
強いまなざしがフレヤを射貫く。
最後の命の灯が、父の中で燃えていた。
「男よ、娘を逃がせ」
「御意」
ぐっと腰に強い腕が回って、足が床から離れた。
次の瞬間には、チノはフレヤを抱えて床を強く蹴っていた。
「逃がさないよ」
ステファンがすらりと腰の剣を抜いて切りかかる。
フレヤの護身用の剣を構えなおすと、チノはフレヤを抱えたまま、ぐっと姿勢を低くした。
からだをしなやかなばねのように使い、その反動力で信じられないほどすばやく
ステファンの横を彼は駆け抜けた。
すれ違いざまに、ステファンの左足に向かって刃を走らせ、
純白のトラウザーズを切り裂く。
ぴっと鮮血が散った。
「くっ……」
ステファンがひるんだ一瞬のスキをついてチノは体当たりをするようにして
部屋の扉を開けて、外に転がり出た。




